午後の昼下がり
草刈りを助けたことをきっかけに、キャロンはボルト爺とも仲良くなっていた。
仕事の合間に他愛ない事を話したり、仕事を手伝ったり、屋敷について色々教えてもらったり。
ボルト爺は長生きなだけあって博識で、キャロンに色々なことを話してくれた。
虫獣の飼育・食用の歴史とか、獣人の国の有名な観光地とか、各地の方言の事とか。
それからボルト爺は、午後の仕事の合間にお茶を飲むことも好きなようで、キャロンの事も時々誘ってくれた。
「あ、ボルトさん」
目の前に現れた丸い背中に声をかける。
キャロンがバケツを持って廊下を歩いていた時、ゆっくり角を曲がってきたボルト爺とすれ違ったのだ。
「ああ、新人さんかね。丁度いいところに現れたわい。今日も一杯じじいに付き合ってくれんかね」
くいくいっとティーカップを傾ける仕草をするボルト爺。
それはまるで酒を飲んでいるようにも見えなくもないが、ボルト爺曰くお酒を飲むのは年に一度にしているとのことだ。
「お茶でしたら、丁度窓拭きが終わったところですので是非!」
「ひょひょひょ。いい返事じゃ。じゃあじじいとっておきの菓子を用意してやろうかの」
ボルト爺とお茶を飲む時、大抵キャロンはお茶を用意する係で、ボルト爺がお菓子を用意する係だ。
甘いものを長らく食べていなかったキャロンにとって、ボルト爺との時間はとても楽しかった。
ボルト爺が用意するお菓子が、ちょっと硬くてちょっと古風でちょっと古そうなのだが、甘いものが食べられてキャロンはとても嬉しかった。
ボルト爺はいつでもたくさん食べろと言ってくれるし、最後に余れば持って帰っていいとも言ってくれる。
まるで、本物のおじいちゃんのようだ。
「美味いか?今日の菓子もようけあるでの」
「はい、美味しいです!」
ボルト爺はゆっくりとお茶をすすりながら、お菓子をポリポリと齧るキャロンを見た。
今日のお菓子はいつもの古風で素朴なお菓子と違って、ちょっと柔らかくてハートの形で、ローズのような香りがする。
お菓子が入っていた箱も、いつもボルト爺が用意してくれるお菓子の物よりもお洒落で可愛い。
キャロンが満面の笑顔でお菓子の感想を語ると、ボルト爺は嬉しそうに頷いた。
「これはのう、何たらっていう王都にできたこ洒落た店のお菓子なんじゃと」
「確かに形もお洒落です!流石王都ですね」
キャロンは箱に書かれたフェラルド―ラという文字をなぞった。
今勉強中の獣人の国の文字だけど、王都の名前くらいは簡単に読み取ることが出来た。
獣人の国の王都・フェラルド―ラ。
そこはどのような場所だろう。
何がある街なのだろう。
調べたことはないけれど、きっと沢山のレストランに劇場や博物館、百貨店なんかもあるのだろう。
人間の国の王都にも行ったことはなかったから、キャロンにはてんで想像は出来ないのだけれど、きっとお洒落で素敵な場所なのだろう。
「このお菓子、ボルトさんが王都に行った時に買ったのですか?」
「ひょひょひょ。わしがそんなこ洒落た店に入る訳なかろうて。じじいはいつでも駄菓子屋じゃ」
「駄菓子屋さんですか。噂には聞いていましたが、私は行ったことはないのです」
「興味があるのかえ?」
「はい!今度、私も行けたら行ってみたいです」
「ええぞ。じゃあ次の休みに、このじじいがお前さんを連れて行ってやろうかのう」
ボルト爺は街角の古い駄菓子屋が行きつけのようで、休みの度にそこに顔を出しているらしい。
今までのキャロンは働きづめでそういった珍しいお店に行く余裕もなかったから、ボルト爺の親切な提案に心底喜んだ。
お礼を言ってから、キャロンは逸れてしまった話を元に戻すことにした。
「でもボルトさんが買ったのではないのなら、このお菓子はお土産か何かなのですか?」
