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episode.10

よく晴れた夏の真昼間だった。

黒いワンボックスカーが五日間も駐められていた。運転席には誰もいない。夜中の間に来たのか、どうやってここにこの車が来たのか、わかる人は誰もいなかった。通報があって、中を調べると黒い大きなスーツケースの中に眠っている若い男性がいたという。



「村瀬アオイさん、二十四歳」


本当に何も覚えていなかった。一度は自分の名前も忘れてしまったほどだった。


頭痛がして、目が覚めて、体中が熱くて、とにかく言われたままに出されたものを食べ、とことんまで眠った。骨までが自分のものでないみたいに、ふわふわとした時間が過ぎていった。


どうやら、僕はさきほど黒いワンボックスカーの中で発見された若い男性であるみたいだった。

この数日の記憶はない。CTやMRIを次々と試すように言われて、聞き返す気力もなかった。

まるでベルトコンベアに流される量産型のお菓子みたい。


警察などという物騒なところに、どうして僕は用事があるんだろうか。頭が痛くて仕方がなかった。トイレに行ったときに鏡を見たけれど、頭は白い包帯がぐるぐる巻きになって、おまけにネットまでかぶっていた。


ビニール袋にたくさんのものが入っていた。

白いスカート、真っ青なシャツ、缶切り、割れたコップの破片。テレビのリモコン。帆波の持っていた、宝物袋みたい。そう思った。

そう思った瞬間、どっと押し寄せるように帆波を思い出した。



帆波は僕が大学に進学した夏に始めた、アルバイト先の本屋にいた。

黒いたっぷりとした長い髪がとても大人びて見えた。小麦色の肌に切れ長の目元が彼女の知的な雰囲気をより一層際立たせていた。僕は男だというのに肌は白く髪も茶色い。声だって低くなりたいのになれなかった。


帆波は夜の海辺に流れ着く静かな波のように、穏やかな声をしていた。僕は帆波の声が聞きたくて毎日電話をかけた。帆波は少し迷惑そうにも感じた。

それでもかまわなかった。帆波は優しいから、迷惑だとしても受け入れてくれるに違いなかった。帆波は三歳も年上だったから、たった半年だけ一緒に働いただけですぐにアルバイトをやめて就職してしまった。

その時はわからなかったけれど、とても大きな会社に勤めていた。帆波は賢いし、綺麗だから当然だと思った。



帆波になりたくて、こっそり帆波の香水を盗んで使ったことがある。甘い匂いがした。鼻先に苺の匂いがツンと刺さった。僕はどうしようもなく胸が苦しくなった。

あとから、これは僕が帆波を欲しがっている感情なのだとわかったけれど、当時の僕にはまだ難しかった。二十歳の夏だった。僕は一度帆波を抱きしめようとしたけれど、猫のようにするりと彼女はすり抜けてしまった。


少しだけ落胆したけれど、逆に言えば少しだけしか落胆しなかった。僕はずっと、初めて会った時からずっと、帆波に決めていたから、まだこれからだって何回もチャンスがあると思った。

帆波はいつでも僕を褒めてくれた。毎日の電話で、夜の波のように穏やかで静かな声で、彼女は僕を褒めてくれた。


帆波の背は高くなくて、でもとても女性らしい体つきをしていた。スーツを着たときの腰のラインはとても綺麗で、見るたびに僕は胸が苦しくなった。

なのに痩せたい痩せたいと、彼女は口癖のように言うのだ。僕は不思議で仕方なかった。


でも帆波は僕にとって、ずっと尊い存在だったから、痩せる痩せないの話に首を突っ込むことなんて到底できそうになかった。

少しでも喜んでほしくてインターネットで調べて、青魚に痩せるホルモンが含まれていることがわかったから、嬉しくて帆波に電話をした。帆波はうんうんと僕の話を聞いてくれた。

次の日に帆波の家に行ったら、晩ごはんのメニューは鯖の煮つけだった。帆波は嬉しそうな顔をして僕を見た。見たことのないような大きな笑顔だった。

帆波にとって、僕は少しでも必要な存在になれたんだろうか、なれたんだろうか。



「異動があったんだ。っていってもね、都内のままだから。安心して。それよりもね、今住んでるところより、帆波の家の方が今度の部署に近いの。だめかなあ、一緒に住むの。そもそも僕は毎日でも帆波に会いたいと思ってるんだけど。」 


