1000年後の世界
「あの、主さま、ここは……」
「ちょっとした未来だよ」
「後ろの方は……」
「自衛用のゴーレムだよ。昨日作ったんだ」
リセルは二人を連れ、早速千年後に飛んでいた。僻地にあった屋敷はどうやら無人ではあったがやはり僻地にあり、リセルは嘆息して壁の苔を払った。
「この屋敷を放棄するとは……未来の私は何を考えているのだろうか」
「千年経ったにしては劣化していないような気もしますが……」
連れてきたのは今代のお飾り貴族レミィと、先代であるニーアの若い頃の姿を模した自立型ゴーレム。無言で立つゴーレムの威圧感を感じながら、リセルはフードを被り直した。
「それは私の屋敷だからね。これでも聖遺物……あるいは古代遺跡を目指そうとしたこともある。もちろん、突破すれば財宝が手に入る」
「私達、そんなところで生活していたんですか……?」
「あの地下室だけだ。きちんとした手順を踏まないとそうなる」
リセルは山からかつて都市があったはずの離れた場所を眺めている。そこには変わらず都市があったが、どうも城壁のようなものが築かれている。リセルの時代にはそんなものは無かった。そんなもの無くても、魔法による障壁で事足りたからだ。それぞれの都市には必ずお抱えの魔法使いがいて、城壁というのはむしろ視界を塞ぐだけの邪魔なものでしかない、というのが定石だった。
それにもう一つ、無人なのも気にかかる。リセルがいないのは当然だ。確実に戻らなければならない関係上、リセルだけは直接ではなく意識を飛ばす方法で飛んできているからだ。だが、屋敷のお飾り貴族もいないのはおかしい。
「ゴーレム。ここに人間はいつまでいた」
「六百年前ほどまではいたようです」
ゴーレムに問いかけると、それは在りし日のニーアの声で即座に答える。それにリセルは探知に関する魔法と、最低限リセルに力を示すための戦闘能力を持たせている。そうか、と短く答え、彼はレミィの身体に杖を向けた。
「移動も良いが普通に飛んでいこう。身体に障るからな。浮くぞ今代の」
「は、はうわあぁっ!?」
文様の装飾が刻まれた羽ペンほどの杖に従い、レミィの身体が宙に浮く。重力を克服する飛行の魔法は本来自分一人が行えて半人前、他人を強引に浮かせることができて一流だが、レミィの身体は完全に制御され都市の方に飛んでいった。何とか息のできる速度で、彼女の意思とは関係無く飛んでいく。
「着いてこい」
無言の首肯。先行して飛んでいった彼女を追って、二人もそれを超える速度で飛んでいった。自分と他人を同時に飛ばす、これも彼が大魔導士たる所以である。
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「……おや、あれは」
空中を目にも止まらぬ速度で飛んでいる最中、リセルは地上に一台の荷馬車を見つけた。何の荷物を運んでいるのかは知らないが、リセルが気になったのはその存在ではなく、その荷馬車を馬が引いているという点である。
「馬ですね……今時……あっ、未来でした」
「なお古臭いな。大方魔法使いを雇えなかったのだろう。手伝ってやろうじゃないか。ついでにこの世界で一番強い者の話も聞こう」
荷馬車というのは名前に反し、魔法技術が発展した千年前、リセルの時代ですら、魔法使いを雇い動力として運ばせるというのが一般化していた。仕事の無い魔法使いの仕事の一つでもあったし、非生物物体を動かすというあまりに初歩的な魔法で出来る芸当である都合上格安で雇える。たとえ非合法なものであっても、非合法な魔法使いがいた。
それも払えぬほどの貧乏人か、あるいは商人も駆け出しも駆け出し、馬の方が安く上がると勘違いでもしているのか。まだ食用でない馬がいたのかと驚きつつも、荷馬車の少し遠くに降りて近付く。あまり高度な魔法を見せて騒ぎになっても困る。歩いて近付き、ただの魔法使いのように話を持ち掛ける。
「こんにちは、商人の方。もしよろしければお話を聞かせていただけませんか?」
ゆっくりと進む馬車に並行して歩きつつ、リセルはできるだけ笑顔で話しかける。あまりに老人過ぎるいつもの姿では警戒されるだろうと考え、彼の姿は地に降り立った瞬間から若い女性に見えるようになっている。美しい女性の姿に少し警戒しながらも、商人は手綱を握りながら見下ろした。
「なんだ嬢ちゃん達。こんなところで」
「いえ、旅の者なんですが、少しお話をと思いまして……もちろんただとは言いません。簡単な魔法程度なら使えますので、荷馬車を運んで差し上げます」
悪くない条件でしょう?と身振りを交え問うたリセルに対し、商人の男性は恰幅の良い腹を揺らして笑った。
「ははは。嬢ちゃん、解ってるな。商人はただじゃ口も進まねえ」
「ありがとうございます。では……」
「だが、せっかくだからただで一つアドバイスだ。嘘をつくにしてももっとマシな嘘をつかないと、そんなんじゃ誰も騙せねえぜ」
「はい……はい?」
