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星が重なる日  作者: 橘花


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13/15

12.見えない外側

沈黙は、

一様ではなかった。


同じ条件で送信された信号が、

同じように返らない。


その事実自体は、

すでに繰り返し確認されている。


送信条件は統一され、

出力は安定し、

解析系にも異常はない。


再現性は、

むしろ過剰なほど確保されていた。


それでも、

結果は返らない。


だが、

「返らない」という結果が、

すべて同じ形をしているわけではないことに、

この時点で気づいている者は、

まだ少なかった。


返らない、という一語の中に、

複数の「返り方」が

混在している。


完全に途切れるもの。

途中で失われるもの。

観測限界の手前で

痕跡だけを残して消えるもの。


それらは、

すべて同じ沈黙として

まとめられていた。


まとめられている、

という事実そのものが、

判断を遅らせていた。


午後六時十分。


首相官邸地下、

危機管理センター。


壁面に並ぶモニターの一部が、

静かに表示を切り替えていた。


音もなく、

警告もなく、

ただ画面の構成だけが変わる。


新しい映像ではない。

新しいデータでもない。


ただ、

既存のログを

別の並びで表示しただけだ。


だが、

並びが変わるという行為は、

問いの置き方を変えるという意味を持つ。


送信時刻。

送信方向。

出力強度。

到達予測距離。


そして結果。


応答なし。

未応答。

観測不能。


それらは、

午前中から変わらない。


言葉も、

数値も、

分類も同じだ。


だが、

方向別に並べ替えられた瞬間、

沈黙は

「均一ではない」形を

静かに露わにし始めていた。


ある方位では、

到達予測距離の数値が

意味を持たなくなっている。


数値は表示されている。

計算も成立している。

理論式も破綻していない。


それでも、

その距離という概念が、

現実と接続していない。


理論上は届くはずの距離で、

信号は

消失したとしか表現できない形で

途切れていた。


反射でもない。

減衰でもない。

散乱でもない。


ただ、

「そこまでしか存在しなかった」

かのように、

記録は終わっている。


遮蔽物はない。

電離層の異常も検出されていない。

妨害電波の痕跡もない。


測定系は正常だ。

送信系も正常だ。

受信系も正常だ。


正常であるがゆえに、

説明できない。


それでも、

「そこから先」が

存在しないかのように

記録は終わっている。


技術者の一人が、

慎重に言葉を選ぶ。


声は低く、

語尾は曖昧だ。


「……距離の問題ではありません」


その言葉は、

断定ではなかった。


だが、

仮説でもなかった。


距離では説明できない、

という一点だけを

共有するための言葉だった。


誰も反論しない。


距離では説明できない、

という点だけは

すでにこの部屋で

合意されていた。


「方向でもない、ということですか」


問いは、

確認という形を取っていた。


新しい結論を求める問いではない。

すでに共有されている不安を、

言葉にして並べるための問いだ。


答えは、

断定を避けたまま返ってくる。


「少なくとも、

 方向という概念が

 こちらの想定通りに

 成立しているかどうかは……」


言葉はそこで止まった。


成立していない、

とは言わない。


成立しているとも、

言えない。


方向が歪んでいるのか、

方向という概念が

そもそも適用されないのか。


その区別が、

まだついていない。


沈黙が、

また一つ増えた。


沈黙は、

結果ではなく、

項目として増えていく。


ここで、

一つの事実が

あらためて整理される。


現在、

運用可能な人工衛星は、

転移の瞬間に

自国の領土、

あるいは領海の上空に存在していたものに

限られている。


それ以外は、

存在しない。


故障したのではない。

通信不能になったのでもない。


最初から、

「そこにはない」。


この事実は、

これまで

説明としては語られてきた。


報告書にも、

想定条件にも、

脚注として記されていた。


だが、

判断の前提として

正面から扱われたことはなかった。


それは、

あまりにも大きな欠落だったからだ。


自国上空を回る衛星は、

