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ビアンカ

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「親犬とはぐれたのでしょうか」


「かもしれないね。 助けられて良かった」


 彼はシモンズ家の居間のソファーに仰向けで寝そべり、その身体の上ではミルクで膨れたお腹を満足そうに小さな寝息を立てる子犬。


 本当は、親犬とはぐれたのではないのだろう。 きっと誰かが森に捨てに入ったのだ。


 はぐれたのだと私に思わせたいのが、子犬への献身的な視線で窺える。 とても優しくて、まるで愛おしいような顔だ。


 シモンズ家の邸に連れ帰って来た時の使用人達の一瞬の嫌悪感が顔に出ていた時も、そんなのはたいした事ではないという風な笑みだった。

 きっと彼の身なりや言動、佇まいが貴族らしからぬ雰囲気のせいなのだろうが。


 そして、この居間にすら私とジェイの二人のみ。

 本来なら、ロナウド以外の殿方と密室で二人きりだなんて考えられない。

 使用人達はいったい、ジェイのどこが気に入らないのだろうか。

 こんなにも優しい人なのに。


「親犬を探す手立てはありませんし、森に返すわけにもまいりません。 どうしたらよろしいのでしょう……」


 すると、寝そべったままのジェイがチラリと視線だけを私に向け、言った。


「君は優しいね。 俺が勝手に拾って連れて来ただけなのだから責任を感じる必要なんてないのに」


「ここまで連れて来た時点で私にも責任があります。 こんなにも可愛い子犬を見捨てては罪悪感に苛まれてしまいます」


「気にしなくても大丈夫さ。 邸に連れ帰って俺が育てるから」


「ジェイが自らですか?」


「飼った事も育てた経験もないけどね。 まぁ、なんとかなるよ」


 そう言って寝そべっていた身体を起こし、向かい側のソファーに座る私を真正面から見つめて言った。


「ねぇ、この子の名前をつけてくれる?」


「え、私が?」


「俺だと酷くつまらない名前になりそうだからさ」


 つまらない名前とはどのような、と聞くのは遠慮した。

 犬らしい名前や可愛いらしい名前など思いつきそうな顔をしていない。 きっと頭に浮かんだ適当なものを言いそう。 そしておそらく本当にそうなのだろうと想像できるからだ。


「この子は女の子のようだし、それなら君の方が可愛い名前が浮かびそうだ」


 名付け親というほどのものではないが、そうする事で責任の一端を感じられるのが嬉しくなった。 彼がそんな私の心情を勘繰ったのでないとしても。


「そうですね……何が良いかしら」


 手を顎にやって考える素振りをしていると、彼がいきなり慌てた声を出した。


「あ!」


「どうなさったのですか?」


「こいつ、お転婆な女の子だな……」


 見ると、彼の粗末なシャツは濡れていた。

 どうやら、お腹いっぱいで寝ていた子犬がそのまま粗相をしてしまったらしい。


「まぁ!」


「今日のところは帰るよ。 ロナウドには来た事だけ言っておいてくれ」


 そう言って、子犬を抱いたまま立ち上がった。


「ですが、濡れたシャツを着替えないと」


「いいさ、どうって事ない」


 腕の中の子犬は粗相したのに、変わらず気持ち良さそうに寝ている。


「犬というのは穏やかな気持ちにさせてくれるものですね」


「俺の邸は森の向こうにあるから子犬が見たきゃ来ると良い。 暇潰しにもなるだろう」


「よろしいのですか?」


「もっとも婚約者以外の男に会いに来るのは噂の元になるだろうがな」


「あら、私はビアンカに会いに行くのですわ」


「ビアンカ?」


「えぇ、この子の名前です。 今、決めました」


 ジェイがビアンカ、と腕の中の子犬に呼び掛けると、まだ見えない目と鼻で懸命に身体を動かそうとしている。


 命の灯に火をつけたジェイと私は思わず顔を見合わせて笑む。

 まるで秘密の遊びでも共有したかのように。

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