勢いよく言ったあと、少し間があった。このまま電話を切られてしまう、反射的にそう思った。怖くて目を閉じていると、穏やかな声で、いいよと聞こえた。


帆波と一緒に暮らせる。僕はプロポーズのつもりだった。帆波と出会ってもう五年になる。やっと僕は、欲しかった帆波を手に入れることができるんだろうか、できるんだろうか。




「村瀬さん、答えられることだけでいいのでお願いしますね。」


帆波のことを思い出していたせいで、僕はずっと無言だった。目の前の刑事はいらいらしていた。

慌てて宝物袋みたいなビニール袋に目を落とす。白いスカート、真っ青なシャツ、缶切り、割れたコップの破片、テレビのリモコン。



「残念ですが、赤ちゃんは…」

雨がたくさん降っていた夜だった。

帆波は気分がよくないからと、その日は午前中の会社を休んでいた。出かける時、眠そうな目のまま帆波は、行ってらっしゃいと言って少し微笑んだ。

化粧をしていないと、いつも大人っぽい帆波でも少し幼く見える。小さな帆波をぎゅっと抱きしめた。

この頃帆波は少し痩せた気がする。グレーのスウェットは以前よりとてもゆとりがあるように見えた。鯖缶のせいか、とも思ったけれど、そんなに強烈な効き目があるわけがないじゃないかと自分の中の自分に笑われてしまって、押し殺していった。



「傘、持っていかないの?」

「予報だと夜の二十時ぐらいに降るみたいだけどそんなに遅くならないから。荷物になるから置いていくよ。辛かったら午後も休んでいいからね」


大きなミスをして、急な残業が入ったというのに、たまたま携帯を忘れてしまった僕は帆波に連絡ができなかった。焦っていた。

黒い窓を、こらえきれなくなったような大粒の雨が叩いていた。



タクシーで帰宅すると帆波は家にいなかった。キッチンに作りかけのカレーが置いてあった。僕がいつも使っている水色の傘もなかった。帆波に電話したけれど着信音は寝室から響き渡った。



帆波が雨の中、僕を探しに出掛けて行って、神社の前の階段で足を滑らせて救急車で運ばれたことは、帆波のお母さんから聞いた。

一緒に暮らしているけれど、僕は他人だから連絡をもらったのは翌日のことだった。帆波の一番になったはずだったのに。肝心な時に、僕は帆波の側にいない。



「赤ちゃん、ダメになっちゃったの。」


二週間も帆波は目を覚まさなかった。頭を強く打ったことと、雨に濡れたまま二時間も発見されなかったことが原因だった。

近所のホームセンターの店員が救急車を呼んでくれなかったら、帆波は助からなかったかもしれなかった。

帆波の命を助けるために、帆波のお母さんは全身麻酔を選んだ。賢明な選択だったと思う。


けれどあれ以来、帆波はぽっかりと穴が開いたみたいに、いつもへらへらと笑っていた。僕はとても打ちのめされた。帆波が帆波でなくなってしまったみたいだった。



大好きな帆波と一緒に暮らして、欲しかった帆波が自分だけのものになって、僕たちの分身みたいな赤ちゃんができて。息ができなくなりそうに幸せだった。



まだ彼女を幸せにできる自信は正直なかったけれど、ほんの少し怖かったけれど、何よりも幸せの濃度が勝っていた。帆波といる時間は真空状態みたいだった。赤ちゃんができたという知らせを聞いた時、僕は一刻も早く、帆波の一番になりたいと思った。


帆波にとって、何をどう考えても真っ先に重要な人間になりたいと強く思った。真っ白い箱を持って帰った時に帆波は、まだ何も言っていないのに見たことがないような嬉しそうな顔をした。

これでやっと、帆波とずっと一緒にいられる。




「村瀬さん、」

刑事は煙草に火をつけた。いらいらした様子はなくなっていて、少しあきれて見えた。


真っ青なシャツは僕が着ていたものだった。缶切りには見覚えがなかった。一度だけ帆波と一緒に家の近くのホームセンターに行ったけれど、その時はこれは買わなかったと思った。



