髪長の獣
次にアッシュが目を覚ますと辺りは、すっかり暗くなっていた。
何も知らない内に自分は、暖かな焚火に当たっている。
「あ。
ご、ごめん!」
すぐにルーフレッドの姿を見つけてアッシュは、謝った。
自分が寝ている間に色々、迷惑をかけたようだ。
「構わないよ。」
蜂蜜色の髪を後ろに当てた髪型にした青年が言った。
優しい声色だった。
「あれ……?
……ルーフレッドだよな?」
アッシュは、目の前の男をまじまじと見る。
顏のパーツは、ところどころ覚えがある。
「ええ?
何言ってんだよ、アッシュ。
僕がどうかした?」
ルーフレッドは、そう言って苦笑いする。
「………いやあ、何でもない。
俺の勘違いだと思う。」
そうだ。
ルーフレッドは、もともと大人だったじゃないか。
どうして自分と同じ歳ぐらいの子供だと勘違いしていたんだろう。
アッシュは、それを思い出していた。
(でも大人になったルーフレッド………。
結構、かっこいい。)
一瞬、舞い降りた邪悪な考えをアッシュは、頭から振り払った。
(馬鹿なこといってんじゃねえ。
そもそもルーフレッドは、男に興味ないんだから。)
アッシュは、ヴェロニカのことを思い出した。
あの冷血な女狩人の何がルーフレッドは、好きなんだろう。
人喰いという異名もおっかない。
顏も怖いし、暴力的で良いところなんか何もないのに。
「なあ、おい。
ルーフレッドは、なんでヴェロニカと付き合ってるの?」
「僕は、あの人のモノだから。」
ルーフレッドは、平然とそう答える。
アッシュは、ゾッとした。
「はあ?
なんだよ、それ。」
「なんで?
普通のことだよ。」
ルーフレッドは、なんでアッシュが気味悪がっているのか分からなかった。
だが明らかにアッシュは、強く動揺していた。
「アッシュは、ロビンの何処が好きなの?」
「え?」
自分のした質問と同じ問い掛けをされてアッシュは、考え込んだ。
(そもそも俺にとってロビンしか相手がいなかったんだよな。
相談できる相手もロビンしか居なかったし。
あとは、ほとんど流れで…。)
「うーん。」
「答え辛い?」
とルーフレッドは、苦笑いした。
それでもアッシュは、自分が切り出した話題なので答えるべきだと思った。
「…俺を受け入れてくれたのがロビンだけだったからだよ。
いや、もちろんロビンのことが好きだし…。
でも俺は………アレだから。
だから聞いてみたかったんだ。
男と女の場合は、どうなのかなって。」
「それじゃあ、僕とヴェロニカの話は、参考にならないだろうね。
僕とヴェロニカの関係は、特別だから。」
「はあッ!?」
アッシュは、目を尖らせた。
「自分たちは、特別!?
そんなもん、みんなそう思ってるぜ!?」
「そ、そういう意味ではないんだけど。」
ルーフレッドは、そう言いながら困ったように首を振る。
彼自身、自分とヴェロニカの関係を説明できないのだ。
「彼女は、僕の師匠であって僕の弟子でもある。
複雑に回帰し、絡まる時間の中で僕とあの人は、何度でも出会って恋に落ちた。
最初から結末の決まった物語を何度もやり直すようにね。」
「………それって嫌じゃない?
