幸せは誰かの犠牲の上に
×月×日
「少しずつですよ。 一気に体力や筋力が回復する事はないのですから、毎日の積み重ねが大事です」
背もたれ代わりのクッションが私の弱った身体を支える。
定期的な診察での医師の助言はいつも変わらず、私を焦らすばかり。
「ですが、先生。 これまでの月日を考えると早く取り戻したい気持ちでいっぱいなのです」
「だからこそですよ。 休んでおられた時間と比較してみても、簡単にはいきません」
先生は三年間の昏睡状態を休んでいたとだけ表現した。
きっと心理的な配慮をしてくれたのだと思う。
だが、やはり三年だ。 とても長い。
これは埋まる事はないし、取り戻せはしない。
私の時間は止まっているのに、周りの時間は刻々と進み続けているのが日毎に目に焼きついて気分を暗くさせる。
「リリィ、時間はたっぷりある。 焦らず、ゆっくりだよ」
「ロナウド、だって貴方は学校を卒業なさったのでしょう?」
先生の診察にはロージーがいつも付き添ってくれる。
ロナウドが来ている時は、彼も同席して先生の話を聞く事がある。
そして今日はそのロナウドと妹のロージーも一緒だ。
「あぁ、今は側近を務める伯爵の補佐役として王宮にいるよ」
「とても立派ね。 貴方ほどの仕事をなさっている他の学友の方々はいらっしゃらないのでしょう?」
「そうでもないさ。 まぁ、その人物が王太子かどうかという違いなだけで」
ロナウドは謙遜しているが、やはり彼と同じ立場の人間の中では優秀なのだと思う。
昔、お父様が言っていた。 ロナウドは格上の者達を凌駕する、と。
だからこそ目をつけられる事もあるだろうし、支えも必要だ。
私はロナウドの婚約者で、昏睡状態に陥っていたとはいえ、それは今も変わらない。
ロナウドが学校を卒業したのなら、私も早く日常生活に戻って彼の妻になるべく努力しなくては。
そう思うのに、身体は思うようには動いてくれない。 それがもどかしくてたまらないのだ。
「私、早く元通りの自分に戻りたいの」
「リリィ、先生もおっしゃっているだろう? 焦りは禁物だ」
「だって私達は夫婦になるのでしょう? あれから三年経っているのなら、いつまでも寝ているわけにはいかないわ」
そう、私とロナウドは婚約者から夫婦へとなるのだから早く元気にならないと。
「リリィ、俺は君がこうしているだけで奇跡だと思っているよ」
ロナウドは弱った私を見て呆れたり蔑んだり、ましてや急かす事もなく、いつも笑って見舞いに来てくれる。
「だったらロナウド、貴方の邸に移るのはどうかしら。 婚約者のいる私がいつまでも実家で暮らすのは変だもの」
「せっかくリリィお姉様と一緒にいられたのに……」
ロージーが残念そうにこぼす。
「ロージー、貴方には本当に感謝しているわ。 きっと一人ではろくに何もできない私の世話なんて嫌だったと思うもの」
「そんな事ありません! 私、お姉様が大好きだもの」
「貴方は良い子ね、ロージー。 そのうち、貴方にも好きな殿方が現れて婚約したとしても私の可愛い妹でいてね」
「当然ですわ、リリィお姉様。 私にはいつまでもお姉様が一番です」
「さっそく子爵夫妻に報告しなくてはいけないね」
ロナウドが私達姉妹の手を取り合う様を楽しそうに眺めながら言う。
子供の頃はこんな時、泣くロージーを宥める私の腕を取って不貞腐れるのがロナウドだった。
時の経過はまるで強い風が吹いたかのように、私の知らぬ間に過ぎて行く。
「ローズも邸に遊びにおいで」
「あら、ロゥに会いに行くわけではありませんわ。 私はお姉様に会いたいの」
ロナウドとロージーはそう言って楽しげに笑っている。
それは目が覚める前の、意識の上を飛んでいた会話のように聞こえた。
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