「アオイ、」


帆波はぎゅっと僕の手を握った。病院からの帰り道だった。もう頭の傷はうんとよくなっていたけれど、赤ちゃんはいなかった。帆波は不安そうに僕を見上げた。

帆波の口元が何か言ったような気がしたけれど、目の前がぼやけてよく聞こえなかった。これからどうしたらいいんだろう。



帆波を繋ぎ留めておきたい。ずっと側にいたい。

僕のせいでこんなに不安な顔をさせてしまったのにそんなことを言う資格はないのかもしれないけれど、僕はそれでも帆波と一緒にいたかった。



ふっと我に返って帆波の目を見つめた。ひどく悲しそうな顔をしていた。

やはり無理なんだろうか、僕たちの赤ちゃんが僕のせいでいなくなってしまったことを受け入れて、こんな頼りない僕と一緒にいるというのは無理なんだろうか、無理なんだろうか。


 

帆波は桂あつ子という歌手が好きだった。僕は彼女の音楽性には惹かれたけれどルックスは全くだった。

白い肌、茶色い透き通った瞳、柔らかそうな髪は短く切っていて、時に少年のように見える、すらっとした女の子だった。


帆波は音楽性に加えてルックスも好みなようで、桂あつ子の使っている化粧品や衣装のブランドをよく調べていた。口出しをすることはできないから側で見ているだけにしていた。帆波に喜んでほしくて、桂あつ子の出ている音楽番組は欠かさず録画した。


家に戻ってきてからも、帆波は会社を休んでいた。家永さんという綺麗な女性が一度だけ来たことがある。

帆波が好きでよく食べていたらしいスモモのジャムとヨーグルトを持ってお見舞いに来てくれた。僕の知らない帆波が見えた気がして、ありがたいはずなのに僕はとても落胆してしまった。



帆波は眠っていたので、家永さんはそのまま帰ってしまった。夜になって帆波が泣いている声が聞こえたけど、すぐにドアを開けて抱きしめてあげることが僕にはどうしてもできなかった。




ある晴れた土曜に、その日はなんだか朝からひどく恐ろしい予感がしたけれど、どうしても仕事が休めなかったので僕は出勤した。


のっぺりと塗りつぶしたような青い空が広がっていて、白い雲は地面につきそうなほど垂れ下がっていた。

歩く少し先の景色はもう揺れていて、僕が今立っている、このほんの少しだけのスペース以外は、生存に適さない場所であると言われているような暑さだった。




家に帰ると帆波はデートで着るような綺麗な白いスカートを穿いて嬉しそうに座っていた。


「おかえり。」


振り向いた帆波の目は内出血して青紫に腫れ上がっていた。

僕は本当に最低だけれど帆波の顔を直視することはできなかった。思わず大きく手を広げて抱きしめた。帆波は本当に嬉しそうに、くすくすと笑いながら僕の腕の中にいた。帆波は溶けてなくなってしまいそうに小さかった。



こんなに小さかっただろうか?手術が、入院が、赤ちゃんがいなくなってしまった悲しさが、彼女をこんなに小さくしてしまったのだろうか?

帆波をいつまでも抱きしめながら僕はありったけの愛の言葉を彼女に伝えた。そうしないと何か恐ろしいことが起きるんじゃないかと、とても焦っていた。いつの間にか帆波は腕の中でうとうとと眠ってしまっていた。


