君には海月になってほしい
今日は土曜日で昨日から優ちゃんは家にいる。
せっかくなので、また海に行ってみることにした。あんなに人が嫌いだったのに、人が沢山集まる休日の海でも優ちゃんとなら嫌にならなかった。
「優ちゃん、そういえば体調大丈夫なの?」
昨日から元気そうで聞くのを忘れていた。優ちゃんはいつも笑顔だったけれどこの瞬間だけ真顔で少し苦しそうだった。
「あぁ、憂と一緒にいたらなんか治ったんだよね〜。なんか気使わせてごめんね。めっちゃ海綺麗だ〜!やっぱ夏と言ったら海だよね!」
笑った口に下がった眉、誰がみても笑顔だけれど僕にはずっと苦しそうに見えた。
その後は存分に海を楽しんだ。家にあった水鉄砲で遊んだり、すこしかたいボールをバレーのように手で投げあった。空がいちご色に焼けるまで遊んだ。
「また優ちゃんの歌聴きたいな…」
海を眺めていたら前に優ちゃんが聴かせてくれた曲が頭の中に流れたのでふと口にしてしまった。
優ちゃんは嬉しそうに笑っていたけれどすぐに悲しそうな顔になってしまった。
「あ〜…あのね、ギターちょっとぶっ壊しちゃってさぁ…弾き語り今出来ないんだよね〜」
申し訳なさそうな優ちゃんを見ていると胸が苦しくなった。そんなに気を負わないで欲しいのに、かける言葉が出てこなかった。
「大丈夫だよ。弾き語りじゃなくても、アカペラでもいいんだよ?」
にぱっと大きく笑って優ちゃんに笑いを伝染させたくて初めての大きな笑いを見せた。自分じゃ見えないからぎこちないかもしれない。でもこうするしかなかった。そんな気がした。
優ちゃんは僕を見て少し泣きながら嬉しそうに歌い始めた。
優ちゃんの歌はギターが無くなると途端に悲しく助けてと叫ぶような歌になった気がした。「愛が欲しくて」「絶望が積もって」「昨非今是」そんな言葉ばかり連なっていて。弾き語りの時はメロディで優しく聞こえていたけど途端にメロディが無くなると歌詞が全て脳に刷り込まれた。
気付いた頃には優ちゃんはぼろぼろに泣いていた。僕はどうすればいいのか分からなくて背中をずっとさすっていた。
「俺…なんで憂と居られてるのか分からない。俺は、俺はみんなから嫌われてばっかで、なんも出来なくて役に立たなくて」
優ちゃんの苦しい歌は本当の悲痛な叫びに変わっていた。
「俺は、こんな歌詞ばっか書いて人を暗くするしか出来なくて、でも別のことを歌詞にすると書けなくて何も出来なくて、家でも約立たずで、でも憂は俺に優しくて苦しくて、なんか、なんか騙してるようで苦しくて」
ずっと自分を苦しめる言葉を言い続けて息が詰まるように泣いている優ちゃんを見つめていると何故か怒りが湧いてきた。
「なんでそんなこと言うんだよ。優ちゃんは優しくて誰でも笑顔にしちゃえる程可愛くて僕もお前のおかげでこんなに笑えるようになったんだよ。何が約立たずで人を暗くするだ。お前の周りの人間はお前の言ってることと真逆の状態だ。お前には何が見えてるんだよ。」
ハッとした頃には優ちゃんはこちらを向いて吃驚した顔をしていた。次の瞬間優ちゃんの顔は真っ赤になり下を向いた。「可愛い」と言われた事に恥ずかしくなったのだろうか。正直僕も凄く恥ずかしくなったけれど、僕の語彙力ではこう慰めるしか無かった。
「憂、俺が気持ち悪くない?」
あぁ、そんなことを言わないで
「気持ち悪いなんか微塵も思ったことない。」
「じゃあ、俺が死のうとしたなんて言っても気持ち悪いって言わない?」
…
…
「え?」
突然の言葉に何も言い返せなかった。多少生きずらそうな身振りをしていたけれど死のうとした事なんて全く分からなかった。
「俺の家さ、父親がヤバいやつなんだ。平気で母さんのこと殴るしギターだって昨日あいつにぶっ壊されたんだ。そんなことやってる暇あったら父親を労れー!って言われて何故かいつもよりイラついて、いやお前に微塵も感謝したことないからそんなんする訳ないって言っちゃったんだ。そしたら壁にガンってぶつけて壊しやがったんだよ。今は母さんも鬱状態でなんも出来なくて、俺が家事とか全部やるしかなくて、でも約立たずだから母さんがお前はいい何もやるなって叩いてきてさ。生きられてる理由がギターと母さんだったのに母さんもギターも壊れちゃった。だからもう生きる理由がないんだ。何もする気が起きなかった。けど憂が海に連れてきてくれて少しだけ気が晴れたよ、」
泣きそうなのに冷静に話す優ちゃんも少し壊れているように見えた。昔の僕のようにも見えた気がして、口が勝手に動いた。
「じゃあ僕の為に生きてよ。僕は優ちゃんがいないと世界が綺麗に見えないんだよ。綺麗事みたいに聞こえるかもしれない。厨二病かって思ってもらってもいい。でもこれだけは本当だよ。僕は今幸せ。でも前まで不幸せだった。息が詰まって生きずらかったんだよ。幸せになったタイミングはいつだと思う?優ちゃんと過ごし始めた日からだよ。優ちゃんと学校で過ごして、勉強して、遊びに行くのが凄く幸せだった。だから優ちゃんに生きて欲しいんだ。自分自身に生きて欲しい理由がないなら、僕が生きてほしいって言い続けるから、だから死なないで欲しい。優ちゃんがいなくなったら、今度は僕が、僕が死んじゃうと思ってよ」
話してるうちにぼろぼろ出てきた涙を優ちゃんは優しく拭ってくれた。
自分勝手な言葉だったのに、優ちゃんはすごく嬉しそうにあのいつもの笑顔を浮かべていた。
「それって新手の告白?笑」
おちゃらけた優ちゃんは目の周りを赤く染めていた。
「まぁ別に…そう思っても良いよ」
僕はとっくに優ちゃんに恋をしていた、そうだと本当は言葉にして伝えたかった。でも僕にはハードルが高すぎて、恥ずかしくて言えない。
「そっか。憂って俺の事好きなの〜?」
にやにやと小悪魔な優ちゃんになった。でも今の僕にその言葉を否定することは出来ない。
「うん。」
優ちゃんは今までよりも1番吃驚した顔をしていた。
「やっぱ僕ってキモイよな。なんかごめん優ちゃん忘れて」
優ちゃんの肩をガシッと掴んで忘れるようにおまじないをかけようとした。だけど優ちゃんの言葉は予想を簡単に壊した。
「いや、俺も好きだしいっその事付き合おうよ。俺が憂を幸せにして、憂が俺を幸せにする。そのために付き合うって凄く良くない?そうすればどちらかがかけることもそうそうないよな」
少しだけ黒い絵の具が混ざったパレットの言葉に僕は笑みが零れた。受け入れて貰えるなんて思っていなかった。
「本当に、付き合うの?マジで? それ後から嘘とかなしだからな」
優ちゃんはその言葉を聞いて大笑いをしていた。僕は心底心配だったけれど、優ちゃんが笑顔になったならそれで良かった。
その後、いつものように過ごした。
でも優ちゃんの家の状況は何ら変わらず、ちょくちょく僕の部屋に止まっては遊んで帰って行った。
そしてある日から優ちゃんは鬱に飲み込まれていった。
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