ルンルン気分な悪役令嬢、パンをくわえた騎士と曲がり角でぶつかる。
「アンジェラ・スカーレット……ここに居るエリカに悪事を働いたことは、僕には調べが付いている。君との婚約は、ここで破棄させて貰う!」
「はい。私アンジェラ・スカーレットは、デニス殿下との婚約破棄を受け入れます」
生まれてすぐに婚約を結び、十数年の長い時を『婚約者』という関係で過ごしたデニス殿下の言葉に私は力強く頷き、スカートの裾を持ってカーテシーをした。
そして、無言のまま時が過ぎた。王族相手には『顔を上げて良い』と言われるまで、このままの体勢で待つのが通例だけど、さすがに長過ぎた。おかしいわ。
もうこれは十二分に待っただろうと私が顔を上げると、私が幾度も嫌がらせをしているともっぱらの噂の異世界から来た聖女エリカ様の腰を抱き、ポカンとした表情を見せていた。
あら……まだ、私に何か用があるのかしら。
デニス殿下の要求の通り、私は婚約破棄を受け入れたはずだけど。
「アンジェラ。何か……ここで申し開きしたいことは、何もないのか?」
デニス殿下におそるおそる問いかけられて、私は極力しおらしく見えるように悲しげに首を横に振った。
「いいえ。私が言いたいことなどは、全くありませんわ。このように公衆の面前で婚約破棄を宣言されるなど、私は自分でも気が付かぬ間に、とんでもないことをしでかしていたようですし……お恥ずかしいです」
私はその時に、大袈裟な仕草で右上を見上げたので、デニス殿下とエリカ様も同じように視線を移動させた。
階段がある壇上には、二人。それよりも高い位置、奥にある貴賓室からの扉は開いていて、数人の影があった。
「っ……お前」
婚約者の居る男性と異世界からやって来たという聖女。禁じられた恋に盛り上がり、脳内お花畑になっている二人も、この光景を見ればようやく危機感でも覚えたのかもしれない。
お生憎様。もうそれは、手遅れよ。
そこには、デニス殿下のご両親であられる、国王陛下と王妃陛下……それに、私の父スカーレット公爵に母のスカーレット公爵夫人。
生まれた時に私たち二人の婚約を、決めた方たちだった。
「ええ。私はここで失礼しますが、お二人の幸せを心より、お祈りしておりますわ……愛し合う二人には、誰も邪魔なんて出来ませんもの……」
にっこりと私は微笑んだ。
愛するお二人はどんな困難があっても、切り抜けられるものね?
驚きで声が出ない二人を置いて、婚約破棄からの思わぬ展開にこれから先を楽しみにしていそうな生徒たちをかき分け、私は貴族学校の卒業式の会場から出て行った。
衛兵に両脇を固められた大きな扉を出て、しずしずと廊下を抜ける。
そして、ひと気のない庭園にまで出て来ると、あまりの開放感に思わず両手を開いて夜空へと掲げた。
「っやったー!!! デニスからの婚約破棄よーーーー!!! もう二度とあの二人に関わることも、二度とないのよ!! さっいこうーーーーーっ!!!!」
ええ。私こと、アンジェラ・スカーレットは、どう考えても、乙女ゲームの悪役令嬢に転生していた。
異世界転移してきた聖女エリカ。それに、どう考えても顔面偏差値の高すぎる男性たちが、彼女を取り巻く。
なんだかんだ紆余曲折あって、彼女は一番身分の高い王子様デニスと交際し結婚することにしたようだ。
貴族学校入学式に記憶を取り戻した私は、デニスと結婚するのなら私との婚約破棄イベントは避けられないと踏んだ。
けれど、実は私はこの乙女ゲームを知らない。転生前に何個か嗜んだこともあったけれど、キャラ名には一切の聞き覚えもなかった。
よって、細かいストーリーなんて何も知らないけれど、貴族学校入学式から、乙女ゲーム王道テンプレ展開で進んで行った。
デニス王子の婚約者である私は、悪役令嬢の役割だった。
とりあえず断罪はされたくないからと、なるべく彼らを避けて通るものの、そんな努力をあざ笑うかのようにして、私はいつの間にか悪役令嬢になっていた。
やってもいない悪事もいつの間にかやっている事にされて、品行方正なデニス王子が庇うエリカ様は、いつも悲劇のヒロイン顔だった。
ゲームの強制力というものかもしれないけれど、私が悪役であれば彼らにはとても都合が良くなる。私ではない証拠を提示しても、決して認めてはくれなかった。