ドアを開けると、帆波のお母さんが立っていた。怒っているのか、悲しんでいるのか、わからないような顔をしていた。


「帆波は?」

「今眠ったところです。」

「そう…。」


帆波のお母さんは少しそわそわしていた。何か言いたそうにしていた。イライラしているようにも見えた。途方に暮れているようにも見えた。


「これね、帆波が五歳のとき。絵を描くのが上手でね、賞取ったのよ。まあ、幼稚園の中での賞だけど。」


帆波のお母さんはたくさんたくさん写真を持ってきていた。僕の知らない帆波がたくさんいた。帆波はあどけない表情をして笑っていた。

かわいい。あの子がちゃんと産まれてくれていたら、こんな顔をしていたのだろうか。


「…アオイくんもつらいわよね、ごめんね」


帆波のお母さんはびっくりした顔をして、僕の肩をそっと撫でた。

僕は気づいたら、しくしくと、しまいにはわあわあと、思い切り声をあげて泣いてしまっていた。


急に梅雨が来て、こらえきれなくなった雨が、堰を切ったように降り始めたように、ぷっつりと感情が途切れて、僕は泣くことをどうしても止めることができなかった。



夜になってテレビをつけると桂あつ子が生放送の歌番組に出ていた。

恋人と一緒にかき氷を食べるという内容の歌を歌っていた。ころころと鈴を転がしたような声をしていた。


最後のサビに入る前、彼女の背後のスクリーンにミュージックビデオの映像が大写しになった。水玉のビキニを着て海岸を走り回りながら、まるで恋人にそうするように、カメラに向かって桂あつ子は微笑みかけた。ブルーハワイのかき氷を食べながら、ぺろっと舌を出した。



本当にばかげている。思わず僕はそう思った。帆波はこの子になりたいんだ。そう思うとなんだかイライラした。

僕はもう、自分の知らない帆波や自分が共感できない帆波がいるのが耐えられなかった。帆波の好きなものは全部好きでいたいのに、帆波の全てを理解していたいのに、帆波は僕のペースを無視してどんどん歩いて行ってしまう。



振り向くと帆波が立っていた。ゆらゆらと揺れるように体を支えて怖い顔をしていた。夕方に見た帆波の顔とは全然違って見えた。


帆波は切れ長のすっきりとした一重まぶたをしていたのに。化粧をしないでいるとまるで子供のようだけれど、黒いアイラインを長く引くとたちまちに手の届かない綺麗な帆波になるから大好きだった。

今の帆波はまるっこい大きな二重まぶたをしていた。頭の悪い子犬みたいな顔をしていた。僕は愕然とした。帆波を愛している。愛している。愛している。

素早く言い聞かせないと悪いことが起きそうだった。



でも僕の愛している帆波は、目の前にいる彼女なのだろうか。いろんな気持ちが、これまでの思い出が、一気に押し寄せてきて、僕は口をぱくぱくさせることしかできなかった。


帆波は甘ったるい苺の匂いをまとっていた。むせ返るような濃い匂いが部屋中に充満していた。僕の好きな帆波の匂いだったけれど、今はなぜだかとてもイライラした。帆波はとても悲しい顔をした。しゃがみこんで何かを探すようにしていた。

テレビからは桂あつ子の歌がずっと聞こえてきて、僕はイライラしていた。

テレビを消そう、帆波とちゃんと話そう。テレビを振り返り、リモコンを持って電源ボタンを押したその時、




「村瀬さん、あのね、言いにくいのはわかるけど、言わないとずっとここから出られないよ?」


刑事はいつの間にか交代していて、少し優しそうなおじさんに変わっていた。



汗だくの僕は何も考えられないでいた。あの日の晩に何があったのか、僕は嫌というほど鮮明に思い出していた。



暑い夏だった。何もかもを思い出して、気を失ってしまって、病室に戻された後、窓から差し込む光で目が覚めた。



気が付いたら、僕は歩道を足早に歩いていた。誰かが叫んだり怒鳴ったりしている声が後ろから聞こえてきた。

恐ろしくてどんどん走った。脚がもつれて何度も転んでしまったけれど、どうにかして乗り込んだタクシーで、家の前の坂をゆっくりと上っていたのは、もう夕方の四時を回った頃だった。



ドアには鍵がささったままになっていた。帆波との思い出だった色あせたピンクの熊のキーホルダーは、もうそこについていなかった。


埃っぽい玄関で靴を脱いで奥までぐっと見渡した。がらんどうになった部屋の中を歩いた。

リビングのテレビがあったところに薄いピンクの、何かを噴射したような大きなシミができていて、側に寄るとむせ返るような苺の甘い香りがした。

床はとても傷ついていた。ガラスの破片がまだ少しだけそこに残ってキラキラしていた。指でなぞるとちくっとした痛みが走って、気づいたら指の間をすーっとぬるく伝う感覚があった。




