第一章 覚醒編 目覚め
気が付くと車に揺られていた。後部座席に横にさせられ、体は固定されていて身動きが取れない。
前座席の背もたれ越しにヒロとジャックの頭が見えた。
呼ぼうとしたがうまく声も出せず呻ることしかできてなかっただろう。
「!ヒロ!モニカが目を覚ました!!」
「おぉ!もうすぐ病院につくからな。もう少しの辛抱だ」
「あ、あうぅうぅ…」
「喋らないほうがいい。多分あばらも折れてる。無理はするな」
息をするだけでもかなりの痛みを伴うことに気が付いた。気が付いてしまった。
気が付いてからはもうずっと痛い。すごい力で肺を鷲掴みにされているかのような痛みだ。
私が一人痛みに悶絶していると、ヒロが口を開いた。
「すまない。俺の判断ミスだ。また同じ間違いを…」
ヒロの語気に勢いがなくなっていく。
私とジャックを置いて行ったことを謝っているのだろう。
そんなことはない、あれだけ巨大なグレズリーに気が付けなかった。避けれなかった私が悪いんだ。
「ソイツがいなかったらとジャックに聞いた。俺の役割だったんだがな…」
(ソイツ?)
ソイツという言葉に引っかかった。
ふと真横を見ると…いる…ソイツが。
私とソイツは車の後部座席に並んで寝かされていた。ンで近い。
驚いてビクッっとしてしまった私はまた全身の痛みに悶絶した。
病院に到着し、体中の検査を行った。
結果、左腕の骨折・あばらの骨折・ヒビ・左足のヒビ。
治療魔法による治療によって入院2日と診断された。
魔法がなければ完治まで何か月かかるとか話をされたが、興味なかったし余裕がなかったので聞き流す。
でもいろんな機械に繋がれた自分の姿は確かに酷い有様だった。
二日後
魔法のおかげで後遺症の問題もなく2日で退院できた。
人間が元来持つ治癒力を魔法で無理やり増幅させるものだったので、もうヘトヘト。
怪我は完治したがしばらくまともに動けなさそうだ。
私のほうは病院で安静にしていただけだったので特に何もなかったが、
ヒロとジャックは事後処理に追われて大変だったようだ。
ただでさえ討伐周期が遅れて魔獣の数が増えていたのに今回の事件だ。
相当数の魔獣が森から抜け出して大事になっていた。
まだ日が高いうちの迅速な対応のおかげで、一般の被害はほとんどなかったらしい。
それらの討伐とレポートの提出、そして本来の目的だった魔術陣内の魔獣討伐までこなしていたそうだ。
大方問題が解決し、私も退院となったときにもう一つの問題が出てきた。
少年をどうするか。少年はあれ以来目を覚ましておらず、名前すら知らない状態。
身元が分かるものも一切持っていないということで、病院に置いて行くわけにもいかないのだ。
「俺は立場上ここに残ってアイツを見てなきゃならん。お前たちは帰りたければ定期便でも使って帰っててもいいぞ」
そういうヒロは働きすぎでやつれている。
戦闘ではほとんど疲れてはいないだろうから事務手続き的な面で相当疲れたのだろう。
私も命の恩人に礼を言わなければならないと思ってしばらく残ることにした。
ジャックは…
「こいつのせいで余計な仕事が増えた!故意であれ不可抗力であれ一発殴らなきゃ気が済まねぇ!!!残る!!」
と言って残ることになった。
それから交代で眠ったままの少年の監視をしていくことになった。
監視とはいっても病室に残り、対象が目を覚ましたら他二人を呼ぶだけだが。
その日の夜。ヒロから私へ引き継ぐ。
その時に少し話をした。
「魔術陣の損害に関してだがな。不可解な点があった」
「不可解?」
「内側からの破壊で、コイツが壊したのはほぼ確定だ。グレズリーに追われて勢いで壊しちまったんだろう」
「まぁ、当然なんじゃないんですか?」
「問題はどうやって陣内へ入ったかだ。入り口は門一つしかない。正式な手続きができない「荒らし屋」なら陣を外から破壊して入るしかない」
「入った場所が他にもあるとか?」
