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 森の奥にある木々の開けた池近くまで近づいて行くと、どこからか声がする。


「ねぇ、君。 水を汲んで来てくれないか?」


 私が声のした辺りを見回していると、さらに声がする。


「どこを見ているのさ? ここだよ」


 それはたくさんある木々の一つで、声を発していなければ気づかないくらいに回りの緑と同化した、貴族の紳士とは思えない身なりと言葉遣い。


 その人物はどうやら水を汲んで来てほしいと私に頼んでいるらしい。


「水なら池がそこにありますわ」


 ごく当たり前の、当然の事を言ったつもりだ。

 ところが、彼は私の言葉を蔑むように一蹴した。


「これが見えないのかい?」


 木の根元に座り込んで、両手で水を掬うようにしている。

 近づいてその両手を見てみると、そこには産まれて間もないらしい子犬。

 人間に捕まえられた子犬はか細い小さな鳴き声で親犬に助けを求めているが、それらしき犬は見当たらない。


 貴族でもない人間が森とはいえ、ふらふらと立ち入るのは許されていない。 この森はシモンズ家の所有する敷地だ。 まさか、たまたま近くを通り掛かって子犬を見つけたとでも言うのだろうか。

 どちらにしても、とても紳士な振る舞いではない。


 私の非難する目線に気づいた彼は弁解や言い訳でもなく、言う。


「自己紹介しないと不審者にされそうだな」


「違うのですか?」


「君はロナウドの婚約者だろ? 俺は彼の友人でジェイと言うんだ。 俺の邸はこの森の反対側にあってね、ここを抜けた方が早くロナウドの邸に寄れるから」


 ずいぶんと親しげに話す人物のようだ。 私の方はまだ名を名乗ってもいないというのに。


「あれ? そういえば、ロナウドの婚約者は寝たきりだと聞いたが……」


「えぇ。 ですが、この通り元気になりました」


「そうか、それは良かった。 さぞかしロナウドも安堵しているだろう」


「それで、ご用件は?」


「森を半分まで歩いて来た所で、鳴いているのを見掛けてね。 どうやら捨てられたらしくて震えていたのさ。 水でも飲ませたら少しは落ち着くかもしれないだろ」


 身なりはみすぼらしいが、悪人ではなさそうだ。 弱った子犬を見捨てられなかったのだから。

 私は彼を勝手に非難した事で、少々の罪悪感に苛まれた。 その償いではないが、せめてもの罪滅ぼしはしなければ。


「でしたら、私が一緒にまいりましょう」



 ☆ ☆ ☆



 池の水は澄んでいて、魚も元気に泳いでいる。これなら子犬に飲ませても大丈夫なはず。

 私はドレスが濡れないように足元に気をつけながら池に近寄る。

 ここには周囲を囲む柵も何もないので近寄り方が悪いと足が浸かり、ドレスも汚れてしまう。


「あぁ、君が持っていて」


 彼は両手の中の子犬を私に預けて、池の水に近づいた。 そして両手いっぱいに水を汲み、私の方へと差し出す。 ところが、産まれて日の浅い子犬は飲み方がわからない。

 そこで彼の取った行動に私は思わず仰天してしまった。


 彼は両手の水を自らの口に含むと、私の手から子犬を取り、その小さな口の中へと一滴ずつ流していったのだ。


「本当はミルクの方が良いのだろうが、親犬は見当たらないし、このままにしておくと衰弱するのは間違いない。 どうにか水を飲み込む力はありそうだから邸に連れ帰って飲ませる事にしよう」


 動物との接触が汚いとは思わないが、口で飲ませるその姿を初めて見た私にはあまりに衝撃的過ぎた。


 面白い人物だ。 こんな風に何をしでかすかわからないのは初めて。


 子犬はまだ開いていない目と鼻で彼の手のひらの匂いを嗅いでいる。

 危険を察知して、というより安全な人間だと確認しているのかもしれない。


「でしたら、ロナウドの邸の方が近いでしょう。 せっかく会いにいらっしゃったのなら、寄って行かれては? といっても、彼は仕事で留守にしておりますが」


 彼は思案するように子犬を両手に抱えたまま。


「そうだね、それもいいかもしれない。 こうして君とも知り合いになれたのだからね」


 ロナウドと彼、ジェイは学校で知り合った仲らしい。

 ここ、ミハイゼン国の出身ではないジェイは隣国トラウデンバーグから学びにやって来た。

 ところが、本来が自由人だという彼は母国に帰って父親の跡を継ぐのが嫌で、ここに留まったままらしい。


 身なりと自由意思の彼を見て、嫌悪を感じないのは気さくで澄んだ瞳をした顔立ちのせいだからだろうか。

 ジェイ様と呼ばせないのもその要因の一つだ。

 おそらくは第一印象に反して、彼の家格は上位貴族のよう。


 私は初めて会った彼に好奇心と興味をすぐに持った。

 婚約者以外の男女二人きりでシモンズ家に向かって歩いているというのに。

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