そして、私はそんな二人に対して、心からの苛立ちを感じていた。自分たち二人が幸せになるなら、私を不幸にしても良いよねと思って居るに違いないからだ。
だから、私は二人が一番に嫌がるだろうことをしてやろうと、以前から考えていた。
それが、この卒業式での婚約破棄してハッピーエンドを迎えんとする二人に、両親からの説教という冷や水を掛けることだった。
卒業式で公然と婚約破棄するなんて、本来ならば許されることではない。
あまりないことだけど、明確な契約違反である婚約者以外の婚前交渉があったとしても、双方ともにこれから先を考えて、穏便に済ませるために金銭のやりとりで済ませてしまうくらいなのである。
婚約者に近付く女性に少々嫌がらせしたところで『え。普通の反応よね?』と、愛し合う二人以外は思うのだから。
だから、私はお互いの両親を呼び出した。
デニス殿下の両親、両陛下は息子が聖女を王妃にと考えていることを聞いて、信じられないご様子だったけれど、私の両親は証拠の品や公平な第三者である教師たちの証言を聞き非常に怒っていた。
今頃、貴族学校の卒業式パーティで婚約破棄を宣言した詳細の聞き取りがなされているはず。
けれど、私はデニス殿下はエリカ様と結婚されれば良いと思っていた。だって、デニス王子から婚約破棄されて、私は心よく受け入れた。
それを、今から覆されても。
「……あんな、クズ男。聖女様に熨斗を付けてくれてやるところだけど、今夜の卒業式までほんっとうに私は我慢したわ。少々の仕返しはさせてもらって、当然よね」
正直に言えば、あまりにも意見を聞いてもらえずに、心折れかけた日もあった。悪役令嬢が不登校になるところだったのよ。今日の日のために耐えたけれど。
そんなこんなあり、三年間通った貴族学校も、いよいよ今夜で終わり。
明日の朝には寮からも出て行けるし、既に荷造りだって済ませて準備済だ。
婚約破棄を宣言されたと言っても、これはデニス王子の思い込みによる独断。
何かしら法的根拠のあるものでもないし、悪事を理由にと言われても、既にデニス王子よりも立場が上の方々が私が無実であることを知っている。
だから、『婚約破棄された貴族令嬢』と言われても、された私ではなく、したデニス殿下の噂で持ちきりになりそう。
そんな人たちを横目に、私はスカーレット公爵邸へと帰るわ。だって、私は何も悪くないもの。
……ああ。今夜はとっても良い夢が、見られそうだわ。
私はルンルン気分で鼻歌を歌いながら、女子寮への道を進んだ。
「っわ!」
「キャッ!」
私は曲がり角を曲がろうとして、パンを口にくわえている背の高い男性をぶつかりそうになった。
……え? 何。このシチュエーション。これって、もしかして恋のはじまりに良くある……あれなのでは?
私がぶつかった男性はどうやら騎士のようで、胸元に勲章を付けた騎士服を着ていた。黒髪に青い目。凜々しく整った顔立ちの男性だった。
いえいえ。ただの偶然よ。さっき、私は乙女ゲームを終わらせたばかりなのよ。
「失礼しました。ご令嬢。私はリアム・フォーカード。陛下に仕える近衛騎士です。卒業式が終わるまで間があり、誰も居ないと油断しておりました」
苦笑いした彼は咥えていたパンを手に持ち、胸元に手を置くと私へと貴婦人へ向ける礼をした。
確かに今両陛下は、出て来たばかりの卒業式の会場に居る……私が来て欲しいとお願いしたから。近衛騎士であれば、安全のために彼らの居る建物の周囲を巡回することも職務に含まれているのだろう。
「まあ……近衛騎士様でしたか。私はアンジェラ・スカーレットです」
「良く存じております。デニス殿下の婚約者様ですので」
リアムは心得たように頷き、私はそんな彼に微笑んで首を横に振った。
「私はデニス様の婚約者ではないわ。婚約は、破棄されたの……リアム様から、一方的にね」
「今なんと?」
「彼は聖女エリカ様と、これから婚約することになると思うわ……彼らは愛し合っていて、私はお払い箱になったの」
リアムは目を見開き驚いた表情になり、浮かれていた私はにっこり微笑んで事の次第を説明した。
「……しかし、それはあまりにも、その……アンジェラ様が」
リアムは私の状況を聞いて、言葉もないようだ。
貴族令嬢にとっては男性側から婚約を破棄されるということは非常に不名誉なことで、理由が明らかになっていても何か他にも問題があると見られて、嫁ぎ先も見つからなくなってしまう。