「それなら侵入した時点で魔術陣の効果は消滅してる。出るときはそのまま出ればいい」
確かに。一度外から破壊すれば、魔術陣の機能は停止して出るときはそのまま出れる。
侵入経路が完全に不明で不可解な状況だ。
仮説がいくつか上がる。
・最初からそこにいた
・入ったっきり迷って出られなくなった。
・魔獣の突然変異か何かで人間に化けた。
・湧いて出た。
最初と最後はないとして、他二つも引っかかる。
迷って出られなくなった説は、出入りの人数を厳しく監視しているのでありえないと思うし、仮にあったとしても身元が分からないのも説明がつかない。
魔獣の突然変異説は、絶対あり得ないわけではないが、獣が人間に化けたとしても、見ればわかるクオリティなのがほとんどだ。
ここまで人間らしい化けであればもはや悪魔レベルだ。
悪魔はそもそもこんな回りくどいことしないだろうし、魔獣に追いつめられることもないだろう。
考え込むヒロだったが、パッと私に向き直る。
後頭部を搔きながらバツの悪そうな顔をして彼は話し出す。
「モニカ。ガーディアンとしてやっていけそうか?」
唐突な質問に驚く。なぜそんなこと聞くのか。私には無理だといいたいのだろうか。
確かに私はグレズリー相手に何もできなかったのは事実だ。
私はつい攻撃的に口が出る。
「私じゃ無理だって言いたいんですか?」
「違う。そういう意味で言ったんじゃない。話は聞いてる。お前は死を目の当たりにして何を考えた?」
ハッとした。
私はあの時確かに『死にたくない』と考えた。
願った。
生への執着は剣を鈍らせるなんて言う英雄の言葉が叙述史にあったっけ。
ガーディアンとして死ぬことを覚悟していたにもかかわらず、私は生を望んだ。生に執着したのだ。
「…死にたくない…そう思いました。生きたいって…」
言葉に詰まりながら話した。"守護者"失格だと思ったから。
生に執着すれば逃げてしまうかもしれない。誰かを助けられないかもしれない。
辞めろと言われてしまうのではないかと思った。
私が思うガーディアンっていうのは、人々を命に代えても護る存在だ。
そして私の理想像とかけ離れた自分の気持ちに困惑している。
頭に手が乗った。硬くて武骨な大きな手だが、優しく温かい。
「…それでいい」
優しい声で、心底安心したようにそう言うと頭をなでてくれる。
すると私の視界がぐちゃぐちゃに歪んだ。
大粒の水がボロボロと流れ落ちる。
それが涙だと気が付くと、気持ちが追い付いたのか私は泣いた。
私が声を出して泣いている間、ヒロは私の頭をなでてくれた。
「怖かった…」
「あぁ…あれは俺でもビビる…よく生きててくれた」
優しく背中をポンポンと叩いてなだめてくれる。
「ガーディアンとして…死ぬ覚悟は…してたはずなのに…」
「死ぬ覚悟?俺はそんなのしてないぞ?俺だって死にたくない」
「え?」
思いもよらない言葉をヒロから聞いて驚いてしまった。
何十年もこの世界で強い敵と戦ってきた彼が死を恐れている。
今まで何回も死の際をさまよったこともあるだろうに。
「死んででも戦う・護るという覚悟は確かに必要だ。だが本当に死んじまったらそこで終わり。
残された者をどうやって護る?護るためには自分が生きなきゃならん。
誰よりも自分が生きなきゃ他を護れないんだ」
重く低い声でヒロは言った。生きて護るという覚悟をもって彼は戦ってきた。戦っている。
「いいか。自分の命を代償に何かを護ろうとするな。
それは1を助けて10を殺すことになりかねない。
俺だったら1を見捨てて生き残る。で、10助ける」
彼の発言の中の1を見捨てて生き残るという言葉に恐怖を覚える。
言葉の調子から彼はそういう場面に何回も遭遇してきたのだろうか。
「その1を捨てるときはどんな気持ちなの?」
つい口に出てしまった。だが聞きたい。
その時どうやって選択するのか。何を考えるのか。
「目の前で死ねば虚脱感に襲われる。あとで知れば虚無感が来る。
