最後の日記
×月×日
初めてトラウデンバーグの地に足をつけた日、理由もわからないのに嬉しくなった。
懐かしい空気、遠くに聞こえる心踊らせる楽しそうな人々の賑わった声、鼻をくすぐる美味しそうな匂い。
私はここを知っている。
先の城下に忍んで紛れるのがとても楽しくて、いつもお付きの者達を困らせていた。
あれは夢の中の世界ではなかったのだとどうしてだか確信した。 まるで戻って来られたような気がして、心が震えた。
馬車で城に到着してすぐジェイに連れられて向かったのは、両陛下の私邸。
とても気さくで温かい雰囲気を持ち、それでいてジェイの選んだ相手が私だという事は会う前から知っていたようだ。 きっと預言者の存在があったからだろう。
この国ではそれほどに預言者は敬われているようだ。
その後、驚く程に何の問題も起きる事なく、ジェイの婚約者として認めて貰う為、王太子妃になる為、城での生活が始まった。
朝から夜遅くまで様々な勉強会や茶会で学び、寝る頃にはクタクタで朝を迎える。 そんな日々が続いた。 それでも毎日が充実して、ジェイに励まされながらビアンカと遊ぶのが日課のようになっていった。
ロージーがどうしているのか、ロナウドと婚姻関係を結んだのか、文のやり取りすらしていない私にはわからない。
いつか会える日は来るだろうか。
その時には笑ってお姉様と呼んでくれるだろうか。
☆ ☆ ☆
「リリィ、美味しいかい?」
「えぇ、とても。 やはりあのパン屋さんは最高だわ」
「わかるがね、今度はちゃんと警備をつけるんだよ?」
「もしかして、女官がまた怒ってた?」
「いや、呆れていたよ。 王太子妃殿下はお転婆が過ぎるとね」
「だって城下には興味がいっぱいあるのだもの」
ジェイと婚約して半年後、私達は盛大な式を上げた。
ここに来て一年以上が経とうとしている。 あっという間だ。
「ねぇ、本当に美味しいのよ?」
「あぁ、リリィのその顔を見ればね。 今度から城に届けさせよう」
「嬉しいわ。 また別のお忍びを探す楽しみができるから」
「困った妃殿下だ。 とにかくあまり侍女を心配させてはいけないよ」
連れて来た彼女とは別の侍女は心配性の性格で、実は彼女の姉なのだ。
姉妹揃って私の侍女をしてくれるのはありがたいが、昔からの侍女の方が妹のはずなのに、まるでその姉のように振る舞う事があっておもしろい。
「わかっているわ。 少し控えないと、家族が増えるのだものね」
「家族って、侍女の相手の事かい?」
「あら、今は私達の話をしているのよ?」
「それって……」
「両陛下も喜んで下さるかしら?」
「もちろんだ! そうか……そうなのか。 さっそくホワイト家にも文を出そうじゃないか」
「ジェイムズなら、きっとそう言ってくれると思ったわ」
ジェイは嬉しさのあまり、揺れる馬車をさらに揺れさせる失態をするところだった。
跳び跳ねてバランスを崩し掛けたのだ。
城を抜け出して城下に繰り出す私について来たジェイが馬車の中で知らされた吉報は城に着くなり、国王陛下以下、城内の皆が知る事になり、そして国中の話題となった。
きっと来年の今頃は、お母様がそうしてくれたように私も愛情いっぱいで包んでいるだろう。
幸せと喜びと感謝もプラスして。
「ジェイムズ、幸せ?」
「あぁ、もちろん幸せに決まっているさ」
「私も幸せだわ」
「これからは君と俺と、新たに増える家族との幸せな日記になるんだろう?」
「もちろんよ。 でも誰にも教えてあげないわ。 これは私達だけの秘密だもの」