最後の母娘
×月×日
お父様との話が終わり、というより終わらせて自室に戻ろうとした。
ところがその途中で目撃してしまった。 またしても。 ロナウドとロージー、二人の仲良さそうな光景を。
きっと私のいない所でこうしてこっそり忍び会っていたようだ。
私は今まで、本来なら堂々と幸せに祝福されるべきこの二人を邪魔し続けて来たらしい。
もしもロナウドに罪があるとしたら、それは自身を戒め続けた私への懺悔の気持ちだ。
そんなものは必要なかったのに。
二人が互いを想い合うようになったのは至極自然な流れで、誰にも私でさえも否定できない事なのだから。
そして私自身の気持ちも。
☆ ☆ ☆
「リリィ様」
ドアをノックして入って来たのは侍女。
「お話の方はどうなりましたか?」
「お父様が涙をこぼされるなんて初めてだったわ」
「リリィ様もロージー様も大切な存在ですから」
「えぇ、私も恨んでなんていないわ。 娘の気持ちを考えてくれたのだもの」
「では、お気持ちは変わらないのですね……」
「私がいては誰も幸せになれないでしょう?」
「私にとってはリリィ様にも幸せになって頂きたいのに」
「ありがとう、きっと前途多難でしょうね」
鏡台の椅子に座っていると侍女が後方に立ち、ブラシで髪を解してくれた。 その手つきは静かで、そっと労るように。
なのに鏡越しの侍女は悲しそうな表情だ。
「文にはなんと?」
「明日の朝、発つそうよ」
「そうですか……」
「それにしても貴方には驚かされたわ」
広げた便箋を畳み、封筒に戻して鏡台に置く。
「あまり信じて貰えない話ですから」
「いつ、トラウデンバーグからミハイゼンに?」
「子供の頃です。 兄妹の中で祖母の血を一番強く受け継いだ私の将来を心配した両親がこの国に預けたのです」
「確か、お母様の遠縁だったわね」
「はい、リリィ様や奥様に内緒にしていたのは気味悪がられると思ったからで、騙そうとかそんなつもりではありませんでした」
「わかっているわ、貴方はいつも冷静だったもの。 それにジェイの話を聞いて納得したのよ」
「祖母の近くにいる事で影響を受け過ぎる可能性を危惧されていたようですが、それはこの国にいても関係ない事は証明されました。 だからこそ祖母に会ってみたいのです、お願いします」
「わかったわ。 貴方の気持ちを尊重します」
侍女は私やロナウド、ロージーがまるで絡み合った糸のようになる事を知っていた。
あまり私の近くに接して来ようとしなかったのもそこに関係しているのだろう。
「もしかして私の侍女になったのって……?」
「はい。 お力になれるかもしれないと思いました」
「明日、お母様はどんな顔をなさるかしら」
こぼすように呟く私を、侍女はまるで姉さながらの微笑みで肩に手を添えた。
☆ ☆ ☆
「お姉様は刺繍の方がお得意でしょうに」
「レース編みも上手になりたいのよ。 貴方もお母様にちゃんと教わるといいわ」
「私は眺める方が楽しいのですもの」
「だったら花を愛でなさいな。 心が落ち着くわよ」
「お姉様が眺めているのを見るのは好きです」
「ロージーは本当に子供なのね」
居間のソファーに母娘で並んで座るのはきっとこれが最後。
それがわかっているから私はお母様と娘を味わいたかったのだ。 そしてお母様もそう思っているはず。
昼をようやく過ぎた頃、居間にお父様と揃って姿を見せたお母様の目は赤かった。
おそらくお父様に聞かされたのだろう。
そして泣いたのだ。 悲しみなのか、喜びなのか、それはわからない。
「ねぇ、リリィ。 覚えているかしら? 昔、貴方が熱を出して寝込んだ時の事」
懐かしむように話すお母様の声は心なしか震えている。 それをごまかしたくて、努めて明るい表情を見せるのが痛々しく感じられる。
「もちろんです、お母様。 私が八歳でした。 なかなか熱が下がらなくて心配掛けましたね」
「あの時、大変だったのよね。 ロージーがお姉様の側にいると言って聞かなくて」
「あら、そうでした?」
無邪気に笑う顔は今はもう年頃の令嬢のはずなのに。
ロージーは当時まだ六歳で、いつも姉の私と一緒に寝たがった。
なのにあの時は、風邪が移るといけないからと部屋を離されたのだ。 それを嫌がったロージーが泣いて喚いて大騒ぎ。
それだけではない。 どうして自分は姉のように熱が出ないのか、と私と違う事にとてもショックを受けていたのだ。
ロージーは向かいのソファーで私達を楽しそうに眺めている。
これから起きる事、知る事など想像すらしていないだろう。
と、そこへ執事……。
「お客様がいらっしゃいました」