その時には無理だと思って見捨てても、今にして思えばもっとやりようがあったかもしれない。
全員助ける手段があったかもしれない。
…何回も…何百人…何千人…考えようによっては万も超えるかもしれない。
俺はそれだけの人々を俺は見殺しにしてきた。でもそれ以上の人達を助けてきたつもりだ…
自分を正当化するつもりはない。
だが俺は死ぬわけにはいかない。より多く人を助けるためにもな。
だから俺は自分で何でもできるように訓練して、学び続けている」
いつもよりもさらに低い声で、でも確かな口調で、噛み締めるように彼は語った。
言葉が出なかった。私が考えてきたみんな助けるというのは現実を知らない少女が夢見た理想でしかなかった。
パンッとヒロが手を鳴らす。
「お前が死を目の当たりにして何を思ったのか聞きたかっただけだ。
お前の目…しっかりと見させてもらった。真っ直ぐと強い意志だ。
わり。重い話になっちまったな。監視頼む」
「………はい。おやすみなさい」
話が終わって彼は病室の扉に手をかける。
「あと最後に。護ってやれなくてすまなかった」
そう言って病室を出て行った。
あぁそうか。
ヒロは護れなかったんだ。私を。
自己嫌悪…はあの人のことだからしないまでも、自分を責めているだろう。
『また同じ間違いを…』
彼が車の中で吐露した言葉が頭をよぎる。
ひょっとして10年前の事件…指導役をやらなくなった原因のことだろうか。
外の虫の音だけが聞こえる病室。
いけない。悪いことばっかり考えてしまうな。
死んででも戦うが死ぬわけにはいかない。
この矛盾の上で戦い続けていくことになるのだろう。
なんとなく私の中で素直に腑に落ちた感覚があった。
夜も更け、ジャックと交代…のはずなんだけど…
…約束の時間から10分経っても来ない…
寝てるな。と確信した。
交代がなかなか来ないことに腹を立てていると病室のドアが開いた。
頭に大きいたんこぶを作り、ヒロに首根っこつかまれ、怒られた猫のように丸まるジャックがいた。
その間抜けさに私が笑いをこらえていた時だった。
ボンッ!!
という音と共に部屋が明るくなった。
少年から火が吹き上がっている。
急な発火に理解が追い付かず全員硬直してしまった。
私はとっさに魔術印を結び叫ぶ。
―空間魔法・大気固定―
任意空間の空気を固定し、火への酸素供給を止める。
魔術的な炎であっても酸素がなければ燃えない。
火は消えた。
ベッドは焼け、壁にもすすが付き、病室は焦げた異臭に覆われた。
少年は目を覚ましていた。
ヒロが腰のダガーに手を回す。敵ではないという確証はない。
ジャックは騒ぎで集まっていた野次馬達を安全な場所まで押し下げた。
「やあ。目が覚めたかい?俺はヒロ。君の名前は?」
「あ…うう…な…まえ…?」
「君の名前」
「な…まえ…」
「どうした?」
「わ…からない…なまえ、わからない」
急な展開だ。彼は記憶消失者「ロスト」だった。
その名の通り、自らの名を思い出せない人間のことで、不思議なことにどんなに調べてもその人間に関する情報にたどり着くことができない。
魔王の支配する土地から逃げてきたとか、未来人、過去人、異世界人など、さまざまな説が存在するが、
当人の記憶がない以上それらの説を裏付けることはできない。
するとヒロがうなだれながらつぶやく。
「ロストか…こいつぁ厄介だな…」
「いろいろ手続きとか必要ですからね」
「それもそうなんだが…それよりも魔術陣損壊の責任を問えない。というとは全部俺の責任にされる…」
「oh...」
ギルドの運営面での闇を見た気がする。
さっきまでの頼もしい背中はそこにはなく、切実な悲しい現実を連想してしょぼくれるおっさんがここにいる。
ヒロの境遇にも同情の余地はあるが、今は少年のフォローのほうが大事だろう。
「私はモニカ。あなたに助けられたお礼がしたいのだけれど、あの時のこと覚えてない?」
