私の日常
×月×日
「お気をつけて、ロナウド」
「リリィ、悪いが明後日は少し遅くなるかもしれないよ」
「大丈夫、お仕事ですものね」
いつも通りの、隙のない服装で馬車の待つ玄関アプローチへと向かうロナウド。
いつもこうして馬車に乗り込んで門を出て行くロナウドを、見えなくなるまで見送るのが私にとっての大切な儀式のようなもの。
彼の向かう先は王宮で、毎朝の事ではない。
邸に帰って来るのは三日に一度、それ以外は王宮内の一角に寝泊まりしている。
だから二人で過ごせる時間は少なくて、寂しいと言えば寂しくもあるのが本音。
「さて、今日は何をしようかしら」
ロナウドのいない時間は殆どが読書か刺繍だ。
料理ができるわけでもないし、させてもらえない。 土いじりをしようとして侍女に叱られて以来、手を泥で汚す事もなくなった。
気分転換に散歩をする時はいつも私一人だし、侍女も誰も付き添わない。
こんなにも自由な一人きりの時間ばかりだと、正直言って困惑してしまう。
『リリィ様、出歩くなら私がお供します』
『リリィ様、庭の花がとても綺麗に咲いていますよ』
以前ならこんな風に構われてばかりだったのに。
「そうだ、ビアンカに会いたいわ」
ロナウドにはジェイに会った経緯も邸へと招待された経緯も話してある。 特に反対も怒られもしなかった。
『ジェイはなかなかに謎の多い男でね、年配の貴族連中や使用人には煙たがられているよ。 本人はあの性格だから気にする素振りも見せないがね』
ジェイの住む邸は仮住まいで、産まれ育った隣国の家がどのような規模なのかわからないが、別邸と呼ぶにはあまりに粗末な佇まいだ。 まるで放浪者のような雰囲気の彼にお似合いと言えばお似合いの。
ただ、貴族のマナーや習慣をどうでもいい事のように話すわりに、まるで立ち居振舞いが粗末な邸に似合わない。
本当に不思議な人物だ。
ジェイの邸へは森を抜けて行くだけなのだから散歩ついで。 お洒落する必要も馬車を出す必要もない。 私でも歩いて行ける距離だ。
ビアンカがもう少し成長すれば何か食べられるおやつでも持参するところだが、まだ歯も生えていない赤ちゃんには早い。
そこで、ビアンカのお転婆ぶりを眺めながらジェイと食べるおやつを準備する事にした。
「リリィ様、またですか。 貴方様は婚約者のいる御令嬢ですよ。 なのに、どこの馬の骨ともわからない卑しい男にわざわざ会いに行くなんて正気とは思えません」
「ロナウドには話してあるわ。 彼の友人ですもの、身分はしっかりしているはずよ」
「そうかもしれませんが、万が一の場合は私が叱られてしまいます」
侍女の言葉が刺々しいのは私を心配だからだとわかっている。 それでもどこかジェイへの侮蔑を感じるのはどうしてだろうか。
やはりジェイの薄汚れた見た目が原因なのかもしれないが、人間性は確かなものだと私には思えるのだ。
「遅くならないように帰って来るわ」
侍女からお茶菓子のスコーンを受け取り、外へと出て行く。
片手の籠とは反対の手に日傘、手には白い手袋。 今日は日差しが強そうだ。
あれからもう何度も森を抜けて往復している。
少しずつビアンカが元気になり、うっすら目が開いてきた。
ビアンカ、と声を掛けるとか細い声で鳴くのが可愛くて何度も呼び掛けてしまう。
その度にジェイにしつこいと笑われてしまう。
邸にはシェフと執事、女中のみで、それ以外は一人もいないらしい。
ジェイは私の持参するおやつをとても喜んでくれる。 シェフの作るケーキだってとびきりの美味しさだというのに。
彼の執事は初老で、子供の頃からのつき合いだそうだ。
年下の主人に対し、いつも恭しく接しているのが印象的で、まるでそうするのが当然という態度。
そして私に対しても同様で、それがどこか懐かしく感じてしまうのだ。
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