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くさいと言われた女の子






「臭い。酷い匂いがする」


初めての顔合わせの日。

目の前の男はキャロンを見て顔を顰め、低い声でそう呟いた。


結婚はもう決定事項だからするしかないが、夫婦とは名ばかりだ。必要以上に交流はしたくない。そんな感情が男の冷えた目から読み取れた。

そして獣人である男の、とびきりに大きい尻尾は嫌悪で終始毛が逆立っていた。


男が明らかにキャロンを嫌がっているのを見て、キャロンは何も言えずしょぼんと俯いた。

そして横で人間の国の担当官が男と交渉を始めたのを聞きながら、大人しくしていた。



(くさい、ですか……)


香水も持っていないから付けてないし、今着ているこのドレスはキャロンの持っているボロボロの作業服ではなくて姉のお下がりのドレス。これはキャロンにとっては一張羅だ。


ならば、彼が言うキャロンが臭い理由はきっと、キャロンが埃っぽい部屋で寝起きし、屋敷中に雑巾掛けをして、泥だらけになりながら草むしりをして一日中脇目も振らずにあくせくしているからだ。

年頃の女の子のくせにオシャレをさせてもらうこともなく、年中小汚い格好をしているキャロンには、そういう臭さが染み付いてしまっているのかもしれない。

いや実際、姉のエイルには毎日のように臭いだのブサイクだのと罵られている。

自分では慣れてしまって気が付かないが、相当ひどい匂いなのだろう。


(だから、彼は耐え切れずくさいと呟いたのでしょう……)


本来であれば美しい姉を嫁にもらえていたはずなのに、妹のキャロンなんかを嫁に押し付けられてしまった彼は可哀想だ。

きっとこんなボサボサで汚くて臭い女、彼は結婚したく無かっただろう。

臭いと怒れてくるのも無理はない。

彼には本当に申し訳ない。


(ああ、本当にごめんなさい。私のような者を押し付けられて、彼には何とお詫びをしたらいいのでしょうか)


キャロンはこっそりと対面のソファに座る男性に視線をやったが、男性の方はキャロンに見ることはせず、ただ淡々と事務的に担当官に受け答えをしていた。



従者を一人隣に付け、ソファに座る男性――キャロンの結婚相手のその男性は、エルフリート・ハーレダルクという銀の狼の獣人だった。

獣人であることはその大きな銀の尻尾を見れば一目瞭然ではあるが、尻尾以外の見た目はほとんど人と変わらない。

彼はひゅっと息をのむほど鋭くて、アッと驚くほど麗しい見た目をしている。



しかし何故、そんな男性と、キャロンが結婚することになったのか。


実は最初は、キャロンの姉・エイルとエルフリートの結婚のはずだった。



事の発端は、エイルの元にある日突然王宮から真っ青な手紙が送られてきて、否が応無く獣人の国のエルフリートのところへの嫁入りが決まった事だった。


屈強な戦士を多数擁する獣人の国は、人間の国から色々なものをもらい受ける代わりに、魔族の攻撃から人間の国を守る防波堤の役割を担っている。

人間の国が獣人の国に見返りとして提供する物は資金や糧秣が主だが、毎年数人、質の良い若い人間の男や女も送られる。


獣人の国に贈られる質の良い人間、というのは古くから王国に住まう古の血が流れる人間たちのことで、いわゆる貴族と呼ばれる古い家に連なる者たちの事だ。

獣人の国は自国増強の為に、毎年何人かの貴族の男性と女性を人間の国からもらい受け、国の中でも一等に優秀な獣人の伴侶にするのだ。


年に数人しか選ばれない強い獣人のみ人間を結婚相手に貰い受けることができるから、獣人の国では人間と結婚することが一種のステータスだと言われている。


そして獣人は人間に特別な誓いを立てることで、巨大な力を覚醒させることが出来るのだという。

その覚醒についてキャロンは詳しいことは知らないが、獣人の国の王はその力を持つ者を大変尊重し、獣人の国の人々はその者を英雄と呼ぶらしい。

人間が獣人にもたらすメリットはそれだけでなく、人間に子供を作らせると子はとても強く賢い獣人になるだとか、人間の伴侶を持つ獣人自身も他より数倍長生きになるだとか、他にもいろいろあるとのことだ。



今年は、それにキャロンの姉のエイルが招集された。

エイルもキャロンも古い人間の血筋の若い娘であり、選出される可能性は十分にあった。

ただ何百と候補がいる中で選ばれてしまったのは、運がなかったと言う他なかった。

でもエイルは嫌がって怒った。


「獣人なんて嫌に決まってるでしょ。獣人は野蛮で馬鹿で意地汚くて気持ち悪いじゃない。あいつらと結婚なんてしたらそれこそ人生終わりだわ。こんなの私じゃなくて出来損ないのキャロンが行くべきよね?獣人は人間なら誰とでも喜んで結婚するらしいからあんたでもいいでしょ」