「大きいクマ…」
「そう!そこは覚えてるのね。本当に助かった。ありがとう」
「…必死だった…やらなきゃ殺されてた…」
驚くほど受け答えがはっきりしている。それに落ち着いている。
頭がまだ状況を理解しきれていないのだろう。
「こいつはおめぇさんの剣だな?」
「…!俺の剣だ!!…」
「盗ったりしねぇよ。ここに置いておくぞ」
「…ありがとう…」
名前も出身もわからない。ほとんど何も知れない。情報が少なすぎる。
これには流石にヒロも頭を抱える。
実は「ロスト」は珍しいが一般に認知されている。
というのもこの人たちは大抵、何かしらの才能を持っており、
その才能を生かせる仕事をすれば瞬く間に名をはせる。
歌手や画家のような芸術家、政治家など、有名人が実は「ロスト」だったというのは結構ある話だ。
それに伝説に語られる英雄にもそういう描写があったりする。
なので「ロスト」に関する諸々の手続はマニュアル化されており、そこまで難しい話ではない。
面倒くさくはあるが…
「退院したらとりあえずギルドへ連れ帰って保護だな」
遠い目をしながら気の抜けた声でヒロが言う。
任務の報告に合わせて、魔術陣損壊に関する説明や報告書、「ロスト」の事務的手続きと一気に仕事量が増え、目に見えてテンション下がっている。
流石にかわいそうなので書類系は手伝ってあげることにしよう。
病院のあった蒸気都市モリスを出てギルドへと帰る道。本来の予定なら、王都ヴィッツで一泊して観光のはずだったが…
まぁ、イレギュラーにイレギュラーが重なってしまって仕方がないと思うしかないか。
王都前の街道を走り東へ。休憩を取りながら1時間ほど走って見えてくる。
交易都市ミレニアム
王都と街道で直接つながり、さらに複数の地方都市の中継地点として古くから栄えてきた町。
門をくぐり町の中心へ向かう。
交易で賑わい街が手狭になってくると、そのたびに拡張していった。
だが王都の近くにこんな立派な城があるのは王族的には気持ちのいいことではないことから、元々あった城壁は取り壊され、新しい城壁を外側に作る。
その時の堀は運河として使われて、物資の搬送なんかをするのに使われている。
結果として、領主の簡素な城を中心に、放射状に延びる大通りと3重の運河に囲まれた立派な都市となった。
第一区と呼ばれる、街の中心であり、始まりの街。
中心は交易都市というにふさわしく、店舗の数は圧倒的、露店も道端を埋め尽くすほどにあり、活気に満ちている。
大通りの交差点を右に進むと見えてくる大きな建物。
木の骨組みにレンガの壁。まぁ一般的な建築様式ではあるけど、貴族の敷地と遜色ない広い土地にたたずむそれは、威風堂々たる存在感を放っている。
私たちが所属する総合ギルド「パシフィック」
総合ギルドというのは、本来ならば各部門ごとで一つのギルドになりうる、あらゆる職種の人たちが集まるギルド。
各地の未開地の探検、情報収集、安全確保を行う「冒険者」
遺跡やダンジョンなどの探索によって一攫千金を狙う者。前人未到の地を発見、踏破して歴史に名を残したい者。
敷居は高くなく、ガーディアンよりも行動の自由度が高い。ガーディアンと並行して活動する者も多い。
街の医療を担いつつ、魔術の研究などを行う「グリーンワッペン」
医師、軍医などとして医療に携わる者。医療系の魔法魔術の研究をする者。
難易度が高かったり、危険度の高い依頼を受けた冒険者やガーディアンに付き添い、有事にサポートを行ったりもする。
都市のインフラ整備、維持管理「ビルド」
土操魔法を用いて、土地の整備を行う者。木の加工を行なう者。建築の専門家など。
この都市ミレニアムの拡張を行ってきたのもこの部門だ。
領主の管理下ではないが、実質的に公務員と言っても過言ではないだろう。
そして私たち、人間の脅威となる存在から護る「ガーディアン」
