前編。
〇須加井家・寝室 (早朝)
スマートフォンの着信音。
ベッドから起き出して電話に出る須加井祐太 (42)
祐太「もしもし?いえ、大丈夫です。ああ、はい、はい。いえ、分かりました」
電話を切る祐太。
ベッドの中から祐太に声をかける須加井よう子 (41)
よう子「いま、何時?」
祐太「4時、ちょっと前」
よう子「ひょっとして、病院?」
祐太「うん」
よう子「なんだって?」
祐太「ゆうべ、ちょっと熱が出て、で、今朝方急変して」
よう子「じゃあ」
祐太「姉さんたちに、連絡せんとなあ」
ナレーション (以下、N)
「よく晴れたある春の日の朝、とある呉服店のおばあさまがお亡くなりになりました。最初に病院からの電話をもらったのが、家業を継いだ末っ子で長男の祐太さん。そこで、彼から各地に散らばる三人の姉たちへ連絡が入ります」
〇神門家・リビング (朝)
固定電話の着信音。
N「こちらは、長女の今日子さんが嫁がれた神門洋品店の店舗兼ご自宅。朝の忙しい時に電話がかかって参ります」
台所で朝食を作る神門今日子 (51)。息子の神門晴人 (19)を呼ぶ。
今日子「晴人、電話に出れん?」
晴人「ぼく、いま、トイレに入るとこ」
今日子「お母さん、たまご焼いとんのよ。(声量を上げて)お父さん?」
階段を降りてくる神門安人 (53)
安人「はいはいはいはい、今、出ますよ」
電話に出る安人。
安人「はい、もしもし、神門ですが。こりゃ、どうも、ご無沙汰してます。いえ、今日子さんはたまご焼いているところでして。えっ?それは、また急なことで。ええ、詳しくはメールで?はい、分かりました。伝えておきます」
電話を切る安人。台所の今日子に声を掛ける。
安人「今日子さん」
今日子「どしたの?」
安人「須加井のお義母さんが――」
〇小布山家・台所 (朝)
テレビの音声と電子オーブンの音が静かに響く。
スマートフォンの着信音。
電話に出る小布山大佳 (49)。
大佳「はい、小布山です。なあに?どしたん?珍しい」
N「こちらは、次女の大佳 (ひろか)さんが嫁がれた小布山さんのマンション。旦那さんと息子さんは、すでに出勤されてるようですね」
テレビの音量を下げる大佳。
大佳「いま?ひとりで種なしパン作ってたところ。ううん、電子オーブン。それが結構おいしく出来るんよ。えっ?いつ?ああ、そう。うん、分かった。二人には?ああ、祐太から連絡中?分かった。うちの人たちにも連絡しとくわ」
電話を切る大佳。 電子オーブンから「パンが焼き上がりました」の電子音声。
〇與羽家の自家用車車内 (朝)
運転中の與羽寧々 (46)
鼻歌 (ドレミの歌)を歌う寧々。
N「この鼻歌を歌いながら自動車を運転されているのが、三女の寧々さん。数年ほど前に旦那さんと別れたのですが――そう言えば、苗字を戻してないですね」
スマートフォンの着信音。
電話にでる寧々。
寧々「はい、與羽です。え?祐太?私?いま、出勤中。大丈夫よ、ハンズフリーだから。うん?え?そうなの?お通夜は?うん、分かった。部長に相談してみる。あんたは?大丈夫なん?分かった。また、メール入れるわ」
電話を切る寧々。
少しの間のあと、再び鼻歌を歌い出す。
N「と、まあ、「お亡くなりに」とは申しましても、それでも結構な大往生でしたし、十二才年上の大旦那さんもとうの昔に先立たれておりましたので、みな悲しいのは悲しいのでしょうが、それほどの悲壮感・湿っぽさもなく実家・須加井家へと集まることになります」
〇駅前 (夕方)
車のクラクション。
道行く大佳に声をかける寧々。
寧々「ハルねえちゃん」
大佳「(振り返りながら)寧々ちゃん?!来れたんや!仕事は?」
寧々「部長に話したら「すぐ行きなさい」って。で、采茉子 (とまこ)大学から拾ってそのまま来たんよ――采茉子、ハルねえちゃんが助手席乗るから、あんた、後ろにずれて」
ドアの開く音。
車から降りる與羽采茉子 (18)
大佳「ええんよ、ええんよ、乗せてもらうだけでエエんやから。采茉子ちゃんは助手席に――って、えらい大きいなったなあ、いまいくつ?」
采茉子「(助手席に戻りながら)えっと、18です」
大佳「(後部座席のドアを開けながら)や、そうやなくて、身長」
采茉子「――身長?ですか?」
寧々「この子、元旦那に似て、背だけは伸びて、いま、180」
采茉子「いや、179・6――」
大佳「(後部座席に座りながら)あら、そしたら、又男なんか負けとるやん」
采茉子「あの、あんまり、背の話は――」
車のエンジンが入る音。
大佳「あの子、筋肉ばかり付けて、背は結局お父さんとあんま変わらんのんよ」
車の発進音。
寧々「啓大さんと又男くんは?」
大佳「又男は税務署が終わり次第来るって。啓大さんは上長の許可次第だって――今日子姉ちゃんは?」
寧々「知らんけど、あの人のことやから、イの一番で乗り込んどんちゃう?で、今ごろ、祐太イジメとるか、よう子さんイケずしとるか――私らの悪口言うとるか、どれかやろうね」