強制的ってことじゃん。」
アッシュは、率直な感想をぶつけた。
ルーフレッドは、苦笑いする。
「ははは………。
あるいは、悪夢にも終わりがあるのかも知れない。」
ルーフレッドは、そう言って焚火に木切れを加えた。
一瞬、火の粉が巻きあがって夜空に吸い込まれる。
二人は、しばらく焚火を眺めていた。
すると矢庭に闇の中から人影が現れた。
50絡みのガッシリした体格の男だ。
長い銀髪が乱れて顔にかかっている。
鋭い紫色の瞳は、しかし優しそうな表情をしていた。
「ジル!」
アッシュが立ち上がって叫んだ。
男は、右手をあげて返事する。
「悪いな。」
「戻って来てくれたの!?」
「当たり前だろ。」
ジルと呼ばれた男は、焚火の近くまでやってくる。
若い頃は、大変な美形だったろう。
もっとも今は、若者にない強烈な色気があった。
「ここに戻って来るまでに何十年もかかったがな。
この悪夢は、かなり眠りの深いところまで落ちている。」
「まだ獣が見つからないんだ。」
ルーフレッドが言った。
ジルは、ニヤリと笑う。
「任せろ。
お前らは、腕の良い狩人だが勘が働かない。
戦いでは、期待してる。」
「じゃあ、あんたが来たってことは………。」
アッシュが目を輝かせる。
当然と言わんばかりにジルも笑って答える。
「ああ。
ヘムヨックの獣狩りを始めよう。」
この時、低木と岩だらけの荒涼としたローグランコ高原に突風が吹いた。
風は、焚火を吹き消し、血の臭いを運んでくる。
「どうやら、奴さんは、こちらに気付いたな?」
嬉しそうにジルは、仕掛け武器を構えた。
青白いノコギリ刃が強烈な光を放った。
刀身そのものが神秘の威力で発光しているのだ。
三人の狩人の前に大きな、山のように大きな獣が姿を現す。
そいつは、グングンと背を伸ばし、月を覆い隠してしまう。
「デカすぎるだろ。」
そう言いながらアッシュは、ゾッとするような笑みを浮かべた。
二人と違ってルーフレッドは、平静そのものだ。
「………僕は、右から行きます。」
髪長の獣。
異端として弾圧されたこの地の信仰を集める獣であろう。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■…!」
それは、東方の伝承にある龍に似ていた。
長大な身体を悠然と夜空に浮かべ、遥かな高みから愚かな狩人たちを蔑如している。
髪長の獣は、風雷を呼び狩人たちを攻撃する。
風は、狩人たちの視界を妨げ、雷光が襲ってくる。
「ちょ、ちょっとこれは、想定してない!」
アッシュは、そう言って腕をあげて顔を庇う。
あとからあとから砂や埃が飛び込んでくる。
ルーフレッドも呆然としていた。
地を這う虫のような自分たちに天を支配する獣は、手も足も出ない。
「こういう獣も経験しておけ!」
ジルは、威勢のいいことを言うが彼も雷撃を回避するので精一杯のようだ。
「おい、どうするんだよ!?」
アッシュがあちこち走り回りながら訊いた。
ジルは、髪長の獣を目で追いながら答える。
「見てろ。
卑怯なことも教えてやる。」
ジルは、そう言うと獣狩りの銃を発射した。
もちろん空を飛ぶ獣を狙撃する性能は、彼の短銃にはない。
だが突然、空から髪長の獣は、苦しみながら落ちて来た。
「■■■■■■■■■■■■■ァァァ………!!」
「悪いな。
だが、こっちは………。」
髪長の獣に何か言おうとしてジルは、口籠った。
その表情には、獣に対する同情や憐憫があった。
手品の種は、水銀弾にある。
糞虫の巣の魔法部が開発した獣を追う特製の水銀弾だ。
古代ザトランの魔術師たちが星々が引き合う性質を研究した成果らしい。
もちろん一発で獣が落ちて来たのは、ジルの血質によるものだ。
「アッシュ、今だッ!」
ルーフレッドが獣に飛びかかる。
アッシュも後に続いた。
「分かってるっての!!」
だが相手が大き過ぎる。
三人の狩人が巨大な獣を斬り付けてもまるで手応えはない。
しかしそれは、見た目にそう感じるだけだ。
髪長の獣は、確実に弱って来ている。
「はははっ!
単調な攻撃だなっ!!」
アッシュは、倒れこんで来た獣の巨体をかわす。
髪長の獣は、身体を地面の上で転がし、狩人を踏み潰すつもりだ。
だがこんな攻撃で巻き込まれる三人ではなかった。
「こいつ、馬鹿なんじゃねえの!?」
アッシュは、完全に調子に乗っていた。
髪長の獣の両目を潰し、背中を大きく引き裂いて深手を与える。
「■■■■■■■■■ァァァ!!
■■■■■■!!」
「どうやら獣化して間もないようだ。
自分の巨体を扱いきれていないんだ。」
ルーフレッドは、冷静に敵を分析する。
ジルもずっと浮かない顔をしたままだ。
どうも事情があるらしい。
とはいえ二人とも獣に情けをかけたりしない。
獣になったばかりで誰も傷つけていなくても関係ない。
もしこの獣が子供だったとしても容赦しない。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」
一瞬、眩い閃光が辺りを満たし、雷鳴が耳を聾した。
幾十もの雷撃が一斉に髪長の獣の周囲に降り注ぎ、大地に漏電したらしい。
地面が湯気をあげている。
だが経験の深い三人の狩人は、事もなげに回避した。
まったく無傷である。
ダメだ。
まるで歯が立たない。
髪長の獣は、最期の抵抗の意志まで削ぎ落されてしまった。
渾身の反撃が彼らにとっては、未熟者の足掻きに過ぎなかったのだから。
「ああっ!!」
突然、この場にそぐわない少女の悲鳴が聞こえた。
少女の顔は、打撲で膨らみ、瞼を切り取られ、眼球が露出している。
皮を剥がれ、焼き鏝を捺され全身が真っ赤になっていた。
歩き方がおかしいのも拷問のせいだろう。
全身に拷問の痕。
人間のやる事じゃない。
「……やめてぇッ!」
少女は、叫んだ。
そこに灰色がかった青い狩り装束の狩人たちが走って来る。
蒼天院だ。
「ガキを捕まえろッ!」
中尉の階級章を着けた蒼天院の狩人が命令した。
彼らの手ですぐに少女は、取り押さえられる。
「痛いィィィ!!
