疑問と答え②
「私は普通よりも鼻が利くから、あの嫌な臭いが本物だったと断言できる。最初に会った時の君と結婚式の日の君からは、沢山の男性とかなり親密に接触した酷い臭いがしていた。君は、結婚式の日の朝まで複数の男性と遊んでいたんだ。でも、その真偽をもう一度聞きたい」
「……え、っと」
キャロンはよく質問の意味が分からず口籠った。
(たくさんの男性と親密に遊んでいた……?それは私が、という事でしょうか。いえでも、私なんて不細工で臭いですし全然男性にはモテませんし)
聞き間違いかもしれない。
そう思ってエルフリートを見つめるが、彼は相変わらず真剣な表情だった。
冗談で言っている訳でも、言い間違えたわけでもなさそうだ。
「その、私は……結婚式の朝まで多くの男性と会っていたのですか?」
「ああ。その時の君からはそういう臭いがしていた」
「それは……私が結婚前なのにエルフリート様に不誠実なことをしていたということでしょうか?」
「私はそう解釈したが」
「ええと、私、本当にそんな酷いことをしたのですか?」
「いや、だからそれを聞いているのは私なのだが……」
キャロンが困り果てた顔で問いかけると、エルフリートも同じように眉を下げた。
「私はそんな記憶は無いのですが、エルフリート様の鼻が間違っているということもないと思いますし、どうすれば……」
突拍子が無い質問に対し、キャロンには全く心当たりがない。
しかし、どのようにその事実がない事を証明すればいいかも分からない。
証拠を出せと言われたところでキャロンは何もできないし、そもそも違うと言ってそう簡単に信じてもらえるはずがない。
「いや。もし君がそんな記憶がないと言うのなら、私はあの時の自分の鼻より、今の君の言い分を信じてもいいのではないかと考えている。いや、私はただ君を信用したいと思っていると言う方が正しいか」
「え?」
キャロンを嫌っている筈のエルフリートの言葉に、キャロンは再び困惑した。
今まで避けて避けられてを続けてきたので、そこまでの信頼は築けていないと思っていたが、エルフリートはそうは思っていないのだろうか。
キャロンを見つめるエルフリートの瞳は、以前のような冷たい眼差しではない。
なんとなく穏やかで、どこか期待しているようにも見える。
キャロンはじっとその瞳を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「あの、私、そのような不誠実なことはしていません。死んだ両親にも誓えます。更に女神さまにもご先祖さまにも。証拠といっては何ですが、私は男性と話したことも数えるくらいしかありませんし、不細工ですから男性からは相手にもされません」
「相手にされない?いや、確かに君は派手さはないが……ああいや、コホン」
誤魔化されたのでよく聞き取れなかったが、聞き返してもエルフリートは何も答えてくれなかった。
しかし代わりに話を戻して再び真剣な顔になった。
「とりあえず分かった。ありがとう。やっぱり君は相手を顧みないような不誠実な人間ではないんだな。ではあの酷い臭いの原因だが、何か心当たりはあるだろうか」
「臭いの原因ですか……」
もう何ヶ月も前になる、結婚式の日。
キャロンは呟きながら、その日の記憶を掘り起こしていた。
その日は結婚式の日の朝だというのに、伯父に言いつけられて馬小屋の掃除をしていた。
餌をやってブラッシングして、厩舎と馬糞の掃除もして、全身汗と汚れで汚かった。
そのあと念入りに水浴びはしたけれど、それでもまだ匂うかもしれないと心配ではあった。
そのことをよく覚えている。
エルフリートが言った沢山の男性とかなり親密に接触した酷い臭いというものがどのようなものかよくわからないが、馬小屋の臭いで臭かったという可能性しか思い当たらない。
「あの、私、その日の朝は馬小屋にいたのです」
「馬小屋に?」
「はい。私はあの日の朝、馬小屋で厩舎の掃除や馬糞を運んだりしていたのです」
「結婚式の朝だというのにか?」
「はい……そうです。私が特に臭かったのはそのせいだと思います。も、もちろん、掃除が終わってからはできるだけ念入りに体を洗ったつもりでした。でも私は臭い臭いが体に染みついてしまっているようです。お洒落もせずずっと納屋で寝起きしていましたから、それも仕方がない事なのかもしれません。でもこんな臭いお嫁さんを押し付けられて嫌でしたよね。本当にごめんなさい……」
キャロンは誠心誠意謝ったが、エルフリートはまだ腑に落ちない顔をしていた。
そればかりか、もっと他に心当たりはないのかと聞いてきた。
「というのも、あれは確実に馬小屋の掃除をした後のような臭いではなかったからだ……」
「それ以外に心当たりですか?ええと、何か忘れていることがあるような気もしますが……」
「まあいい。君が違うと言うのを聞けたのだから、今日はそれでいいんだ」
エルフリートは形の良い眉をほんの少しだけ下げた。
初めて見るエルフリートの少しだけ柔らかい表情だ。
その優し気な表情に、キャロンは安心してほんの少し胸が温かくなったような気がした。
しかしキャロンがホッとしたのも束の間、エルフリートが朗らかな顔から急に改まった顔に変わった。
