ボルト爺と草むしり
「ふんるるるるふふーんふんふん、ふふるーん」
キャロン作詞キャロン作曲の鼻歌だ。
ハーレダルクの屋敷に来てから数週間。
この屋敷で寝起きするようになってから、とても調子が良い。
それは毎日3食、虫獣のお肉ばかりだけど美味しい食事をおなか一杯に食べることが出来るからだろうか。
ふかふかベッドでぐっすり眠れるからだろうか。
雨漏りのしない清潔な部屋を与えてもらったからだろうか。
部屋に備え付けられている紙とペンで、好きな絵が描ける時間があるからだろうか。
きっと、理由はその全部だ。
結婚相手には嫌われてしまった花嫁だけれど、キャロンはすこぶる元気に暮らしている。
すこぶる元気で、エルフリートが屋敷にいない時間帯限定ではあるけれど、いつもの1.2倍の効率で働いている。
「ふんるるるるった、ふんるるるるった、ふるーん」
こんな晴天の鮮やかな日には、庭仕事をするに限る。
キャロンは朝のうちに描いて魔法で出しておいた剪定鋏とバケツを片手に、ハーレダルクの屋敷の庭に出てきていた。
すうっと息を吸い込む。
空気が美味しい。
花の色が美しい。
緑が目に眩しい。
正門から玄関までの庭はよく手入れされていて、キャロンがしゃしゃり出るまでもないようだった。
だが、庭は広い。
キャロンは東側の花のアーチをくぐり、温室の脇を通って屋敷の裏側へとやってきた。
「ふむ。今日の仕事場はここですね」
屋敷の裏側。少し日の当たりにくい陰にある庭を見て、キャロンは唸った。
そこには、一面雑草が広がっていた。
正面のよく手入れされた庭と違って、しばらく放置されていたような気配がある裏庭。
以前は使われていたであろうテーブルとチェア、水が枯れた噴水、錆びてしまった藤棚なんかもあった。
よし。今日はここを綺麗にしよう。
先ずは雑草から。
持って来ていた鋏を構える。
いや、待てよ。
これは剪定鋏だから、雑草を刈るのには不適切だろうか。
キャロンは手に持っていた剪定鋏を地面に置いて、ポケットに忍ばせていた真っ白な紙を取り出した。
キャロンはシャシャシャ、とペンを走らせる。
真っ白い紙の描き心地は最高だ。
部屋に備え付けられていたペンも、インクが掠れたりしない高級なものだ。
サッサッサ。
素早く仕上げを描き入れて、紙に魔力を流し込む。
両手に収まるくらいのものを一つだけなら具現化できるから、キャロンは草刈りの為に草刈りがまを作った。
よし。
では草刈り開始だ。
キャロンが屈んで草を刈ろうとしたその瞬間。
ひょこっ。
目の前の雑草の影から、誰かの丸い背中が飛び出してきた。
「えっ」
「ひょお」
キャロンとその人物は鉢合わせ、お互いに驚いて声を出した。
目をぱちぱちさせながら、キャロンは相手を観察する。
雑草から出てきた丸い背中の人物は、お年を召した獣人だった。
動作には品があるが終始眼をしょぼしょぼさせて、しわしわした指で顎を撫でている。
獣人は人間より寿命が短いと聞いていたのに、結婚式の日に出会った獺の司祭よりも老人の獣人がいるなんて。
「お前さんは誰じゃ?」
キャロンより先に、目の前の老人が質問した。
「あ、私、最近このお屋敷に来ました」
「ほうほう。であればオメロンとアレキスが言っていたあのカモシカの新人さんかね」
「あ、えっと、それなのですけど……」
「よいよい。田舎から出てきたのは悪い事ではないわ。若者は大志を抱いてこそ。人生は短いぞ、好きなことをやらねばの」
実は人間なのですという前に、老人はポンポンとキャロンの肩を叩いてきた。
キャロンの祖父母は短命だったけれど、もし交流があったら彼らもこんな感じだったのだろうか。
「おお、わしの自己紹介がまだじゃったのう。わしはボルトレイクというんじゃがの、皆からはボルト爺と呼ばれておるよ」
「ボルト爺、さんですね。どうぞよろしくお願いします」
ボルト爺がしわしわの手を差し出してきたので、キャロンは咄嗟に作業着で手を拭いてから差し出した。
ぎゅっと握手で挨拶を交わす。
ボルト爺は細い目を更に細めて笑った。
「ひゃひゃひゃ。じじいは珍しいか?わしは亀の一族じゃから、珍しくじじいになるまで長生きする獣人なんじゃ」