「ああ……心配しないで。私はありもしない悪事をしたことにされて婚約を破棄されたのだけど、すべて両陛下と私の両親はわかっているの。だから、私に何か不利益があるような結果にはならないと思うわ」
私の話を聞いて、リアムは頷いた。
「そうでしたか。もしかして、そうなるように仕向けましたか……?」
ここに、近衛騎士リアムが居る理由。陛下が貴族学校の卒業式にいる理由。彼はそれが誰かの要請によるものだと察したらしい。
「だって公に婚約を破棄されれば、私が二人の愛のために犠牲になることになるもの。そんなこと、私は絶対に嫌だわ。自分が悪事を働いたのなら受け入れるけれど、実際はそうではないもの」
やりもしない悪事で罰せられるなんて、絶対に嫌。私がそう言えば、リアムは苦笑して頷いた。
「ええ。その通りです。アンジェラ様はデニス殿下を、お好きではなかったのですね?」
「婚約者として将来的に結婚するとは思って居たけれど、彼に他にお好きな女性が居るならば、お好きに結婚なされば良いと思うわ」
肩を竦めた私は寮に向かってゆっくりと歩き出せば、巡回中らしいリアムも付いて来た。
「お送りします。お一人なので」
どうやら女子寮まで送ってくれるつもりらしい。けれど、ここは貴族学校の敷地内。危険なんて何もないように思うけれど。
「何もないわよ?」
「いえ。どんな危険があるか、わかりませんよ。ひと気のない場所に、美しい女性は気を付けるべきだと思います」
そう言い彼は片目を瞑ったので私には断る理由もないし、女子寮はすぐ近くだった。
「……ありがとう」
「いえいえ。もし良かったら、僕と婚約しませんか」
驚いた私はそこで、リアムの顔を見た。彼はにっこりと微笑んで居た。
「……いきなり、何を」
この人、私と婚約しようって言ったわよね? まじまじと彼の顔を見つめても、リアムは全く動じずに頷いた。
「アンジェラ様は、今夜、そういった理由でデニス様と婚約者ではなくなったんですよね? 僕は実はフォーカード侯爵家の次男ですが、跡継ぎのはずの兄は病弱で今は爵位を継ぐことを諦める話になっております。ですので、いずれ僕がフォーカード侯爵となるのですが、兄は既に結婚済でして……妻を引き継ぐわけにもいかず、僕は他に結婚相手を探すことになっております」
「私のこと……ちょうど良い結婚相手だと思ったということ?」
にこにこと微笑んだリアムの表情は、まったく揺るがない。
名家の貴族令嬢は、大抵幼くして家に決められた相手と婚約している。だから、婚約を破棄されたばかりの公爵令嬢は、彼にとってちょうど良い結婚相手となりうると……彼はそう言いたいのだ。
「ええ。アンジェラ様とて、いずれは貴族や王族に嫁がれるでしょう。その相手は、僕でどうですか。いずれ侯爵となりますし、貴女に苦労はかけません」
跡継ぎに何かあった時のために育てられた次男の出番となる。次男は爵位を継げないけれど、嫡男と同じように育てられる。
成人になれば家を出て、実業家や騎士として身を立てていくことが一般的だ。
そういえば、以前フォーカード侯爵の話は私も耳にしたことがあった。病弱な嫡男は一時期体調を持ち直したものの、また体調を悪くしたらしいと。だから、次男に家督を譲る話になっていて……。
それが、目の前のこの男……近衛騎士リアムだということね。
「そうね……確かに私もこれから、結婚相手を探さなければいけないわ」
デニス殿下との婚約が破棄になり、正直に言えばせいせいしていた。彼らのあの真実の愛を盛り上げるための悪役令嬢なんて、本当に嫌だったから。
「ですから、それは僕で良いのでは? 身分も釣り合いますし、以前から僕はアンジェラ様の信奉者だったんです。ここで勝負をかけるべきかと」
顔を覗き込むように背をかがめたので、私は思わず一歩後ずさった。
「……リアムが私の信奉者ですって?」
「ええ。王家の集まりに良く来られていたでしょう。僕たちは警備をするために周囲を取り囲んでおりましたので、アンジェラ様を見る機会がございました。彼のことを男性として好きでないのなら、ここで申し込むことが最善かと」
確かに王太子たるデニス殿下とは、様々な集まりに連れ立って参加したものだ。それはこれからはエリカ様の役目となる……。
早く彼らと離れたかった。だから、今夜のことも待ちわびていた。