自国しか映せない。


他国の空も、

他国の地表も、

本来なら

「見えているはずだった」領域は、

今や

完全な空白になっている。


その空白は、

徐々に意識され始めていた。


空白は、

未知ではない。


未知とは、

探索すれば埋まる余地がある状態だ。


だがこれは違う。


空白は、

「見る手段が存在しない」

という確定した状態だ。


世界が見えないのではない。

世界を

見るための座標系が

欠けている。


欠けているものは、

探しても見つからない。


それは、

探索の問題ではなく、

構造の問題だった。


誰かが言う。


声は、

思考を追い越さない。


「つまり……

 私たちは今、

 自分たちの足元しか

 確認できていない」


その言葉は、

否定されなかった。


反論も、

補足もなかった。


否定されない言葉は、

この部屋では

暫定的な真実になる。


足元は、

まだ存在している。


都市はあり、

道路はあり、

電力は流れ、

人は動いている。


信号は点き、

列車は走り、

通信は国内で完結している。


だから、

世界は続いているように見える。


だが、

それは

「自分たちが立っている場所」が

続いている、

という事実でしかない。


外側については、

何一つ

確定できていない。


外務省からの

先ほどの連絡が、

この理解に

静かに重なる。


在外公館との連絡不能。

在日大使館からの

不均一な問い合わせ。


どれも、

「異変」と呼ぶには

形を持たなすぎている。


事件でも、

事故でも、

危機でもない。


ただ、

説明できない状態が

複数、同時に存在している。


だが、

偶然と切り捨てるには、

方向性が揃いすぎていた。


沈黙は、

こちらだけのものではない。


ただし、

それが

誰の沈黙なのかは、

まだ定義できない。


定義できない以上、

国家は

それを扱えない。


扱えないものは、

判断の対象にならない。


判断の対象にならないものは、

まだ

「保留」に置かれる。


だから、

沈黙は

まだ

沈黙のままでいられる。


午後六時三十分。


首相は、

衛星の可視範囲を示す

単純な図を見つめていた。


そこに描かれているのは、

自国を中心とした

限られた円だ。


その円は、

かつては

「観測可能領域」を示していた。


今は違う。


今、それは

「確認可能領域」の

上限を示している。


円の外側には、

何も書かれていない。


敵国も、

同盟国も、

地形すらない。


ただの余白。


だがその余白は、

「未記入」ではない。


「記入不可能」だ。


首相は、

その事実を

誰に言うでもなく

理解していた。


そして、

理解しているからこそ、

口にしなかった。


ここで

外側に名前を与えれば、

それは

存在を認めることになる。


存在を認めれば、

次は

関係を定義しなければならない。


関係を定義すれば、

行動が要求される。


行動は、

責任を生む。


だが、

責任を負うための

前提が

まだ存在していない。


だから、

沈黙は

保持される。


沈黙は、

選ばれている。


それは、

逃避ではない。


確認できない世界を、

確認できないまま

扱うための、

唯一の方法だった。


午後七時。


外では、

夜が始まっている。


街の灯りは点き、

人々は

一日の終わりを

迎えつつある。


食事をし、

テレビをつけ、

眠りにつく準備をする。


その日常は、

空白の外側に

何があるのかを

知らない。


だが、

知らないままでも、

足元は

まだ崩れていない。


だから、

世界は続いているように見える。


だが、

見えていない外側が

広がり続けていることを、

この部屋にいる者たちは

すでに理解していた。


沈黙は、

もはや

「返事がない」という現象ではない。


それは、

視界の外側そのものだった。


そしてその外側が、

この惑星の大部分を

占めているかもしれない、

という可能性が、

初めて

現実味を帯び始めていた。


だが、

「自分たちだけではない何か」が

同じ星のどこかに

存在しているという前提は、

静かに、

しかし確実に

成立しつつあった。


沈黙は、

境界の代わりに

世界を分け始めている。


それが、

このページが示した

唯一の変化だった。

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