一向に馬車を止めようとしない商人。リセルは嘘をつかない。つく理由もない。特に今は、商人の利益には何の関わりもない情報を、安いとはいえ通常金のかかる作業と引き換えにしようと言っているのだ。初対面の魔法使いは信用できないというなら話は解る。しかし、商人は何か可哀想なものを見る目でリセルたちのことを見ている。
「子どもの頃は俺も魔法を使えると信じてたもんだ。昔のおとぎ話を熱心に見て真似事をしたりな」
「あ……」
失敗だ。子供の姿になったからこそ舐められてしまっている。とはいえ、リセルの姿を馬鹿正直に見せても結果は変わらなかっただろうが。老人だと舐められるか女性だと舐められるかの違いだ。
「いえ、こんななりですがそれくらいの魔法は使えるのです。今証明を……」
「はは。良いよ。懐かしい気持ちにしてもらったしな。何か聞きたいことがあるなら言ってみな」
「………ではですね」
魔法の一つでも見せれば信じてもらえるだろうと杖を取り出そうとしたリセルだったが、何もせず話を聞けるならそれで僥倖。頭を下げ、世界で一番強い人間が誰かを聞いた。千年前に聞くなら、魔法のことを少しでも知っているならリセルだと答えるだろう。他の魔法使いに熱狂していても、最強が誰かだけは揺るがない。それほどの存在がこの世界にいるなら、それはリセルに並ぶ、あるいは打破する可能性もある。
「一番強い人間か……そうだな……」
考える商人に、当てが外れた、とリセルは溜息をついた。即答できない時点で……いや、まだ、何人も圧倒的に強い存在がいる可能性もある。その中で誰を言うか迷っている可能性もだ。その時点でリセルと同格なのは間違いない。
「まあ……隣国の王子様かねえ……うちの国の兵士長も信じられねえ強さではあるけどな」
「……兵士長?い、いち兵士がそんなに強いのですか?」
「おうともよ。嬢ちゃん、魔法とかそういうお話が好きなのに兵士長は知らねえのか?いい大人なんだし、それくらいは知っておいた方が良いと思うぞ」
「……痛み入ります」
兵士というからには、リセルの常識では魔法は使わない。兵士というのは数を揃え近接戦に持ち込むのが戦術であり、魔法使いがいない戦場での戦闘要員だからだ。奇襲をしたいだとか、夜襲に備えるとか、そういった目的でもない限り魔法使いの方が優秀だ。リセル自身、まさか魔法使いではなく兵士などに最強の座が奪われているとは思っていなかった。意識が乗り移ったリセルの身体は千年経っても全く劣化していない。その代わり成長もしていないが。誤差のように魔法力は上がっているが、それにしても兵士以下とは。
「兵士長は強い。何せでけえ岩や鉄の鎧でも一振りで両断できるんだからな。でも、隣国の王子さまはそれより強ぇらしいな。足も馬みてぇに速いんだとよ」
「……なるほど……あの、魔法使いの方は……」
「さあ……いたら強いんじゃねえかな。いねぇもんは比べられねぇ」
「……ありがとうございます……」
進む馬車を、足を止めて見届ける。魔法使いがいないなど、そんなはずがない。しかし、商人は情報を持っていて然るべきだ。嘘をついている可能性もあるが、それならゴーレムが指摘するだろう。それはそういう探知の機能もある。それが発生しなかったということは、少なくとも彼の中ではその王子様が最も強いのだ。
「どういうことなのでしょう。兵士さんが主さまより強いはずが……」
「まあ、そういう可能性もあるのかもしれない。優秀な剣士なら千年前でも一流の魔法使いに手を掛けることもある。この世界では私が掛けられる側なのだろう。そうでなくては面白くない。誰か解ったら一度戻って、この時代の私と一緒に勝ちの目を探すとしよう」
と、レミィに言い再び飛んで都市を目指しながらも、リセルには焦りがあった。兵士が自分より強いのは良い。元々最強でいたかったのではない。兵士であろうが他者が自分を越えたならそれは喜ばしい事だ。
しかし、あの商人。まるで魔法はおとぎ話の存在で、現実には存在しないような物言いだった。それが引っかかる。
もし、もし仮に。本当に魔法が存在せず、おとぎ話の存在になり下がったとしよう。しかし、リセルの身体はここにある。魔法使いが滅んだわけではない。魔法の使い手が少なかろうと、リセルという圧倒的な存在がいればその存在が否定される訳がない。
もちろん、リセル程度の力では話にならないほど兵士が強くなったのなら話は解る。それにしては岩を両断するだの馬並みに速いだのと。そもそも馬というのは魔法の存在でほぼ存在意義を無くし、速く走れる馬など逆に希少なくらいだ。仮に魔法に替わられる前の馬だったとして、馬の速度が出せない魔法使いなど話にならないし、岩も砕けない魔法使いも笑いの種だろう。
リセルは未来の自分を呪った。何故魔法がこんなことになっているのか。積極的に広める必要は無い。しかし、こうまで魔法の地位を下げた一端は間違いなく彼にある。大魔導士としての自覚を持たなければならなかった。
「考えなければならないな……」
リセルはそう呟くと、都市を前に地に降り立った。