地鳴りの正体
轟音と揺れが収まってから、キャロンは震えるポプリに化粧台の下で待つように言って、外に這い出した。
カーテンを開け、外の様子を恐る恐る窺う。
見上げれば夜空に静かに浮かぶ月。
見回せば眠ったように動かない庭の花。
代わっているところと言えば、少しだけ積み上がっていた石が崩れている程度だ。
ポプリの部屋から見える庭に異常なところは特にない。
見える範囲に危険らしい危険は見つからず、キャロンが再びカーテンを閉めたところで、廊下の外にバタバタと騒々しい足音が聞こえてきた。
二人分の足音がポプリの部屋の前で止まる。
コンコンとノックの音がした。
化粧台の下でビクッと更に身を縮ませたポプリに返事をする余裕はなさそうだったので、キャロンは静かに返事をした。
「どちら様ですか?」
「えっ、あれ?ここポプリの部屋であっているよね?何故新入り君の声が聞こえるんだい?まあいいや。僕たちだ。アレキスとオメロン」
どうやら、ポプリの部屋の扉を叩いたのは厨房の料理人見習いの二人のようだった。
ホッとしたキャロンは鍵を開け、扉を押した。
「あなたたちですか。地鳴りがしたので何事かと思っていたんです。あれって何だったので……」
「わあ!!」
キャロンが言い終わらないうちに、料理人見習いのおかっぱの男の子のうちの一人が声を上げた。
髪が長めのアレキスの方だ。
キャロンの顔をまじまじと見て、目を丸くしている。
「……お、驚いた。髪を切ったのかい」
「あ、そうなのです。ポプリさんに切ってもらいました。驚かせてしまいましたかね」
ポプリは良いと言ってくれたしキャロンも可愛いと思ったけれど、アレキスは前髪で隠れていたキャロンのブサイクな顔が露になっていて驚いたのかもしれない。申し訳ない。
キャロンが短くなった髪を無意識に触りながら小さく俯くと、アレキスは慌てて首を振った。
「少し印象が変わって誰かと思って驚いただけだよ。声を出してしまってすまなかったね。それで、なんの話だったっけ」
「さっきの揺れと音についてと来客用のホールの話だよ、アレキス」
アレキスの隣のオメロンがすかさず助け舟を出した。
2人はどうやら、先ほどの異常な音と揺れについて説明に来てくれたようだった。
「そうだった。先ほどの揺れと音についてだけど、魔族がとうとう侵略を成功させてここが戦場になるとか、天変地異で巨大災害が起きたとかではないから安心して欲しい」
「よかったです。では、何だったのですか?」
「うん、少し前にエルフリート様のところにお客様が来てね。来客用のホールで歓談をしていたんだ」
「ふむ」
「そのお客様というのがエルフリート様の幼なじみの方で、去年栄誉勲章と人間を陛下から賜った優秀な軍人の方なのだけど、多分新入り君は彼の事を知らないよね?」
「そうですね、全然知らないです」
「うん、君はここに来たばかりだから知らなくても仕方がないね。その方は大鷲の一族の方なのだけど、端的に言うとその方が先ほどの轟音の犯人なんだ」
「どういうことでしょう?」
ここまで聞いたが、アレキスの話にイマイチ要領を得ず、キャロンは首を傾げた。
夜エルフリートの友人が屋敷を訪ねて来たまでは分かったけれど、それが何故、先ほどの揺れと轟音に繋がるのだろうか。はて。
しかし、ぽわんと首をかしげていたキャロンは、次のアレキスの一言であんぐり口を開けて驚くことになるのだった。
「うん、泥酔したそのお客様がホールの屋根をぶち壊してしまったんだよ」
「え?」
「酔った勢いで先祖返りして、そのまま大鷲の翼でドカーンだったようだよ」
「ど、どかーん……?」
「そうそう。英雄の力はとても強いからね。屋根を翼でぶち抜くくらい訳ないんだ」
「……えっと」
キャロンは驚きでそれ以上何も言えず、口を開けたままだった。
(屋根を翼で、どかーんって)
獣人は力が強い事は知っていたけれど、選ばれし先祖返りの英雄ともなれば、酔った勢いで屋根を破壊できる程強いらしい。
