変化と戸惑いと
×月×日
私にとっては数ヶ月前の、ついこの間の出来事。
ロナウドと馬に乗って森に散歩に出掛け、そこで落馬した。
『リリィ!』と私を呼ぶこの世の終わりのような焦った声と、その手を掴もうとする一瞬の彼の手が脳裏に浮かぶ。
あれからもう三年以上の月日が経過しているなんて、今でも想像できない。
それでも以前とはやはり違うのだと気づくのは、男爵家の庭に咲いていた薔薇の花が一輪もない事。
あんなにも彩り豊かな花々が庭を明るく照らしていたのに。 この時期なら芝の緑や薔薇の赤や黄、白といった色彩が心を潤してくれるはずなのに。
もう薔薇の花壇も、引き立てる他の花々も何も咲いていない。 あるのは芝のみ。
大好きだったシモンズ家の昼下がりのテラスで、私の戸惑いは増すばかり。
この邸は大きくなく、使用人も執事と料理人、女中の他は数人のみ。 侍女は子爵家から一人を連れて来ただけ。
当時、ロナウドの婚約者になったばかりの私を皆は受け入れてくれていた。
『リリィ様が夫人になられるのが待ち遠しいです』
昏睡から目覚めて男爵家に戻って来た私を驚きの表情ながらも歓迎してくれたのが嬉しかった。
どれだけ月日が戸惑わせても、きっとこうして待っていてくれる人達がいたのだと思うと、空白の時間はすぐにでも取り戻せるような気がした。
そしてロナウドの婚約者として、妻になるべく努力すれば大丈夫なのだと思えた。 時間は掛かったとしても。
☆ ☆ ☆
「少し散歩して来るわ」
侍女にそう言い残し、玄関を出て邸の門へと向かった。
子供の頃から私の世話をしてくれている彼女はお母様の遠縁の末娘。
おそらくは婚約者を宛がわれる事もなく、また姉達のように夫人になる事もないだろう。 そもそも器量も愛想も悪くないのに縁談が舞い込まないのは、お飾り貴族をことごとく撥ねつけたからというのがお母様の話。
私の侍女になった経緯は、無駄になる花嫁修業よりは余程マシだからという本人の意思から。
ただ最近は、あまり侍女の役目を果たしていない。 好きな殿方でもできたのか、自身を優先する事が多くなった。
私としても彼女を縛るわけにはいかず、自身の幸せの為なら仕方ないと放置している。
だから散歩にも彼女は伴わず、私一人で歩いて出かける事がほとんどだ。
門から裏手へ回ると、あの深い森が私を迎える。
人は変わっても、ここだけはあの頃のまま。 鬱蒼とした木々が風を運び、髪が顔に纏わりつく。
手で髪を押さえて森の奥へと進んで行くと、以前は聞こえた馬の蹄の音や嘶きは聞こえて来ない。
私の身体をまだ取り戻したとはいえない体力でも、森を散歩するくらいの元気はついてきた気がする。
実家のホワイト家に居たままではロージーに甘えてばかりだっただろうが、こうして一人になる機会が増えた今は動かざる状況を作れて逆に良かったと思える。
侍女や使用人達が構わずに放っておいてくれるからというのもあるが。
木々の隙間から僅かな木漏れ日が刺す程度の静けさが広がる森は、たまに現れる馬の存在以外は小動物の遊び場だ。
私もロナウドの婚約者として邸に移り住んで以来、この森を散歩するのが好きになった。
落馬の嫌な思い出があったとしても、それは私の中の記憶であって森を否定する材料にはなり得ない。
「あぁ、気持ち良い風だわ」
ロナウドも一緒に散歩できたら素敵だったのに。 だが大事な仕事の最中だ。
「私も、ロナウドの妻に相応しくならなければね」
人の手を借りずに歩けるようになったおかげで、気持ちも前向きになれた気がするのは気のせいではない。
ロナウドからも、表情が明るくなったと嬉しい言葉を貰えるのだから。
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