乞い焦がれる灼熱 フィリーネ
リセルの屋敷は地下を除いて、意外にも人間が建てたものである。不可侵条約により僻地の山まで人から離れた時、せっかくだからと当時の国王が国内の大工に作らせたのだ。魔法を使っていないにしては良い作りだったので、劣化、倒壊しないようにする魔法しか使われていない。
屋敷の部屋数は多く、一階が給仕の私室や名ばかりの応接室、生活に必要な設備が整っている。ここだけ見るならレミィからすれば広く立派な屋敷なのだが、その二階にはどう考えても雑に置かれた装飾品と、何の設備も無くただ十二の部屋が並んでいるだけという広いだけの廊下が存在するばかりである。
というのは、その部屋に宿泊するのが十席の弟子達だからである。気軽に修復できるからと言って揉めて辺りを破壊する、生活圏を故郷や拠点に合わせるため、最大限シンプルにしているらしいと聞いている。
そんな廊下を一つずつ回り、リセル達が話し合いで出した考えを伝え、それぞれから話を聞くというのがレミィに任された仕事である。もちろんのことそんな仕事は先代からは引き継いでいない。先代は先代で何か別の仕事を与えられていたようだが、レミィはそれを知らない。
「フィリーネ様、レミィです。昨日の話について、主さま達の考えを伝えに参りました」
「んー……入っていいわよ……」
席次に従い端から。二席、火の魔法を好み操る情熱の魔法使いフィリーネ。気の抜けた返事に従い部屋に入ると、シーツの丸まったベッドの上で髪を乱し、顔の隠れた彼女が這っていた。部屋は目を開けていられないほど熱く、レミィは急いで魔法結晶を握り身を守る。
「あ、あの、フィリーネ様、この部屋の、その、温度が……」
「え?あ、ごめんごめん、酔って調整が……ほっ」
枕の下から杖を取り出し一振り。髪をかき上げつつ、裸のままクローゼットに向かう。この部屋は彼女のもので改造も自由だが、彼女自身不得手なので何も為されていない。クローゼットを開け、何も無いことに眉をしかめると、ベッドに戻りシーツを巻き付けた。
「もう大丈夫よ、たぶん普通……だと思う。寒かったらごめん」
「ええ……あ、大丈夫のようです」
「そ。お前、私の服知らない?昨日着てたのもそうだし、クローゼットに一着入っていたでしょ」
「え?四年前にフィリーネ様がキツいと言って処分なさったではないですか」
「え?あー……まあいいや。またアンに作ってもらお……」
「本当に都合の良い身体ですね、魔法使いというのは……」
呆れつつ、レミィはメモを取り出す。魔法使いとして一定のラインを超えると寿命が消失するのだが、それに伴い姿が可変のものとなる。小蝿から巨竜、液体にまで変化できるミーシャとまではいかずも、外見を弄る程度のことは当然のようにできる。シーツからはち切れんばかりの性的魅力に溢れた彼女の姿も、定期的に趣味で変化させているものでしかない。
「ふふ、お前も五十年死ぬ気でやればこうなれるわよ」
「遠慮しておきます。それで、主さまの話なのですが」
「お前なんでそんな淡泊……ああ、ダーチャか……」
「はい。良いものを頂きました。これでわざわざときめかなくて済みます」
「毎回ときめいてたんだ」
「恥ずかしながら」
超越した魔法使い特有の妖しい魅力を前に平坦なレミィ。その首にかかっているのは、マジックアイテム作成の天才であるダーチャお手製の、精神をある程度平静に保つことのできるペンダント。これが無ければ全裸の魔法使いなど一般人にとっては何を捨ててでも手に入れたい宝に映るだろう。あらゆる欲に取りつかれていたに違いない。
感情が動かないためあからさまな作り笑顔を貼り付けて、数十分前の話し合いで出た話題を伝えていく。酔っていて頭を痛めているのか、フィリーネはそれを頭を殴りながら大人しく聞き、終わるとすぐに横に倒れ込んだ。
「そーねー……まあこんなことお前に言っても仕方ないんだけど……火の魔法ってのはかなり扱いが難しいのよ。雷もそうだけど……一歩間違えると自分を傷付けるわけ」
フィリーネが手の平を上に向けると、人の頭ほどの炎がそこに浮かんだ。青白く輝く炎は、芸術品として価値を付けたくなるように美しく揺らめく。
「だから、あんまり教えたくないというか……まあでも、役に立つか立たないかで言うと立つし、飛べなくても無理やり飛べるし……でもなあ……戦うには正直必須なのよ。物に推進力を持たせたり、活性化させる作業が必要なの。そもそもマナを直接燃やすものだから、マナの扱いにも慣れてないといけないし……」
「はあ……」
