戻らない音
×月×日
「どうした、リリィ?」
真正面に座るロナウドが心配そうに身体を前屈みにしながら問い掛ける。
「いいえ、なんでもないのよ」
馬車に揺られながら目指す目的地はホワイト家。
かねてより予定していたロナウドと二人での帰省。
今日は天気も良く、出掛けるには最適といえるだろう。 そう、気分も至極冷静に。
ロナウドにもロージーにも結局は何も聞けなかった。
あの日から一週間経過しているというのに、何も変わらない。
ロナウドは未来の夫という振る舞いを崩さなかったし、ロージーは姉想いの優しい妹だった。
そんな中で使用人達や執事の、私に対する態度はどこか冷めた雰囲気。
考えてみれば、最初からどこか可笑しかった。
妙に距離を取っているような、よそよそしいような。 まるで招かれざるお客様への態度だったのだ。
なのに私は以前と何も変わらないものだと思い込んでいた。 疑問に感じた事さえなかったから。
昏睡状態に陥ってから目覚めるまでの数年が空白だとしても、私にはあの頃から数日しか経っていない感覚だった。
ところが実際は止まる事なく、数年もの時間が過ぎていて。
二人の間に何が起きたとしても可笑しくないのに。 私にはそれがまるでわかっていなかった。
まるで、道化だ。
「リリィ、具合でも悪いのかい?」
「大丈夫よ」
「だが、あまり喋っていないよ。 ずっと上の空だ」
「そうだったかしら。 また眠くなってしまったのかもしれないわね」
「リリィ?」
侍女や従者は後ろの馬車だ。
そしてこの馬車には私とロナウドの二人きり。
ロージーはホワイト家でお父様達と一緒に私達を迎える予定になっている。
ロナウドもロージーも本来、優しい人達。
私を慕い、気づかってくれる。
それは私がロナウドの婚約者で、それが当たり前だと思っていたから。
ところがそれは大きな間違いだったのだと知らされた。
誰もが真実を隠し、空白をなかったものにしようとしている。 それがまたしても当然の事だと思い込んで。
きっと私を傷つけない為なのだろう。
いや、そうするべきだという優しさからの裏切りを隠したくて。
「ロナウド、幸せ?」
唐突に問う。
「あぁ、幸せだよ。 もう戻って来ないかもしれないと思っていたリリィがこうして目の前にいるのだから」
「そう……」
「君は違うのかい?」
「ジェイは明日、国にお帰りになるらしいわね」
「リリィはジェイが気に入っているようだね」
「貴方のご友人ですもの」
「できれば身なりをもっと貴族らしく気づかってくれれば良いのだけどね」
「ロナウドは彼がお気に召さないの?」
「あいつは本心を明かさない、何を考えているのかわからない。 正直言って不気味さを感じているよ」
「覚えている? 子供の頃、庭や森を駆け回って二人でよく叱られたわ。 女の子が擦り傷や汚れだなんてはしたないにも程がある、令嬢らしく淑やかに振る舞いなさいと何度注意されたか……」
「そうだったね。 その度にロージーを見習いなさいと引き合いに出されてたっけ」
「あの子はいつも私の後を追い掛け回して泣いていたわ。 お姉様、私も連れてって。 お姉様、お姉様……って。 なかなか姉離れができなくてお母様を困らせていたの」
「今だって似たようなものなのかな? それに姉想いという優しさも加わったし」
「そうね。 きっとそれも潮時よ……」
「……リリィ?」
知らないままの幸せを得なくて良かった、今は心からそう思う。
本当は何度か目撃していたのだ。 二人の関係を。
それはロナウドとロージーがすれ違い様に指先を絡め合う仕草だったり。 ロナウドがロージーの背中に手を添えた時も。
ただそれは未来の義兄妹の仲を表したものだと思い込んでいたから、怪しさなんて微塵も考えていなかった。
そしてあの日から数日経った一昨日、再び遊びに来たロージーが庭の影でロナウドの掌に唇を添えているのを見た時、執事達の話が真実なのだと思い知ったのだ。