交渉に非ず
北の荒野がいつから荒野であるのか、国の記録には残っていない。外の事情には興味の無いリセルや、リセルに比べそう長くは生きていない弟子達にもそれは解らない。ただ、だだっ広い荒野で、知恵も無い魔物たちが共食いを繰り返しているだけの空間と化している。付近の村は兵士たちにより厳重に守られているが、それも今日で終わるだろう。
「広いですねえ……まあ、これくらいが妥当ですか?」
「うむ……少し地面が柔いが、これは何とでもなる。良い土地だ。少し緑が少ないのは気になる……が、良い」
「そうねえ~……あの辺に川を引いて……うーん……正門はこっちかしら……」
「森とかあった方が良いのではないですか?あの辺に……あ、でも向こうの国から通えなくなりますね……」
二人が辺りを見回し、頭の中で構想を広げる。リセルは土に魔法をかけ固めつつ、早速獲物を見付け彼らを囲む魔物どもを視界の端に捉えていた。
「やはりこの大陸には知恵の無い魔物しかいないか……懐かしくていいものだが」
杖を取り出し、二足歩行も出来ないような魔物に囲まれつつも何の感情も無く振るリセル。アンもダーチャもそれらを見てすらいない。例え襲われようと、何も起きようがないと全員が理解している。次の瞬間、リセルの杖が光り、全ての魔物を光線が貫いた。ただの一瞬で、数十という魔物が血を噴き出して倒れていった。
「師匠、殺すなら消滅させてください。片付けの手間が生まれます」
「死体は誰も使わないのか」
「使わないですね……こんな雑魚ども」
「そうか」
再び魔法を発動させると、彼らを取り巻く荒野に突如として炎が巻き起こる。空を覆いつくすほどの高度で生み出された炎は完全なコントロール下で彼らがいる周囲の荒野を埋め尽くす。人間であれば肌も焼け骨も溶ける業火に囲まれても誰一人気にも留めず、轟音と共に魔物を灰と変えていく。
リセルのいる大陸には、知恵の無い魔物しか存在しない。少なくともリセルの調べた限りでは無い。知恵のある魔物は全てリセルの魔法力を避け別の大陸に移ってしまった。もちろん、戦うまでもなく怯えて逃げるような魔物を相手にするつもりも無いが。
炎が消えると、今度は荒野を取り囲むように地面から杭が生え始める。等間隔に、寸分の狂いもなく、無数の杭を生やして、それを植物の蔓が繋ぎとめた。
「こんなところか。アン、ダーチャ、どうだ?想像はついたか?」
「ええ、そうね~……まあ、何となくはね~」
「後は規模によって、ですね。何となく出すけど」
では戻ろう、と、リセルはここに来た時と同じように杖を振る。すぐにリセルの目の前の空間が避け、割れた。中から覗く空間は全く光もなく、ただ黒々としているのみ。しかし、誰も不振に思うことはなくその中に入っていく。
空間移動。彼が作った魔法のうち、移動に関する魔法のうちの一つだ。空間を通った先はリセルの屋敷。正確に大食堂に戻ると、定位置に全員を座らせる。手を広げたサイズの紙を作り出しテーブルに敷くと、リセルはこめかみに手を当てた。
「今代の。意見を聞こう。エーリク、少し戻れるか」
―――
―――
―――
「それで……此度の話は何だ。突然こんな……」
「悪いな。私も感情としてはそれどころじゃないんだ。簡潔に事実だけを話そう」
王城。変わらず玉座の間にて、一人残されたアリューザ、通路に残された椅子を消滅させた後、一つ残して座っていた。少し距離があるため億劫そうに声を張り上げるアリューザだが、これも彼女なりの気遣いである。
大魔導士リセル。弟子たちの間でも最強に疑いはなく、敬愛する存在であるのは間違いない。しかし、強い事と賢いことは必ずしも等号ではない。
「―――とまあ、私達が不甲斐ないばかりに師匠はそういう結論に達したんだ。悪いが引くつもりは無いぞ。酒でも飲んで座して待て」
魔法については全知全能、しかし国や人間というものへの理解を忘れてしまったリセルの代わり、彼の不足を埋め彼の夢を叶えるのは、そう思わせてしまった弟子たちの責任である。好敵手が存在せず、しかも未来に魔法が滅んでしまった事情を伝え、飲むか?と酒瓶を手渡す。
「しかし……そんなはた迷惑な……」
「仕方が無い。師匠がやると言ったんだ。それに、案外悪い話でもないだろう?」