「なるほど、亀の一族なのですね……!」
「ひょひょひょ」
ボルト爺はキャロンとしっかり握手をすると、くるりと半回転をしてキャロンに背を向けた。
「今日のじじいはここで草むしりじゃ。引っこ抜いても引っこ抜いても草はすぐに生えてくるで、もう腰が痛くてかなわんのう」
トントンと丸いい腰を叩きながら、ボルト爺は草むしりに戻っていく。
丸い背中を屈めたボルト爺を見れば、ぶちぶちと素手で草を引っこ抜いている。
頑丈な獣人だからいくら草を素手で抜いても傷つかないとはいえ、溢れんばかりの雑草を刈るためには、それはいささか効率が悪いかもしれない。
「あの、これ、使いますか?!」
えっちらおっちら、ぶちぶちぶちと一つづつ雑草を抜いていくボルト爺の姿に、キャロンはいても立ってもいられなくなってそう提案していた。
「なんじゃこれは」
「草を刈る道具です。草刈り鎌って言うんですけど、こうして何本もの雑草を根元から、一度で刈り取れます!」
キャロンが実演してみせてやると、ボルト爺は口をあんぐりと開けた。
「おお!これはさながら熊の爪や猪の牙と同じという訳じゃな!この屋敷には熊の使用人も猪の使用人もおらんで草むしりが大変じゃったが、これは役に立ちそうじゃ!」
草刈り鎌を受け取ったボルト爺は草を掴み、鎌をえいっと振り下ろした。
「あ、ボルトさん。そこではなくて、草の根元を切るといいですよ。狙い目はこの辺りです。節になっていて切りやすいのです」
ボルト爺は人間より力の強い獣人だから、何も考えずに鎌を振っただけで草が切れないことはないのだが、もっと楽に刈る方法もある。
キャロンは草刈りのコツもボルト爺に伝授していた。
「ほうほう、なるほど」
ボルト爺は嬉しそうに頷き、キャロンから草刈りのコツを一通り教わると、意気揚々と草むらに飛び込んでいった。
ボルト爺が喜んでくれてよかった。
でも、キャロンの手元には剪定鋏しかなくなってしまった。
キャロンの微弱な魔法は一日に一度しか使えないから、もう草刈り鎌を描いても今日は具現化できない。
それでも手持ち無沙汰だったので、小さな草刈り鎌を紙に描いてみた。
(これは明日具現化して、今日は鋏で頑張ることにしましょうか……)
「あれ?」
いつの間にか、キャロンの手のひらの上に草刈り鎌が載っていた。
今さっきキャロンが描いたものだ。
これは二回目のはずなのに?
具現化が成功した?
なぜ?
キャロンは首をかしげていた。
(魔力が強くなっているのでしょうか……?)
いつもはポッと蝋燭が灯るような魔力しか感じられないのに、今日はそれが少しだけ大きくなったように感じた。
「でもそんな気がするだけで、そんなことはないでしょうね」
独り言をつぶやく。
今までずっと蛍の光のように微かな魔力しかなかったキャロンだ。
成長期もとっくに終わったし、ここに来て魔力が大きくなったなんて話は聞いたことはない。
「それよりも、草刈りですよね」
気を取り直したキャロンは紙から具現化させた草刈り鎌を持ち直し、雑草の海の中に飛び込んだ。
そして早速、腰をかがめて草を刈りにかかった。
……のだが。
「やはり……終わりませんね」
「ひょひょひょ。きりがないのう」
雑草に埋め尽くされた裏庭は強敵で、キャロンとボルト爺二人ともが草刈り鎌を装備しても一日では終わらない量があった。
夕方まで作業をしても、雑草はまだまだ生い茂っている。
刈っても刈っても裏庭は綺麗にならない。
キャロンは軍手も装着していたが、鎌の握り過ぎで手の皮がむけてきてしまった。
全然平気ではあるのだが、少し痛い。
「明日、どうしましょうか」
「この鎌とやらが随分と楽にはしてくれたがの、明日も明後日もまた雑草と格闘じゃろうな」
「そうなってしまうでしょうかね……」
暗くなってきたので今日の作業は中断となったが、明日明後日だけで果たして作業を終わらせることは出来るのだろうか。
いいや、きっと明日明後日だけでは終われない。
この量の雑草を舐めてはいけない。
(なにか、やりようはないでしょうか……)
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