以前人間の国の誰かが獣人の国の英雄の強さを巨大な獣の兵器と形容していたけど、それは誇張表現ではなくて本当の事だったのか。
一部の人間が使うトリッキーで制約の多い魔法なんかとは比べられない程強力な、獣人の圧倒的なパワー。
先祖返りをした英雄がそんなに強ければ、獣人の国が人間を欲しがって誓いとやらを立てさせたくなる気持ちも分かる。
(獣人さんはやっぱりすごいのですねえ……)
確かに最初は驚いたけれど、キャロンは彼ら獣人が恐ろしいと思うよりも先に、強くて凄いという感想を持った。
「そのお客様は今どこにいるのでしょうか?」
「エルフリート様に連れられて、来客用の部屋に押し込まれていたのを見たけど」
「では、もう飛んではいないのですか?」
「もう飛んではいないだろうね。ホールの屋根を突き破られて、エルフリート様が流石に怒ったようだったからさ」
「そうでしたか」
流石にもう静まっているか。
キャロンは、ちょっぴりだけ残念な気分になった。
実は、その先祖返りした大鷲の獣人を見てみたかったという気持ちも少しだけあったのだ。
「まあ、そういう訳だからさ。先ほどの揺れと音は気にしないで、今夜は安心して休んでおくれよ。明日は瓦礫の撤去作業とホールの修復という仕事が待ってはいるけどね」
「え~っ」
飛び切り大きな声がした。
このぶうたれた声を出したのは、キャロンではない。
いつの間にかキャロンの横に来ていたポプリが出した声だ。
「仕方がないだろう。エルフリート様は手伝いたいとは言っていたが、明日も任務で朝からお忙しいようだし。この手の雑用ができるのはポプリとボルト爺、それから新入り君くらいしかいないんだからね」
「そうさ、頑張りなよ。特にポプリ」
少しだけ申し訳無さそうなアレキスの横で、ポプリをビシッと指さしたオメロンも一言付けたした。
「オメロンとアレキスはいいですよねっ、料理の下ごしらえで忙しいから片付けしなくてもよくて。というか、壊した本人はお手伝いには来てくださらないんですかっ?」
「さあ、どうだろうね。でも本人も隊長として魔族を退けるのにお忙しいから難しいんじゃないかな」
「やっぱり!屋根の修復なんて、ポプリしたことないですけど、多分一か月以上かかるんじゃないですかっ?」
頬を膨らませたポプリを見たアレキスとオメロンは肩を竦めただけで、返事はせずに廊下の向こうに消えていった。
多分、休んでいて状況を知らない他の使用人にも説明をして回るつもりなのだろう。
……
「ほんっとに、これを三人で片づけるんですかっ?!」
翌朝、例の来客用ホールにて。
清掃と修繕係に任命されたポプリとボルト爺、それからキャロンは目の前の惨状を見ながら立っていた。
叫んだポプリの尻尾は無理無理と言わんばかりにうねっているし、ボルト爺は尻尾が短くて見えないけれど、しわしわの顔をさらにしわしわにしていた。
肝は座っている方であるキャロンでさえ、暫く動き出せなかった。
ハーレダルクの屋敷の来客用ホール。
高い天井とステンドグラス、荘厳な装飾。
楽団が音を奏でる場所も、招待客が歓談をするための綺麗なホール。
……の筈だった場所には、今や土やら砂やら瓦礫が散乱していて、元々は美しかったであろう物が滅茶苦茶に壊され、土ぼこりで白く汚れていた。
破壊されたという言葉がぴったりな無残な来客用ホール。
とてもではないけれど、一日やそこらで片づけられないような悲惨な状況だ。
ひゅうと風が無遠慮に吹き抜ける。
高い天井はまるまる吹き飛ばされて、頭上には無慈悲に広がる青い空が見えた。
「これ、どうすればいいんですかっ」
「どうしようかのう」
「どうしましょうね……」
何から手を付けていいのやら。
やっぱり、これを完全に片づけるには一か月くらいはかかってしまうかもしれない。
……人力でやろうとするのであれば。