当然飲酒などせず頭を抱えるアムス。ジョークが伝わらなかったことに首をひねりつつも、アリューザは杖を振った。詰めていた兵士の一人が宙に浮き、床と天井を高速で往復させられる。本人は悲鳴を上げる間もなく鎧の圧力で気絶してしまったようだが、他の兵士にどよめきは伝わる。
「何年か学校に通ったところで師匠に追い付けるわけが無かろう。師匠の目的はそこではなく、魔法をとりあえず常識として定着させ、千年に一度の才能に期待するような雲を掴むような……いや、雲は掴めるか?」
「うむ、む、むぅ……」
「だから、卒業生の大半は単に並の魔法使いとして世に放たれるわけだ。成績優秀者は国に仕官するよう誘導するだけでも得になるとは思わないかね」
アリューザの言うことはもっともだ、もっともだが、明らかに兵士より強い存在を王宮に入れるなど。反乱でも起こされたら。
「では、しっかりとした契約を結べ。私達が魔法をかけてやろう。裏切りなどできないような強力なやつをな」
当然のように心を読んできたアリューザには何も言わないとして。
裏切らない魔法使い。それはとても重宝するだろう。何せ魔法使いという生き物は、戦闘においても非戦闘においても並の人間十に匹敵すると言われている。もちろん、使い方によっては百にも千にもなる。今現在、リセルの弟子の弟子、それが全てのごく少数の魔法使いだけを見ても引っ張りだこ。彼らが良心に満ちた存在でなければ、報酬も青天井に吊り上がるだろうほど需要は高まっている。
それを国が抱えられるだけでも戦力は大きく上がる。しかし、それは同時に他国も魔法技術を扱うことを意味する。何代を重ねても変わらず、リセルがそういった知識に疎いと知った今でも、国がリセルに出せるメリットなど存在しない。提携してローセインだけで囲い込むことは出来ないのだ。
「もちろんそうだろうさ。だが、案外変わらん。細かく説明はしないが、魔法使いの魔法というのは同種の魔法を一定の距離で使うとその効力が落ちる。戦闘においても同じだ。結局兵士による白兵戦は無くならない」
「そう……なのか」
「まあ、師匠や私達には当てはまらないがな。後は……大地の魔法を覚え鍛冶屋になった魔法使いがいるとしよう。我々のような使い手ならともかく、並の魔法使いが作る剣など所詮は量産品に過ぎない。粗悪ではないが、一流の鍛冶師なら競合しても勝てる。保証しよう」
アムスが思うところに対して、その都度心を読んで返してくるアリューザ。心を読むことに関しては止められないし、わざわざ聞く手間が省けて良い。無表情ながら声を弾ませて話してくる彼女があからさまにふざけている事が透けて見えてしまうのが頭に来る。
「彼の者を下ろしてやってくれ」
「おっとすまない。こういう風に、一対一で魔法使いが勝てるというのも我々だからだ。この距離なら魔法の展開、発動の前に斬りかかれる。どうだ、省略を一切せずに魔法を使ってやろう。誰でも良いからかかってこい」
杖を構え、アリューザは周りの兵士たちに対して指を上に折った。
「……兵士を無為に殺すと思うか」
「何、加減はできるさ。中鉄の鎧だな?良い装備だ。魔法の加護も見受けられる。こんな魔法でダメージは入らん」
「………行け」
アムスの顎に促され、玉座の隣に控えていた重装兵士が剣を抜く。いざ襲うとなれば覚悟を決め、雄たけびと共に駆け出した。よく手入れされた剣を中段に構る彼の動きは、重い装備を着ているにしては速い。普通にやるならそれでいい。数歩で詰められる距離を数歩で詰め、順当に剣を振り上げる。正しく剣の中心が当たる位置で斬り上げる状況までに、アリューザは冷静に杖を向けた。
杖に光が集まり、軸を中心とした魔法陣に変わっていく。部屋中から操作されたマナが集中し、一つ一つの魔法陣の文字を光らせていく。魔法陣に刻まれた魔法文字をなぞるように必要なマナが集まり、全て集まった時。
「ずあああああっっっっ!!!!」
「……炎よ」
剣は既にアリューザの首元にまで迫っていた。金属の感触を、アリューザの人工皮膚が感じ取れるほどの距離まで近付いている。それでも、兵士は刃を止めず、アリューザも魔法を解除しない。本来人間ではない彼女に反射は存在しないが、動体視力で純粋に刃を目で追いつつも避けようとはしない。そして、杖から炎が噴き出ると同時に、刃が首筋に食い込んだ。
「……良いな。しっかりと殺す気で来ている」
