15.同じ結論にたどり着く部屋
「確認だ。
これは、通信障害ではないな」
天井の低い部屋だった。
立ち上がろうとすれば、
無意識に背筋が伸びる高さ。
壁は厚く、窓はない。
外の音が入らないように作られている、
という説明は正確だが、十分ではない。
この部屋は、
外という概念そのものを
持ち込ませないために作られている。
昼か夜かは関係ない。
天候も、街の様子も、
ここには意味を持たない。
意味を持つのは、
テーブルの上に並べられた
紙と画面と、
そして言葉だけだ。
長机の向こう側で、
年配の男が言った。
声は荒くない。
威圧する意図もない。
だが、
慎重というより、
余計な言葉をすべて削ぎ落とした後の声だった。
「はい」
答えたのは、
机の端に立っている若い担当官だ。
背筋は伸びているが、
胸を張っているわけではない。
視線は正面。
逃げ場を探していない。
「障害ではありません」
即答だった。
準備された返答ではない。
「断定できる理由は?」
男は、
詰問する調子では聞かない。
理由を求めるというより、
理由があるなら聞く、
という距離感だった。
「障害であれば、
結果は不規則になります」
「今回は?」
「不規則になっていません」
その言い方に、
誰かが小さく息を吐く。
溜息ではない。
理解しかけたときに出る、
短い呼気だ。
「……また、それか」
別の席から、
低い声が混じる。
呆れではない。
だが、
簡単に飲み込める説明でもない。
「“不規則にならない不具合”は、
不具合と呼べるのか?」
「呼べません」
若い担当官は、
一拍も置かずに答えた。
躊躇がない。
それは自信ではなく、
整理された否定だった。
「呼べないから、
今ここにあります」
沈黙。
この部屋では、
沈黙は拒否ではない。
議論を止める合図でもない。
理解が追いついていない時間だ。
誰も、
沈黙を破ろうとしない。
「送信条件をもう一度」
中央に座る女性が言う。
声は落ち着いている。
指示というより、
順番を整える声だった。
「全部変えています」
「出力は?」
「段階的に」
「方向は?」
「全周です」
「間隔は?」
「不規則です」
一つずつ、
確認するように言葉が積み重なる。
否定されることを前提にした
問いではない。
むしろ、
どこにも逃げ道がないことを
全員で確認する作業だ。
「……それで?」
担当官は、
一度だけ資料に視線を落とす。
その動作が、
この部屋で唯一の
「迷い」に見えた。
「反応は、
返っていません」
「“返っていない”の意味を
もう一度」
女性の声は、
少しも強くならない。
だが、
問いの精度は上がっている。
「完全な消失です。
ただし――」
「ただし?」
「消失の仕方が、
似ています」
また、その言葉だ。
「似ている?」
年配の男が聞き返す。
語気は上げない。
だが、
この言葉が
核心に近いことを
全員が理解している。
「同じではありません」
担当官は、
即座に否定する。
この否定は、
逃げではない。
「一致はしていない。
ですが、
分布の形が、
落ち着きすぎています」
「落ち着く、というのは
良いことだろう」
「通常なら」
担当官は、
少しだけ言葉を選ぶ。
選んでいるのは、
事実ではない。
評価だ。
「通常なら、
無反応は
もっと乱れます」
沈黙。
「……誰かが
受け取っている可能性は?」
その言葉が出た瞬間、
部屋の空気が
一段階だけ重くなる。
誰も顔を上げない。
だが、
全員が同じ一点を
見つめている。
担当官は、
すぐには答えない。
答えを探しているのではない。
使っていい言葉を選んでいる。
「受け取っている、
という表現は
まだ使えません」
「なぜ」
「使った瞬間、
“相手”を
仮定してしまうからです」
「仮定すると?」
「関係が発生します」
「関係が発生すると?」
「対応が必要になります」
その三段論法に、
誰も反論しない。
ここでも、
言葉は
同じ場所で止まる。
「では、
今は何だ?」
年配の男が言う。
問いは短い。
だが、
答えは重い。
「……観測されている、
可能性です」
担当官の声は、
小さくなっていない。
だが、
意味の重さが増している。
「我々が?」
「はい」
「それとも、
我々が?」
言い直しは、
意図的だった。
主語を入れ替えることで、
可能性の向きを
確認している。
「……分かりません」
「分からない、で
済む段階か?」
「まだ、
済ませるしかありません」
沈黙。
誰かが
机を指で叩きそうになり、
やめる。
衝動はある。
だが、
それを許す理由がない。
「敵意は?」
女性が聞く。
「確認できません」
「利益誘導は?」
「確認できません」
「威圧は?」
「確認できません」
「では何だ」
担当官は、
一呼吸置く。
「距離です」
「距離?」
「近づかせない、
という振る舞いです」
「拒絶ではない?」
「拒絶なら、
もっと明確です」
「無視でもない?」
「無視なら、
ばらつきます」
「……測られている?」
その問いに、
誰もすぐ答えない。
沈黙が、
否定でも肯定でもない形で
伸びる。
「その可能性を、
排除できません」
年配の男は、
背もたれに深く身を預ける。
「我々は、
何かに
気づいてしまったのか?」
「“気づいた”と
言える段階ではありません」
「だが」
「はい」
「知らなかった頃には
戻れない」
その言葉に、
誰も否定を返さない。
「沈黙を続けるべきか」
女性が言う。
「破れば?」
「相手を定義します」
「定義すれば?」
「制度が動きます」
「制度が動けば?」
「戻せません」
再び、
沈黙。
この部屋でも、
結論は
同じ場所に落ちている。
「まだ、
名づけるな」
年配の男が言う。
「まだ、
応じるな」
「まだ、
探るな」
「ただ、
記録しろ」
担当官は、
深く頷く。
「この沈黙は」
女性が言う。
「長くなる」
「はい」
「意味を持つ」
「はい」
「我々が
意図せずとも」
「はい」
部屋の中で、
誰かが
ぽつりと呟く。
「……同じ結論に
辿り着いている国が、
他にも
ある気がするな」
その言葉は、
否定されなかった。
だが、
肯定もされない。
それを確かめる手段が、
まだ存在しないからだ。
この国は、
まだ
自分たちが
孤立していない可能性を
知らない。
だが同時に、
孤立していないかもしれない沈黙の中に、
すでに立っている。
同じ星の、
別の場所で。
同じ問いを、
同じ言葉を避けながら。
そして、
同じ結論に
辿り着いてしまっていた。