いいいーッ!!
いぎぃぃぃ!!!」
少女は、ただ触られただけで気が狂うほど痛いはずだ。
狩人の腕の中で激しく暴れた。
「鎮静剤を打て!」
「止めろ!」
そう怒鳴ったのは、ジルだ。
200mぐらい離れていた位置から一瞬で近づく。
「”咲血”の聖女、リンキアだぞ!
人間に使う薬を使ったら、どうなるか分からんのだ!!」
「ですが…。」
その時、少女を捕まえていた狩人の顔が急に膨らみ始めた。
気付いた時には、全身の血管が膨らみ始め、パーンと破裂した。
「ひいいいっ!」
「うわああ!」
「いやーッ!」
「危ない!
離れろ!!」
蒼天院の狩人たちは、一斉に少女から離れた。
「馬鹿どもめ!
聖女に触れる時は、専用の手袋を着けておけと通達したはずだ!!」
そうジルが怒鳴った。
気になったアッシュが遠くから声をかける。
「さっきから何やってんのー!?」
すぐにジルは、アッシュに振り返って大声をあげた。
「かまうなッ!
これは、院長の指令だ!
お前たちには、関係ない!!」
院長、つまり糞虫の巣のリーダーだ。
どうやら獣狩りとは、別件の作戦行動らしい。
それも騎士団本部には、明かしていない秘密行動だ。
「保護装備を用意していないのか!?」
ジルが蒼天院の狩人たちを睨みつける。
中尉が顔を引き攣らせて答えた。
「じ、ジル様……。
怒りたいのは…こちらであります。
か、閣下の手違いではありませんか?」
「はあ!?」
ジルが烈火のように怒鳴った。
中尉は、それでも抗弁する。
「し、し、死んだのは、小官の部下であります。
特殊な装備なしで聖女に触るななど、聞いておりま…。」
「失せろッッ!!」
ジルは、そう言うと蒼天院の狩人たちを捨て置いた。
もう自分で聖女を追う。
「うが……やえ、やめて!
その獣を殺さないで!!」
ほとんど皮膚のない少女は、アッシュとルーフレッドに訴える。
その訴えには、並々ならぬものが感じられた。
だがアッシュは、獣狩りの銃を少女に向けた。
そしてあっさりと射殺してしまう。
「や、やめ…!!!」
ジルが叫んだが遅かった。
”咲血”の聖女は、膝から崩れて倒れた。
「ああ………!
な、なんてことを。」
ジルは、聖女に近づく。
だが触ることもできない。
聖女に輸血液が効くか分からないし、直に触る準備をしていない。
急いで手袋を着け直すが無駄だろう。
「むう………。
うう………くそっ。」
少女の傍にしゃがみ込んでジルは、恐る恐る手を伸ばす。
だが少女は、完全に事切れていた。
ジルは、顔をあげる。
「アッシュ!
なぜ撃った!?」
「えっ?
なんかダメだったの!?」
と、まあ、アッシュは、いい加減な態度で答える。
そして獣との戦いに戻っていった。
「うう…!」
こんな馬鹿を相手にしても始まらん。
ジルは、せめて血液サンプルだけでも持ち帰ろうとする。
(まあ、良いだろう!
目的は、一先ず達成した。
………院長には、小言を言われるだろうが。)
「お前たちは、ヘムヨックの獣を探して狩っておけッ!」
ジルは、蒼天院の狩人たちに怒鳴った。
怒りと恐怖でぐちゃぐちゃになった中尉が答える。
「閣下、そ、そこにいる獣がそうではありませんか?」
「こいつは、どう見ても今さっき獣になったばかりだ。
半年前からこの村で暴れているケチな獣とは、違う!」
そういってジルは、髪長の獣に振り返って睨んだ。
「これならエリザベスに頼むんだった!」
「さ、バッチ軍曹は、補佐官閣下の要請を受けてそちらに…!」
と中尉。
すぐにジルが怒鳴り散らす。
「あいつが補佐官の手伝いから戻るのを待てば良かったと言っているんだ!
いつまでそこにいるウスノロどもめ!
さっさと獣を探せ!!」
「は、閣下!!」
蒼天院の狩人たちは、闇の中に散っていった。
髪長の獣は、息絶えていた。
すでに両目は、潰れていたが”咲血”の聖女の方を見つめたままだった。




