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【第2話:帰宅】

 …………どれだけ手当てをしてもらっていただろうか。


 親ウサギに舐めてもらっていた頭の傷も、ほとんど痛みが無くなっていた。

 子ウサギが舐めていた耳や頬の血痕も、すっかりキレイに舐め取られてしまったようだ。

 今、子ウサギはしきりに私の手に付いた血を舐め取っている。


 温かい。

 くすぐったい。

 でも、気持ち良い。


 親ウサギが、つと顔を引いて舐めるのを止めた。

 私の顔をじっと見つめている。


 “もう、いたくない?”


 そう聞かれた気がした。


 「ああ、もうすっかり痛くないよ。どうもありがとうね。」


 舐められている反対の手で子ウサギの頭を撫でてやる。


 「おチビさんも、どうもありがとう。すっかりキレイになったよ。」


 子ウサギも舐めるのを止め、目を細めて私の手に頭を委ねている。

 毛並みは滑らかで、柔らかく、手触りが良い。

 頭から背中にかけて何度も手を滑らせる。

 温かい。

 そして気持ち良い。

 このまま、ずっと撫で続けていたい手触りだった。


 “あたたかい。きもちいい。もっとさわって。”


 子ウサギがスリスリと、私の手に身体を擦りつけてくる。

 何というか、人懐ひとなつこい。

 やっぱりこのウサギ達は、飼いウサギなのだろう。

 どこから逃げ出してきたものだろうか?


 私はよっこらせと立ち上がった。

 冷たいアスファルトの上でずっと座っていたものだから、すっかり身体が冷えてしまった。


 北海道の三月はまだ雪解けの時期だ。

 この辺りのような山奥では、除雪される道路こそ舗装ほそうが見えているが、周りの森にはまだ積雪が残っている。

 日中でも、気温は5℃にも届かない。

 私は、目的地の無いドライブを切り上げて、そろそろ家に帰りたくなっていた。


 「私はもう家に帰るよ。おまえたちも、もう住処すみかに帰りなさい。」


 親子ウサギは顔を見合わせて、また私の顔を見つめた。


 “……わからないの。”


 ん?


 “ここがどこか、わからないの。”


 “どうしてここにいるか、わからないの。”


 “なかまも、どこにもいないの。”


 ウサギ達は、小首を傾げてこちらを見ている。

 その澄んだ目は、とても悲しそうに見えた。

 親ウサギは、道の向こうの巨木の辺りを見やった。


 “あの木はしってる。でも、ほかのところはしらないの。”


 “ここはさむいの。とってもとってもさむいの。”


 “さっきのこわいやつはしってる。でも、ここはわたしたちがいたところじゃないの。”


 どういうことだろう?

 このウサギたちは、どこか他の、暖かい地域から連れてこられたと言うことだろうか?




 ……それよりも、後に改めて気付くのだが、私はこの時点ではどうしてウサギ達の考えていることが分かるのか、全く不思議に思わなかったのだ。

 どうやら羆に襲われたショックと頭をしたたかに地に打ち付けた衝撃で、どこか意識が混乱しっぱなしだったに違いない。




 “こわいの。いっしょにいて。”


 親子ウサギが、私の脚にすがり付いてきた。

 顔をスリスリと、脚にりつけてくる。


 困った……。

 どうしたもんか?

 野生動物をむやみに捕まえたり飼ったりするのは犯罪になる。

 しかし、「一緒に居て」とすがるウサギを保護するのは、罪になるのだろうか……?


 “おねがい、いっしょにいて。”


 親子揃って、私の顔をじっと見上げる。


 ………………しかたないな。


 「じゃあ、一緒に私の家においで。少なくとも、ここよりは暖かいから。」


 あくまでも、迷っていた飼いウサギの一時保護と言うことで押し通すことにしよう。

 見上げるウサギ達の顔に安堵あんどの色が広がっていく。


 “ありがとう。”


 “ありがとう。”


 私は身をかがめ、二匹を抱き上げた。

 そして、そのままランクルのドアを開け、二匹を助手席の上に座らせる。

 相当時間が経っていたせいか、車内はひんやりとした空気がわだかまっていた。

 運転席に座ると、私はランクルのエンジンを掛けた。


 ブルン、ガウウウウウウンンン…………


 冷えていた3400ccのガソリンエンジンがうなりを上げる。

 親子ウサギはビクリと身を震わせ、運転席の私にしがみついてきた。


 “なにこれ? なにこれ? なんのおと? こわい!”