死んだ両親が残してくれた侯爵家の当主となるエイルは、当たり前のようにキャロンを身代わりに差し出す準備を始めた。

エイルは青い手紙を寄越した王宮にもその要求を通した。

そして、キャロンにも。

キャロンは、特に嫌がることも抗議することもなく、それを受け入れた。


妹として、姉と家を助けられるならばそれでいい。


キャロンは幼い時から、姉と家を守るよう言われて育てられてきた。

「お姉ちゃんにもしもの事があったらお願いね」

「お姉ちゃんの言う事をちゃんと聞いて、お姉ちゃんを助けて生活するのよ」

「何があっても家を守っていくんだぞ」

まだ生きていた頃の両親は毎晩、寝る前にキャロンの頭を撫でながらそう言った。


キャロンはその約束を、ずっと覚えて生きてきた。

姉を陰から支え、姉を助け、姉に従った。


本当は、不幸な事故で突然死んでしまった両親の願いは、姉妹仲良く暮らしてほしいというものだっただろうけれど、今は少し歪に変わってしまった。


やがて強い魔法が発現して持て囃されて、叔父たちに助けられながら侯爵家を切り盛りしていくうちに段々と変わっていった姉。

元々気の強い性格ではあったけど、環境が変わって姉は更に攻撃的で高飛車になった。

だけど、それでも家を守ってくれる姉を助けるのが、妹として生まれてきた者の務めだとキャロンは思った。


姉に蹴とばされても、使用人のような扱いをされても、鬱憤のはけ口にされて叩かれても、キャロンは姉を支える為に尽くした。

痛いと思ったことも嫌だと思ったことも悲しいと思ったこともあったけれど、姉は両親が残してくれたたった一人の姉妹だし、何をされてもキャロンは泣いたりしなかった。

家の全ての仕事を押し付けられて朝から晩まで働いて、時々姉の罵声を浴びて、おなかを空かせて埃の溜まった薄暗い納屋で毎日寝ることになっても、文句は言わなかった。


今回、姉を助ける為に姉の身代わりとなって獣人の国へ行くのだって、笑って頷いた。

姉は長女だから家を守らなくてはならない。

ならば未知の国である獣人の国へ行くのは妹のキャロンが適任だ。


それにそもそもの話、エイルはこの世の終わりのように結婚を嫌がったけれど、キャロンは獣人を気持ち悪いなんて思わない。

文化は低レベルで獣人たちは馬鹿だという人や、獣人は強欲で暴力的だと毛嫌いする人も多い。

更には、エイルのように獣人との結婚は生贄に出されたようなものだと言う人も中にはいる。

だけど、キャロンはそうは思わない。

獣人は人間の国を魔族から守ってくれえているし、強いし、かっこいいし、それになにより尻尾がモフモフで可愛いではないか。



いや。

まあ、このキャロンの目の前にいるキャロンの夫になる獣人は、尻尾の毛を終始逆立ててモフモフとは程遠いが。


でも大丈夫。

何処へ行っても泣いたりはしない。

結婚したからと言って、愛してもらえるなんて思ってない。

温かい寝床も温かい食事も、期待はしない。


でも、このエルフリートのお屋敷が、小さくてもいいから鉛筆と、切れ端でもいいから紙が貰える場所だといいなと願った。


絵が、描きたい。

紙と鉛筆。キャロンがこの結婚に望む物はそれだけだ。

安いものでいい。

古いものでもいい。

でも、紙と鉛筆。

キャロンは絵を描くことが唯一の楽しみだから、絵は描いていたい。


それにキャロンの持つ小さな小さな魔法、それはキャロンが大好きな絵を描いている時に発現する。






「では、来週の式はその手筈でお願いする。私はこれで失礼する」


人間の国の担当官と交わした書類をテーブルでトントンと纏め、エルフリートはそれをそのまま従者に手渡した。

従者の男は涼しい顔をしたまま、その書類を受け取った。



ソファから立ち上がってさっさと扉を開けて出て行こうとするエルフリートを見て、キャロンはパッと立ち上がった。

せめて、お別れの挨拶はするべきなのでは。


「あの……」


どうぞよろしくお願いしますなのか、ではまた、なのか。

キャロンが何かを言う前に、エルフリートが冷たく言った。


「失礼」


エルフリートは頭を軽く下げてはくれたが、キャロンとは目を合わせてくれなかった。

そして早くこの部屋から出て行きたいとばかりに、従者と共に足早に去っていった。


(折角獣人の国で優秀な戦士にまでなったのにお嫁に貰えた人間が私じゃ、ああいう態度になってしまうのも仕方のない事ですよね……)


キャロンは自らのくすんだボサボサの髪を見つめる。

ハアと息を吐いた。


王宮から派遣されて来ていた担当官もキャロンに声をかけることなくスタスタと応接室を出て行き、キャロンは部屋に一人取り残された。


誰もキャロンの事など気にかけない。


(私はこんなに汚くて、お化粧もしていなくて、唯一のお洒落は姉のお下がりのこのドレスだけ)


でも、キャロンに似合っているのか定かではない真っ赤なドレス。

胸元が大きく開いたドレス。

男性にモテモテで美人の姉のエイルが着こなしていたドレス。


エイルは侯爵家の人間らしくとても社交的だった。

パーティでは目立ち、夜会では一目を置かれるような存在だった。

それゆえに舞踏会へ行くたびに男性を引っ掛けて帰ってきたり、夜会へ行くたびに男性をとっかえひっかえもしていた。それに加えてキラキラに輝く宝石や、高価なアクセサリーをいつも男性に贈って貰っていた。

強い魔法が使える立派な侯爵家の後継ぎで、セクシーで美しいエイル。

エイルはボサボサでヨレヨレのキャロンと違って、とても魅力があるのだ。


(やっぱり、エルフリート様も姉のような女性と結婚したかったでしょうに。だから終始機嫌が悪かったのかもしれませんね。本当に、何度考えても申し訳ない気持ちでいっぱいです)








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