彼女の言っていることは正直何も解らない。リセル以下魔法使いは、魔法使いになろうという意思を持った人間にしか、魔法の原理の説明をしてこなかった。魔法使いたちの割と重く感じる過去の話は知っていても、度々会話に出る魔法力やマナという単語の意味は解っていない。
「ああ、まあ、あー……師匠もああ言ってるし、お前も理解のために意味くらい知っておきなさい。マナってのは、師匠が発見した、一つ一つが違う力を内包して空間に漂う……まあ、粒みたいなものよ。それに干渉する力ってのが魔法力ってやつね」
「なるほど……?」
「火の魔法ってのは、マナを直接燃やすの。他の魔法ってのは、例えば水の魔法を使おうと思ったら水の力を持つマナを集めて水を作って、マナ由来のそれを魔法力で操作して、ってやるんだけど、火の魔法は直接着火して、燃えてるマナを操作するわけ。この違い解る?」
「いえ、解りかねます……言っていることは解るのですが……」
「んー……例えば、例えばよ?こう、離れた場所に雷のマナを使ってる奴がいるとするでしょ?」
杖が振られる。レミィの右手側の壁際に、白く輝くスパークを散らす何かが出現した。感情が抑えられてなお、触れたら自分など一瞬で死ぬと解るその魔法に、レミィは慌てて結晶を握った。構わずフィリーネは寝転がったまま杖を操作する。
「今、そのボールがあるところに、雷のマナが集まっているわけ。無数にあるこの部屋の雷のマナを集めて、そこに発生させてるの」
「な、なるほど……」
「この部屋は師匠の計らいで、扉も壁も窓もマナが通り抜けないようになってる。つまり、この部屋全体で雷のマナはそこに偏って、他の所からは消えているわけ」
「はあ……」
「つまり、この状態でもう一つそれを作ろうとすると……」
再び杖が振られると、雷の球から部屋の対角線上に、もう一つ同じものが生まれ……大きな音を立てて、その間を稲光が繋ぎ始めた。球はまるで奪い合うかのように大きさを変え、時間と共につながる雷光が増えていく。
「こういう風に、マナがどちらに行くべきか解らなくなって干渉しあうの。これはどちらも私が操っているから拮抗しているけど、これに実力差が付くと……?」
「雷のマナが、実力のある方に全て流れる……ということですか」
「ご名答。私達が師匠に勝てない理由の一つはこれ。私達が使えて師匠が使えない魔法が存在しないから、極端な話同種の魔法を使われるだけでマナを全部持っていかれるの。これは外でもそうよ。扱うマナの量が膨大だから、屋外でも辺りのマナを全部持っていかれるの」
「なるほど……」
勝てないと説明する彼女は、目に見えて落ち込んでいて、自嘲して少し笑った。
「最も、火の魔法はマナの性質に関わらずマナに火を付けるから関係無いんだけどね。私が勝てないのは私が未熟だから……あはは……私が弱いばかりに、師匠の夢を有象無象に任せないといけないなんて……死にたい……」
「………あの、それで、学校の話は」
「…………お前図太いわね、こんなに解りやすく落ち込んでるのに」
仕事ですからと首を傾げるレミィ。涙をこぼしかけていたフィリーネも、すぐに切り替え、魔法を消すとベッドに胡坐をかき考え込んで腕を組んだ。
「今も言ったけど、火の魔法は格下が格上相手にでも使える結構便利なものなわけ。だから、そこそこ優先して教えてもいいと思うわ。ただ、マナそのものの操作の基礎を知らないといけないから、移動に関する魔法や、理論を知った後が良いわね。設備は……まあ、特にいらないかな、延焼するものが無いそこそこ広い場所があればいいと思うわ」
「はい、伝えておきます。他に何かございますか?」
「そうねえ……あんまりいろんなことを考えるのは苦手なんだけど……概念燃焼は教えないと言っておきなさい」
「概念燃焼?」
メモを取っていた手が止まる。また聞きなれない言葉だ。説明を受けられそうなときに聞いておくべきだろう。
魔法使いはとても気まぐれだ。
「ええ。実演はしないけど……普通の火の魔法が空気中のマナを燃やして操るのに対して、こう、出力を思い切り上げて、他人が魔法発動に使おうとしているマナに勝手に火をつけて発動を妨害したり、燃えない物や外を守ってる人間の、体内とか物質内にあるマナを燃やして強引に燃やす魔法の総称よ。なかなか使えるとは思えないけど、一応ね」
「わ……かりました。それも伝えます」
「怖がらないで、お前にそんなことしないわ。師匠のお粗末な魔法結晶くらいなら貫通できる自信はあるけど……」
「し、失礼します!」
それ以上具体的な死のイメージができる前に、レミィは早足で部屋を出た。握りっぱなしの魔法結晶についた手汗を拭い、彼女は次の部屋に向かった。