ポケットに入れた携帯電話はやっと充電が終わって電源が入った。

帆波からの着信が三十九件、留守電が一件あった。最後の電話は今日のお昼の二時だった。


とくん。心臓が少しだけ鳴ったのを感じた。



ほとんど雑音ばかりだった。帆波の声が混じっていないかと耳をぎゅっと集中させてみたけれど何も聞こえなかった。

三分十八秒もあった。がっかりした僕は途中で聞くのをやめて、窓をぐぐっと開けた。

蝉の声が顔にかかるように部屋に入り込んできた。頭に張りついて思考を全部止めてしまうほど、強い調子で鳴いていた。

透き通るような青い空が広がっていて、真っ白い雲はメレンゲみたいにちょこんと空に漂っていた。




 好きな人と食べるかき氷は、頭がつんとして痛いのさえも嬉しいの。


桂あつ子の歌を、何度も聴いたから、もう覚えてしまっていた。

 




“十日午前八時すぎ、港区芝浦のビルから「異臭がする」として近隣住民から110番通報がありました。室内にあったポリ袋から男性の腕のようなものと大量の鯖の缶詰のゴミが発見されたとのことです。このビルを所有する、美容クリニック経営の五十二歳、吉野マコトさんの行方が分からなくなっており、三田警察署は遺体の身元の確認をするとともに、事件と事故の両面で詳しい原因を調べています”




 

「こんにちは」


もう出ていく家だけれど、同じマンションの住人だったから、反射的に挨拶をしてしまう。自分でも嫌になるような律儀な性格だった。


ポストの前にいた女性はおびえたような顔をしてこちらを見た。口をパクパクさせて呻いていた。


茶色いショートカットの髪に白いワンピースを着て、骨と皮だけみたいにやせ細っていた。それなのに不自然なほどに大きな胸がアンバランスだった。顎は尖がっていて、目はくぼんだように大きな二重まぶただった。張りつけたような白い肌はところどころ不自然に光っていた。

桂あつ子にとても似ていたけれど、桂あつ子をもっともっと不幸にしたような風に見えた。



桂あつ子が、女性たちの中でとても流行っているのは痛いほどよくわかった。帆波も桂あつ子になりたくて、二重整形なんてしたんだ。

なんであの子が人気なんだろうか。ふっと悲しくなった。僕の知らない帆波があまりにも多すぎて、僕はもう疲れてしまった。



歩いているだけでじんわりと汗をかくようだった。もう夕方だというのに。八月はまだまだ長い。


ホームセンターに、花の鉢植えがいくつも並んでいた。帆波の好きだったポーチュラカの鉢も並んでいた。ピンクやオレンジの色が、蛍光色に光ってまるでおもちゃみたいに見えた。

買って帰ったら帆波は喜ぶだろうか?そんな考えがすっと頭の中を横切って、自分でも気づかないうちに消えていった。



「何かお探しですか?」


やや浅黒い肌をしていて、黒いつやつやの髪を丸くカットして、手にはマメがたくさんあって、背がとても高い店員が話しかけてきた。



帆波の笑顔がまぶたに張りついていた。帆波は、何パーセントの帆波を僕にくれたんだろう。ポケットから出した携帯はもう鳴ってはいなかった。ふと、マンションを出る時に最後に見た、ゴミ捨て場の光景が浮かんだ。


空いた缶詰がたくさん捨ててある袋は、張り裂けそうなほど胸が痛くて、痛くて、同時にイライラした。


しくしくと泣けて来て、しまいにはわあわあと泣けて来るのではないかと身を固くしたけれど、これっぽっちも涙が出てこなかった。



八月の夕方はいつまでもいつまでも日が残っていて、のっぺりとした青い空にオレンジ色の夕日が蛍光色に光っていた。


僕は最後まで聴かずに、さっきの留守番を消去した。



完結しました。

更新していて本当に自分でも心が重くなりました。


ニ年前の夏に一番わたしの心がやられていたときに急に思い立って一晩で書いた作品です。


他の作品に比べてテーマもリスキーだし、載せるかとても迷いましたがこの季節になると時に憂鬱だし、だいぶん自分の書きたい路線めいたものは確立できてきた気がするので、初心に帰る意味で掲載しました。


連載にしたのでぷつぷつと途切れてしまっているかもしれませんが実は伏線がたくさんあります。あとから、このとき本当はこうだったんだって気づくと悲しくなります。



帆波ほど大きな過去がなくとも、

わかり合うのって本当に難しいと、心から思います。



最後まで読んでくださってありがとうございました。

もしこの作品からわたしに出会ってくださった方がいたら、他の気楽な作品も読んであげてください。

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