「……馬鹿な……」
剣は細く白い首に食い込み、炎は杖の先で燻ったまま鎧に押し当てられている。しかし、褒める余裕もあり無表情ながら明らかに声が弾んでいるアリューザと違い、兵士は本気で殺す気だった。もちろん、自分の刃が届くとは思ってはいない。首を狙ったのも死なずとも多少のダメージは与えられると踏んだのだが、むしろ彼の手の方に、まるで金属を殴ったような衝撃が伝わり剣を取り落としそうになる。刃を引いたそこには何の傷もなく、一方彼の鎧は炎の熱で溶け小さなくぼみを作っていた。
「鎧は後で修復しておこう。で、今のを見たか。今、もし私が普通の魔法使いで、彼が並の鎧を着ていたなら、彼の刃の方が先に私の首を刎ね飛ばしていただろう。それに、かなり加減はしたが私の魔法はそれなりに最適化されていてね。普通の魔法使いならもう少し発動は遅い。解るだろう?戦闘における魔法使いの優位性というのはその程度だ。解って頂けたかな」
「……まあ、信じよう……リセルの代理である君が嘘をつくこともあるまい。第一の弟子なのだからな」
「その通りだ。解っているな国王よ。そう、私が師匠の第一の弟子。ふふふ。よし、先の鎧の代わりに上鉄の鎧に強化してやろう」
「止めてくれ。解ったから。魔法使いが戦争を変えないというのは理解できた」
どこか得意げなアリューザを手で制しつつ、さらに考えるアムス。魔法使いが戦闘において革命的なのは間違いないだろう。弓や投石よりも気軽に火力が飛ばせるのは良い。それを使うのは国王ではなく将軍である。それに、ローセイン領で始める以上、まずはローセインに魔法使いも流れてくるだろう。
「……その魔法使いは、ローセインを優先するということでいいのかね」
「それは知らん。一つの国に与するのは師匠も望むところではないだろう。国王の人望があれば故郷の国に戻るのではないか?」
「しかし、生徒はローセインの……」
「そんなことを言った覚えはない。どこの国の生まれかなど知ったことではない」
もちろんそうはいかない。優位性が低かろうと何だろうと、魔法使いが溢れれば、魔法使い至上主義が始まるだろう。そうなっては困るのだ。
「…………しかし、ローセインの領地を使うのだろう。多少は我々に理があってもいいのではないか」
「あの荒野をまるで理のある領地のような言い方をするのだな。我々が使わずとも何一つとして金にならん場所だろう、何の交換にもならん」
「しかし我々の領地だ」
「ふう……国王。知るかと私達が言えばそれで終わる話だぞ」
言い過ぎた、とアムスの口が止まる。アリューザはまだ話が通じる分会話の流れで交渉のようなことをしてしまう。彼女らはあくまで報告に来ている。アムスにできることはそれこそ言葉尻をとらえ、彼女らが興味を持っていないような箇所から国の利益を掬い出すことしかできない。
「ぐ……すまない。言い過ぎた……しかし、しかしだ。人を集めたいのだろう?我々が制度として認めるか否かは大切ではないか?」
「魔法というだけで人は集まる。いらん」
ここからは何も得られない。少なくとも今は。訪れたのがアリューザでなければまだやりようがあるはずだ。少なくとも、リセルが伝わってきたよりローセインに詳しくないという情報は得られた。それに付け込めば少しはやれることも増えるはずだ。
「……では、我々には何もやることはないのか」
「無いな。まあ、多少魔法使いの職を用意しておけ。言わなくても用意するだろうがね」
「……了解した」
ここは負けを認めよう。ローセイン領に存在する土地を使っている時点でまだ繋がりは持てる。もう言うことは無いからと移動魔法を発動させ空間を割ったアリューザに対し、最後にアムスは問いかけた。
「その学校の建物は……我々ローセインの大工にやらせても良いのか」
「……我々で出来るのに何故頼む必要があるんだ?」
「…………そうか」
漆黒の中に消えていくアリューザ。リセルの屋敷の時はこれが通ったらしいのだがな、と嘆息し、王冠を外して兵士に撤収命令を出し始めた。結局鎧は修繕されなかったが……とはいえ、彼女が直すと言った以上はいつか直るのだろうと兵士をねぎらおうとしたアムス。
だが彼が肩に触れた瞬間、鎧はまるで何事もなかったかのように元の形に戻っていた。それも、彼が今まで鎧に付けた傷も消す形で。