大佳「――悪口かなあ?」
寧々「私は、祐太イジメや思う」
大佳「かける?」
寧々「じゃあ、米津さんとこの桜餅で」
大佳「エエね、久しぶりやわ」
車の走り去る音。
〇須加井家・玄関前 (夕方)
ニワトリの鳴き声 (威嚇音)
逃げ回るニワトリ。
追い掛ける今日子と晴人。
今日子「晴人、そっち行った!」
晴人「来たけど、どうすんのさ?」
今日子「つかまえればエエの!!」
晴人「ムリムリムリムリムリム―」
ニワトリの叫び声。
晴人「痛ってーー!!!」
ニワトリの逃げる声。
追い掛ける今日子と晴人のワイガヤ。
大佳・寧々・采茉子を乗せた車が到着。
寧々「ごめん、全部はずれてた」
大佳「なんで、ニワトリが?」
采茉子「あれ、忠子ちゃんのニワトリですよ」
寧々「そうなん?」
大佳「なんで知っとるの?」
采茉子「このお店のインスタで」
向かってくるニワトリの声。
今日子「大佳、寧々ちゃん、そっち行った!」
大佳「え?」
逃げ出す大佳・寧々・采茉子。
寧々「来られても困る!」
采茉子「忠子ちゃんは?!」
晴人「鳥かご取りに行ってる!」
今日子「だから、つかまえてっ!!」
速度を上げるニワトリ。
采茉子「えっ?わたし?」
今日子「ほら、つかまえて――って、あれ采茉子ちゃんか?えらい大きいなったなあ」
采茉子「背のことはあんま言わんといて、」
ニワトリの叫び声。
采茉子「うぐぅ!!」
逃げ去って行くニワトリの声。
〇須加井家・リビング (夕方)
今日子・大佳・寧々のワイガヤ。
晴人「まさか、目を狙ってくるとは」
采茉子「わたし、わき腹にもろ」
二人に声を掛ける須加井忠子 (14)
忠子「(心配そうに)すみません、わたしのせいで――」
晴人「いや、忠子ちゃんのせいやないし」
采茉子「小屋から逃げたってこと?」
忠子「そうだと思うんですけど――」
晴人「カギの締め忘れ?」
忠子「分からんのんですよ。ちょっと前までお坊さんが来とって。帰ってから、エサあげるん忘れとったん思い出して。あげに行ったら、小屋が空になっとって――カギは締まっとたんですけど」
采茉子「あれ、ピッピさんよね?」
忠子「あ、インスタ見てくれとるんですね?」
晴人「『ピッピさん』ちゅうか、『コッコさん!』って感じやったけどね」
采茉子「ヒヨコのころから飼っとるらしいですよ?」
晴人「育つの?ヒヨコ?」
忠子「おばあちゃんが一から教えてくれたんですよ。本当はメスの方がよかったらしいんですけど」
晴人「まあ、たまご産まんからねえ」
忠子「『縁日で売っとるのなんかオスしかおらんで』って言うとったんですけど、わたしが無理言うて――」
晴人「じゃあ、縁日のヒヨコなの?」
采茉子「もう、6年ですって」
晴人「はー、さすが、おばあちゃんやなあ」
忠子「だから、ピッピさんもおばあちゃんのことに気付いて、それで逃げ出したんかも知れん思うて――」
采茉子「忠子ちゃん――」
晴人「そんなこと言われると、どうにかしてつかまえんとあかん気にはなるんやけども」
采茉子「わたしらだけじゃ、無理ですよね」
玄関の外から話し合う声。
玄関の開く音。
玄関先から大声で挨拶をする小布山啓大 (47)と小布山又男 (21)
啓大「すみませーん、遅れました、小布山ですが――」
又男「父さん、やっぱり、ピンポン押さん?」
再び、リビング。
忠子「啓大さんと又男さんですね (玄関に向かいながら)迎えに行ってきます」
采茉子「(晴人に)啓大さんって、自衛隊でしたよね?」
晴人「なら、いけるかも?」
〇須加井家・リビング (夕方)
ニワトリの威嚇音。
今日子・大佳・寧々のワイガヤ。
啓大「まさか、男子の急所を狙ってくるとは」
又男「おれ、うしろの方を突かれた」
晴人「男三人でも無理か」
又男「晴人くん、逃げてばっかやったやない」
啓大「いずれにせよ、私らだけじゃつかまえられる気がせんねえ」
玄関の方から話し声が聞えてくる。
ピンポンの鳴る音。
〇須加井家・リビング (夕方)
ニワトリ捕獲の相談を受ける神門安人 (53)と神門篤子 (22)
安人「それは、戻って来るのを待った方がエエんじゃないでしょうか?」
一同「え?!」
安人「トリでもなんでも帰巣本能というのはありますし、そもそもお腹が空けばこの家と忠子さんのことを思い出すと思うんですよ」
感嘆する一同。
大佳「さすが、安人さん」
寧々「今日子姉ちゃんと暮らしていけるだけある」
今日子「聞えてるで」
篤子「と言うか、さっき、玄関先にいたの、それちゃうの?」
一同「え?!」
篤子「エサっぽいものがあったから、それ使って裏庭の方に入れといた」
大佳「さすが、篤子ちゃん」
寧々「今日子姉ちゃんに似なくて本当に良かった」
今日子「だから、聞えてるて」
裏庭からニワトリの鬨の声。
今日子「だから、聞えてるって」
(続く)