けれど……やっぱり、心のどこかで寂しい思いは残った。生まれた時から、婚約者として暮らして来たのだ。
ろくでもない婚約者だと思いながら、それなりに愛着だって湧いていたことは確かだった。
「貴方って、とっても上手いわね。リアム」
私の気持ちがそうなるだろうとよくよく理解しているというのなら、彼はとても上手い。
「ええ。婚約者が居なくなった心の空白を埋めるのなら、すぐにここで申し出た方が良いと思いました。寂しいところにつけいる悪い男のように思われるかもしれませんが、陛下の近衛騎士であることが、僕の何よりの身分証明になると思いますが」
「そうね」
国王陛下の近衛騎士であるということ。上級貴族の血筋でも選ばれし騎士にしか出来ない職業であるし、ここまで言うのならリアムはフォーカード侯爵となるのだろう。
「とは言え、貴女ほどの美しい女性であれば、どんな道でも選べます。無理強いするつもりはありませんが、出来れば今夜決めて頂きたいですね」
「良いわ」
私は彼の青い目をまっすぐに見て、そう言った。そして、片手を挙げて彼を待った。これは、エスコートして欲しいという意味だ。
私は公爵令嬢であるからには、貴族以上と結婚する必要がある。
親に決められた婚約者がいなくなったなら、夜会などで出会いを求め求婚されることを待つことになるけれど……どうしてかしら。リアム以上の男性に出会えないと思ってしまうのは。
「……ありがとうございます」
リアムはにっこりと微笑み、私の手を取った。
「これから、よろしくお願いします。リアム。もっとも、婚約についてはお父様に認めていただく必要があるけれど」
娘である貴族令嬢の嫁ぎ先の権限を持っているのは、家長であるお父様だ。
「それは、大丈夫です。スカーレット公爵との会話は、よく心得ておりますので」
その時のリアムの真剣な表情を見て、なんだか違和感を覚えたけれど、私が知らないだけで彼とお父様は懇意かもしれない。
「……ねえ。リアム。私たち、今日が初対面よね?」
振れている彼の大きな手もその熱も、なんだか覚えのあるように思えて、私はなんとなく言った。
「いえ。僕にとってはそうではないのですが、アンジェラ様にとっては……そうなのかもしれません」
まるで謎かけのような言葉を口にして、リアムはにっこりと微笑んだ。
◇◆◇
ただ生きて居るというだけで、様々な物事に既視感を覚え、妙な子ども時代を過ごした。
前世の記憶が完全に蘇ったのは、王太子デニスの婚約者である公爵令嬢アンジェラ・スカーレットを見た時だ。そこから、僕の地獄は始まった。
彼女は乙女ゲームの悪役令嬢として、断罪されてしまう。
リアム・フォーカード。つまり、僕の役目はそんな彼女を、密かに捕らえに行く近衛騎士だった。
王太子デニスはアンジェラを犠牲にして幸せになることに躊躇はなく、いくつかの誤解があったと知れても彼はアンジェラを容赦なく断罪することにした。
牢に入れられて、もう戻れないと悟り、彼女が絶望の叫びをあげる。そうしたら、僕はまた『卒業式の夜』に飛ばされてしまう。
断罪から絶望まで。何回も数十回も繰り返し、不毛なループを断ち切ろうと様々な方法で抜けだそうと試みても無駄だった。
可哀想な彼女は僕や僕ではない騎士や兵士に手を引かれて、大粒の涙をこぼす。それを救ってあげたくても……僕は何も出来ないのだ。
アンジェラの父であるスカーレット公爵にも、様々なやり方で訴えたことはある。けれど、娘の窮状を彼は信じない。
「……今夜は国王陛下は、貴族学校に行くらしい」
近衛騎士団長からのその言葉を聞いた時、僕はようやく何度も何度も繰り返す、この夜の突破口の存在を感じた。
巡回を命じられて腹が減っては戦が出来ぬとパンを咥えて歩いていたところに、浮かれた様子のアンジェラ・スカーレットが現れた。
デニスに理不尽な婚約破棄されても、彼女は逞しくやり返していた。
そして、思ったのだ。僕が待って居たのは、彼女だった。
この時……彼女に会うために、僕はこの夜を繰り返していたのだと。
Fin
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
もし良かったら、評価を頂けましたら嬉しいです。
それでは、また別の作品でもお会いできたら幸いです。
待鳥園子