悪魔、魔族、魔獣、モンスターなど、人族に敵対している種族などを相手にする。隣国との戦争にも防衛として参加することもある。
冒険者は危険が生じたら撤退する余地がある一方で、ガーディアンは撤退を許されない。すぐ後ろには守らなければならない存在があるからだ。
そのため、他部門と比べ平均年齢は低い。
これらの職業の人達がそれぞれ、時には協力して任務にあたる。
ギルド前に駐車し、「ロスト」を連れて中へと入っていく。
大きい扉を開け入るとテーブルが並ぶ待機所兼食堂。
たくさんのメンバーがそれぞれ食事をしたり、ゲーム、任務の話などをしている。
「おぉ~。クラスレッド様のお帰りだ!」
「今回は随分と手こずったんじゃないか?」
誰かがヒロに気が付き声をかける。それに連鎖して近くの人間が茶々入れてくるのが日常だ。
ギルドメンバーは職種に隔たりなくみんな仲良くやっている。
ヒロは適当に挨拶を返しながらずんずん奥へ進んでいく。
待機所の奥は依頼掲示板と受付がある。まぁ一般的なギルドと相違ないレイアウトだ。
「帰還した。ベネディクトはいるか?」
「お疲れ様です。ギルド長であればお部屋にてお待ちです」
「ありがとう。ジャック。報告任せる」
「えぇ~!?だりぃなぁ…」
心底面倒くさそうな顔をしつつ、出された報告書に記入をしていく素直なジャック。
ヒロは私と「ロスト」を連れて、奥のギルド長「ベネディクト・スロイアノフ」の部屋へと向かう。
「ベネット。入るぞ!」
ギルド創設期からの知り合いで気心知れた仲らしい。
乱暴にバンと開けられた扉。ズカズカと入っていくヒロに、私たちは戸惑いながらもついて入った。
「騒がしい。頭が痛くなる…」
そう頭を押さえる仕草をしながらヒロを睨む白髪白髭の男。
ギルド創設メンバーの一人で、「冒険者」の基礎を作り、今では2代目ギルド長「ベネディクト・スロイアノフ」としてギルドの運営をしている。
「悪い悪い。ちょっと疲れてたもんでな」
「疲れてたら普通は静かになんだよ…何の用だ?」
「手紙に書いた通りだ」
「ンで?結界魔術を壊したヤツっていうのは?」
ヒロが後ろに控える「ロスト」を挿す。
驚いて一瞬目を丸くしたギルド長だったが、すぐに元の調子に戻り。
「で?犯人捕まえたからボーナスよこせと?」
「そんなんじゃねぇよ。コイツ「ロスト」なんだ」
この発言でギルド長はさらに目を丸くし、今度は戻らない。というより固まっている。
手紙の通りとか言ってたが、ロストに関しては書いてなかったのか…
ヒロと同じく責任の所在について考えているのだろうか。
20秒ほど経ってようやく口を開いた。
「印は…?」
「無い」
「…そうか……」
残念そうに俯き、落胆しているようだった。
二人のやり取りがどういう意味なのか私には分からなかった。
印とは何のことを言っているのだろう。
叙述史にある「魔王を殺せる印」だろうか?
それはどっちかの手の甲にあると書かれてた気がする。
当然彼にはそれがない。
「あと、モニカがジャイアント・グローブ・グレズリーに殺されそうになってな。そこをコイツが助けてくれたんだよ」
「それは…ありがとう。感謝してもしきれないよ。私の仲間を助けてくれて本当にありがとう」
「…いや俺は……」
「とにかく君は今名前も住む場所もなければ仕事もないんだろう。せめて生活が安定するまでは我々が可能な限りサポートしよう。
モニカも彼のことを助けてやってくれ」
「わかりました!」
その後ギルド長を交えて当時の状況を詳細に話すことになった。
あの時の恐怖感が何度かよみがえり、もう治ったはずの腕や足が痛み、震えた。
そのたびにヒロが優しく頭をなでてくれた。
ふと少年のほうを見ると生気の抜けたような様子で私の話を聞いていた。
しかし、よく見るとその青い瞳には徐々に火が灯るように輝きが戻っていっているような気がした。
こうして一度死にかけた私の人生は、この記憶のない少年によって再び大きく動き出すことになるのだった。