番外編 後悔と痛み
片付けねばならない仕事を一段落させた後、執事が用意したお茶を手に窓から眼下の庭を眺める。 そこから見えるはずの、以前なら鮮やかに咲いていた沢山の花は今はもうどこにも見当たらない。
目で楽しみ、匂いで安らぎ、季節で味わう素晴らしさをリリィは知っていた。 彼女の愛でる心は姉妹ならではの遺伝ではなく、彼女だけのまるで魔法の杖のような力だったのかもしれない。
リリィがいなくなってほんの数ヶ月、あんなにも当たり前のように広がっていた光景は無惨な枯れ草となって変化を遂げた。
これは俺に与えられた罰なのだろうか。
子供の頃から一生を添い遂げる為に存在した彼女。 その与えられた運命に、幸せを感じていた。 だから今の現状は自分が望んだ未来なのだというのが信じられない気持ちでもある。
確かに俺はリリィ以外の伴侶を考えた事はなかったはずなのに、彼女が昏睡状態から目覚めない絶望の中で光るロージーの甘い美しさに惹かれた。
ふと、思う事がある。
俺はもしかしたらリリィの代わりだと考えていたのではないだろうか、と。
再びロージーがこの邸に住まうようになって暫く経った頃、意図したわけでなく思わず言った事がある。
『リリィは花壇に咲く花が好きだった』
『私はお姉様のそんな姿が好きではありませんでした。 楽しそうなのを眺めるのは好きでしたが、私はお世話ができませんもの』
ロージーの悲しみが伝わって来た。
姉が去った事実と、自分が置いていかれた衝撃。 まるで見捨てられたと感じたのかもしれない。
その悲しみは邸内において、思わぬ歪みを引き起こし始めた。
ジェイやリリィに対する後悔から邸を去る使用人、隣国の王太子を足蹴にしなければ或いは自分が……と立場の展開を考えた者、その複雑な感情が空気をさらに悪くしていったのだ。
辞める者、新入りに厳しく接する者、取り仕切る執事の苛立ち、そんな人間達に対して悩みが尽きる事はなかった。
ジェイはもしかしたらこの状況を見越していたのかもしれない。 そして彼はそういう世界で次期国王として戦っているのだろう。
リリィが去ったあの日、ホワイト家の玄関ポーチでジェイに言われた言葉は今も覚えている。
『ロナウド、最後に君と話がしたかったんだ』
『ジェイ……』
『街の外れに貧民街があるとする。 たまたま迷い込んだそこに、今にも死にそうな幼い兄妹が倒れているのを発見した。 君は買ったばかりのパンを持っているが、それを差し出すのは正しい選択か否か。 君はどう思う?』
『その迷い込んだ俺の立場は?』
『そうだな、宰相という事にでもしようか』
『ならば、その選択は間違いだ』
『ほぉ、それはどうして?』
『君と俺は共に学校で学んだはずだ。 国のあり様、政治、正しい事の行い方、様々に。 だから人を導くにも行うにも何が正しいかは自ずと知っている』
『君は賢い善人だね』
『例えそこで助けたとしても、それで国は救われない。 パンを差し出すより連れ帰り、兄妹を養子にして育てる方が幸せだ』
『なるほどね』
『君は違うのか?』
『俺は迷いなくパンを食べさせるよ』
『貧民街の子達は明日食べる物さえ無い日々を送っているのにか?』
『そうだ。 もしも次の日、その兄妹が空腹で天に召されたとしてもだ。 一時でも彼らが幸せを感じられたなら、きっと俺は自らのやるべき事を知るはずだ』
『それはただの自己満足ではないのか?』
『国を統べる人間というのはいくらでも残酷になれる生き物なんだよ。 まるで救いの神のような顔をしつつ死神でもある。 そして罪悪感を感じてはならない』
『それが次期国王の君の考えなのか?』
『おとぎ話ではないんだ。 だからこの世は本当に面倒くさい』
そしてジェイは俺に握手を求めて来た。
差し出された手を握ると、彼はその手を引いて俺の耳元で囁いた。
『ロナウドには本当に感謝しているよ。 妹嬢に心を移してくれて。 おかげでリリィの愛を手に入れられた』
『ジェイ……君は』
『知っているかな? 国王というのはね、欲しい物があったらどんな手段を使っても裏切ってでも手に入れようとするものなんだ。 それが友人でもね。 だからさ、君や使用人達にはお礼を言わなければならない。 俺を蔑んだ目で見てくれてありがとう、とね』