「土産ではなく贈り物じゃの。これはの、エルフリートを慕っておった鼬の一族の娘から貰ったんじゃ」
「えっ」
「ひょひょひょ。その娘はようできた子での。わしら使用人にもこうして菓子をくれたり良くしてくれてのう。愛嬌もあるし人懐っこい娘じゃった。でもエルフリートが人間と結婚してしもうて、大泣きしてのう」
「あ……」
「可哀想なくらい泣いておったわい」
キャロンは齧っていたクッキーをポロリと落っことした。
でも、落ちていったクッキーのかけらを拾う元気が無くなってしまった。
しょんぼりと俯く。
キャロンがエルフリートと結婚してしまったから、悲しんだ女の子がいた。
大好きな人がどこの馬とも知れないくさい女に取られて、たくさん泣いたに違いない。
やっぱり、キャロンはとても申し訳ない気持ちになった。
「それでエルフリートが結婚したのが気立の良い人間だったらまだよかったのじゃが、あやつが陛下から賜ったのは、昼も夜もずっと引きこもっとるような人間でのう」
「……」
「エルフリートも外に出てくるよう促すわけでもなく、必要最低限の交流を扉越しにしておるだけのようじゃし」
キャロンのことはカモシカの獣人だと信じて微塵も疑っていないボルト爺は、大きく溜息をついた。
ボルト爺はエルフリートが生まれる前からこの家に仕えていたというから、エルフリートの事はそれこそ家族のように、実の孫と同じくらいに思っているのだろう。
その大切な孫が酷い人間と結婚させられてしまったのだから、こうして残念がるのも無理はない。
「じじいも未だにその人間の顔すら見た事がないのじゃ。エルフリートとグリシスの様子からするに、何か問題のある人間なのは間違いないのじゃがの」
「はい……」
「使用人たちの間では、人間の奥方様は物凄く不細工と噂なんじゃ。それが本当ならエルフリートは流石に哀れじゃのう」
「はい、私は本当に申し訳なくて……」
「お前さんもエルフリートのために悲しんでくれるか。わしもな、少し悲しいんじゃ。エルフリートはどこか冷めたようなところがあるが、良い相手を見つけたら変われるかもと思っとったんじゃがのう」
「……」
サワサワと風が吹いて、キャロンの髪を揺らしていった。
普段なら心地いいと目を細めるはずの小風なのに、今だけは少しだけ冷たく感じた。
コポコポコポ、と音がして、ボルト爺がキャロンの空のティーカップにもお茶を注いでくれた。
ふわりと湯気が立ったティーカップを手渡される。
キャロンがよっぽどしょんぼりとした顔をしていたからなのか、ボルト爺は新しいクッキーも勧めてくれた。
「ほれ、クッキーをもっとお食べ。暗い話になってしまったが、今からは楽しい話でもしようかのう。何の話がいいかえ?若い頃のじじいが電光石火の亀と呼ばれておった話か、それとも若い頃のじじいのモテっぷり自慢でも聞くか?」
キャロンはなにも返事をしていないけれど、ボルト爺はかつて城下の町の誰よりも足が早かった話を語り出した。
ボルト爺の話はいつも面白くてキャロンを楽しませてくれるけれど、今日のキャロンは殆ど上の空で聞いていた。
エルフリートは、ボルト爺の言っていた鼬の一族の女性と結婚していたら幸せだっただろうか。
それとも、美人の姉のエイルと結婚できていたら喜んだかも。
きっとどっちが相手でも、キャロンとの結婚よりは良かっただろう。
キャロンは二人のようにエルフリートを喜ばせる事ができないから、せめて綺麗で居心地の良い屋敷を保ち続けよう。
キャロンが今まで培ってきた家事の技術を活かして、この屋敷の使用人も助けよう。
キャロンにふわふわ布団と雨漏りしない広い部屋を用意してくれたエルフリートが少しでも喜んでくれるように。
キャロンが改めて決意した、そんな午後の昼下がり。