 私は苦笑しながらウサギ達に語りかける。


 「大丈夫だよ。これは自動車って言って、音はうるさいけどとっても速く走れるものなんだ。ただの道具だから、何にも怖くないからね。」


 少しの間暖機運転(だんきうんてん)をし、おもむろにヒーターのスイッチを入れてやる。

 車内に温かい風が勢いよく吹き込んできた。


 “あー、あったかい。”


 “あったかいー。”


 親子ウサギは首を伸ばして、吹き出し口に顔を近づける。

 勢いよく吹き出る風が目を細めるウサギ達の顔に当たり、毛並みをかすかに乱した。

 出てくる温風が面白いのか気持ち良いのか、親子揃って顔をふるふると風に当てている。

 その様子は先ほどの緊張した姿と違い、どこか温かく、微笑ましかった。


 「じゃあ、私の家に出発するよ。時々自動車が揺れるから、シートから転げ落ちないように気をつけてね。」


 そう言いながら、ギアをD(ドライブ)に入れてアクセルをゆっくり踏み込む。

 ランクルは、ゆっくりとスタートし始めた。

 ウサギ達は初めて乗る自動車のはずだ、あまりスピードを出さない方が良いだろう。

 私は時速40kmほどでゆっくりと山奥のワインディングロードを走らせる。


 ウサギ達は、始めこそ眼前の景色がどんどんと流れていく様子に身を強張こわばらせていたが、慣れてくるとダッシュボードに手を掛け、首をもたげて興味深げに山奥の景色を楽しみ始めた。


 “ねーねー、まわりのしろいつめたいものってなーにー?”


 「あれはねぇ、雪って言うんだよ。空から落ちてくる水が冷たくなりすぎて、固まったものなんだよ。」


 “あの、えだのない、ほそいものがついてるきはなんていうの?”


 「それはねぇ、電柱って言って、電気っていうとっても大事なものを運ぶものなんだよ。」


 “でんきー?”


 「電気はねぇ、んーと、なんて言えばいいのかな? 時々空がぴかっと光って、ゴロゴロ音がするかみなりって分かるかな? あの光ってるものが電気なんだよ。」


 “かみなり……みたことある。ぴかっとひかってびっくりするやつ……。”


 「そうそう。それが、電気なんだよ。」


 ““ふーん。そうなんだー。””


 まるで幼子を連れてドライブしているようだ。

 私も次々に質問に答えるのが楽しく、だんだんと嬉しくなってきた。


 “あー、なんかあかいのがぴかぴかしてるー!”


 ふと前を注視すると、向こうから一台のパトカーが走ってくるのが見えた。

 回転灯は回しているが、サイレンは鳴らしていない。

 こんな山奥にパトカーなんて珍しい。

 スピード違反の取り締まりか何かだろうか?

 私が羆をはねたことはばれていないはずだ。

 私を捕まえに来たのでは無いだろう。


 あっという間に、何事もなくパトカーとすれ違った。

 制服制帽を身につけたお巡りさんが二人乗っていた。

 作業帽でなく制帽を被っていると言うことは、交通取り締まりではないはずだ。

 こんな山奥で、何か事件でもあったのだろうか…………?






   ◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇






 ……山奥の道道どうどうから旧炭鉱街を抜け、石狩平野の国道234号線を北上する。

 国道から少し西側に入った田園地区に、私の家はあった。


 「さあ、着いたよ。」


 庭先に車を駐め、ウサギ達に呼びかける。

 古びた住宅と古びた納屋が二棟、まだ雪が残っているがオンコや他の花卉かきのある広めの庭、そして自家消費の野菜を作るだけの小さな畑を含めた地所が、私の家だった。




 教職という転勤族である私がここに引っ越してきたのは五年ほど前……兼業農家をしていた父もとうになく、細々とここを守っていた老いた母も亡くなり、他所に嫁いだ姉と協議して私が相続したのがこの古びた生家だったのだ。

 相続時に、扱いきれない周囲の農地は跡継ぎの居る近所の農家に格安で譲ってしまった。

 管理職に昇進する気もとうに無い、アラフィフになる私は、家を持てば次の転勤の範囲もここから楽に通える距離で納まるだろうとの目算もあった。


 ちなみに現在の勤務先は、ここから車で三十分ほど離れた市街の小学校だ。

 無駄に広い北海道、これくらいの通勤距離は何と言うほどもないのだった。




 ウサギ達を抱えてランクルから降ろしてやる。

 地に降りたとたんに、ウサギ達はスンスンと周囲の臭いを嗅ぎ始めた。


 “つちのにおい。”


 “さっきより、すこしあたたかい。”


 平野部だからね。

 山奥のあの場所と比べれば、雪解けも少し早いし、暖かいだろうね。


 “なんか、ほっとするにおいがする。”


 私には特に臭いなど感じないが、何のことだろう?

 古い家とか納屋の臭いのことだろうか。

 それとも、畑の臭いのことなのだろうか。


 私は家に向かい、いつものように解錠し、玄関の引き戸を開ける。


 「ただいまー。」


 独り身である私の家、当然返事は無い。

 帰宅の挨拶は、結婚時から続く私の習い性のようなものだ。

 私は振り返り、付いてきたウサギ達に言った。


 「さぁ、古い家だけど外よりは暖かいよ。ようこそ、いらっしゃい。」






 こうして私たちは短いようで長い一日を終え、ようやく帰宅したのだった。



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