幽霊に花束を③
もう、出てきてはくれないのだろう。
そんな気がする。
単なる予感とはいえ、息苦しいほどの確信がある。
花束すら消えてしまったこの場所には、不思議なことに絶望はない。
悲しみすらも感じない僕の心には、空虚が渦巻いているだけだ。
そんな空間で笑っているのは、悪霊だけ。
声を発しているのは、少女の霊だけ。
空虚な心の中を、可笑しそうな笑い声が何度も何度も反響し、踏み散らかしていく。
「ふられたね」
一瞬だけ同情するような声音になり、またすぐにあざけ笑う。
怒らせたいのだろうか。
僕は、悪霊の姿を探す気にすらなれないというのに。
「来ないで欲しかったのに、また来て、そしてふられて」
こうなってしまっては、ただの悪ガキだ。
近づいては遠ざかって、時折跳ねては駆け回る。
悪霊の声は、姿が見えない少女の動きを、あまりにも簡単に想像させる。
「そうだ、いいこと思いついた」
すぐ近くで、声が立ち止まる。
その声は、微笑ましいほどの無邪気な提案を予感させた。
「おっさんも死んじゃえば、おねえちゃんと同じ幽霊になれるかも」
視界が傾いていく。
そういえば、小さな手に押されたような気がする。
目の前には僕の車があって。
傾いていく僕の上半身は、やがて車道にはみ出して。
僕が倒れてくるのを待っていたかのように、車道を車が走ってきた。
このままじゃあ、轢かれて死ぬなあ。
そう思った。
幽霊さんと、これで同じになれるのかなあ。
そういう期待がないわけではなかった。
恐怖を感じる暇などなかった。
走ってくるのがタクシーであるらしいことを確認して、僕は目を閉じた。
ただの一回の瞬きだったのかも知れない。