また何事かが起こったのだろうかとドキリとした瞬間、エルフリートはキャロンに対して頭を下げていた。
「えっ、エルフリート様?!」
「すまなかった。信じると決めたからには、謝りたい」
「え?ど、どういうことですか?」
「私は今まで大変な誤解をしていたんだ。私はずっと、君が信用ならない女性なのだと思っていた」
「あ……えっと……」
「信用してはならない人間だから、あまり関わりたくないと思っていた。政略とはいえ結婚したというのに君に酷い態度をとってきた。本当に申し訳なかった。私は、君に命を助けられてその時にようやく君の本質を知らなければと思った愚か者なんだ。君が私を罰すると言うのならそれも受け入れる」
「エルフリート様、大丈夫です、謝らないでください!罰なんてそんな、私はエルフリート様に素晴らしいものを貰ってばかりです!キャンバスとか絵の具とか、美味しいご飯とか暖かい布団とか!」
「いや、私は君に何もしてやれていない。本来なら君は、もっと慈しまれるべきなんだ」
謝るエルフリートは真剣な顔で、今すぐ切腹でもしろと言ったらそのまましてしまいそうな勢いだった。
キャロンが慌てて宥めても、彼はしょんぼりと尻尾を垂らして首を振るばかりだ。
「本当にすまなかった」
「全然、気にしないでください!」
「いいや、それより君はもっと怒るべきだ」
「そんな!私みたいな不細工で臭い女がお嫁さんに来たら、がっかりしてしまうのも仕方がないことですから、だからエルフリート様は全然悪くないです!」
「いや君は可憐だし臭くなんてない。むしろ凄くいい匂いだ。最初は酷い臭いにかき消されて気が付かなかったが……」
「えっ。私、臭くないのですか!?」
ため息交じりのエルフリートが、ついつい漏らした呟きをはっきりと聞いたキャロンは声を上げた。
そして一方のエルフリートは、キャロンの声を聞いてハッと我に返ったようだった。
「い、いや違う!いや違わないが変な意味ではなくて!……ええと、それより誤解をしていたとはいえ君に臭いと言ってしまった非礼を詫びさせて欲しい。それもすまなかった!」
「全然大丈夫です。でも、私本当に臭くないのですか?私はボロボロで汚い上に臭くて申し訳ないといつも思っていたんです。でも今は、エルフリート様のお邪魔になっていないのですか?」
「ああ。邪魔には、なっていない」
「なら良かったです!エルフリート様は特に鼻が良く利くと聞いていたので、臭い私が近くにいてご迷惑になるのは嫌でしたから」
邪魔になっていないのならばよかった。それに、臭くないと言われてなんだか嬉しかった。
好かれない事には慣れていたけれど、やっぱり嫌われ続けるよりは少しでも仲良くなれる方が嬉しい。
幸せな気持ちになったキャロンは思わずふわりと微笑んだ。
それを見たエルフリートが小さく言葉を詰まらせたが、キャロンはそのことには気が付かなかった。
ずっと大人しくキャロンの腕の中にいたイクルが、キャロンの腕を小さく擦ってくれたからだ。
何か喋りたそうだったので視線を下に落としてイクルを見ると、イクルも「僕もそう思います。キャロンは花のようないい匂いです」と言ってくれた。
「イクルもありがとうございます」
安堵の気持ちをぶつけるように、イクルの頭を撫でたりくすぐったりしてしまう。
そしてひと段落したところで、「ところで」とエルフリートが再びキャロンに話しかけた。
「先ほど思ったのだが、何故馬小屋の掃除などしていたんだ?君は人間の国の高貴な貴族だろう」
「はい、その時の私は貴族の血筋にもかかわらず弱い魔法しか使えませんでしたから、使用人のお手伝いをすることくらいしか家の役には立てなかったのです」
「人間の国のしきたりはよく分からないが、弱い魔法しか使えない者は高貴な生まれでも馬小屋の掃除をするものなのか?」
「ええと……他の家ではそのようなことはないと思いますが、私の家は少し特別で……」
「もしかして君は、生まれた家で虐げられていたのか?」
エルフリートは少し怪訝な顔になった。
しかしキャロンはエルフリートに余計な心配はさせたくないという思いも込めて、ブンブンと首を振った。
「い、いいえ!私、仕事をするのは好きですし、両親が亡くなってから姉が家を継いで、でも魔力が少なかった私は貴族として家と姉の役には立てませんでしたから、せめて家事をこなして役に立たなくてはと」
「なるほど……君は姉の役にも立とうとしていたのか」
「は、はい。たった二人の姉妹ですし」
「そうだな、その通りだ」
一言相槌を打ったエルフリートは口元に指を置き、何か納得したような顔をした。
「君は、意地の悪い事をするような人間でもなかったんだな」
「え?」
「いいや。もう聞かなくても納得できた」
エルフリートは聞き返しても答えをくれなかったが、視界の隅に入ったその尻尾は少しだけ揺れたようだった。
何故このタイミングで揺れたのかは分からないが、少なくともエルフリートは機嫌が悪くないようだった。
そしてキャロンがエルフリートと向かい合って話をしたこの日から、キャロンに対するエルフリートの態度は少しづつ変わっていくのだった。




