ファンタジーが足りないようで
これは誰がなんと言おうが、私の物語である。
もちろん主人公は私だ。
異論もあるやも知れないが、最後まで読んでからにして頂きたい。
つい先日まで暑さにうなされていたというのに、もうあの暑さが恋しく思えるほど、辺りは冷え込んでいる。
まだ冬将軍はお呼びでないのに、早足でやってきてしまったようだ。
ここ、尾道は夏は暑く、冬は寒い。
いい風に言えば、季節の変化を楽しむことが出来る、と捉えることが出来得るのかもしれないが、変温動物でもない我々人類にとってはいい迷惑である。
大学生。うむ。良い響きだ。
一年くらい前であればそう思っていただろう。
そんな昔の私と同じ幻想を抱く、高校生諸君、それは間違いだ。
君らは恐らく、バラ色のキャンパスライフを想像しているだろうが、そんなものはやってこない。
バラ色のキャンパスライフをつかみ取ることが出来得るのは、コミュニケーション能力に長けたカースト上位の者たちのみである。
我々庶民にとっては関係のない世界なのだ。
大学に入学して半年を過ぎた私が言うのだから間違いない。
だがしかし、そう下を向くこともない。
世間一般的に「パリピ」といわれる人種になったところで何が待つであろう。
彼らの桃源郷は一過性のものにすぎない。
約四年間のバブル経済のように儚い夢のようだった生活を思い出し、輝かしい過去と就職活動や単位不足の現実を見比べては悩まされ、ひどく後悔することだろう。
少なくとも、私はそうであると確信し、願っている。
とにもかくにも、何が言いたいかというと、「独り身万歳」
坂が多いことで有名なこの町は、道も狭い。
不便なようだが、そこが、古風な街並みとリンクして、観光地オーラを醸し出しているのやもしれない。
そんな道の細いこの町の中でもいっそう狭い道沿いに、「コーポヤマダ」というクリーム色をした二階建てのマンションがある。
わたしはそのマンションの二階の角部屋に拠点を置いている。
角部屋といっても部屋は四つしかいないので、すべて角部屋なのだが。
私はたいていこの拠点で、有り余る暇な時間を満喫しているのだが、今日は珍しく忙しくなりそうだ。
インターホンの画面の中の後ろを向いた男がその姿によって物語っている。
背中で示すとはこういうことだったのか、私は勝手に一人で納得しつつ、出かける支度を進める。
私の出かける支度が整うまでの間に彼の説明をしよう。
まるで、中高生のような背丈と可愛らしい童顔。
彼は、都井藍斗。私と同じく大学一回生である。
上から読んでも下から読んでも「といあいと」である。
おそらく彼のご両親は天才なのだろう。
都井との出会いは、今年の四月に遡る。
私は、入学式を終えた翌日、期待をめいいっぱい頭に詰め込んだ阿呆だった。
大学生活という大海原へ笹船の如くひ弱な船で一人航海を始めたわけだが、その航海はすぐさま後悔へと変わっていった。
早速、大学側によって割り振られたグループでの活動が行われたわけだが、上辺だけの気遣いや気持ちの悪いくらい内容の薄い会話などという荒波に揉まれて私は初日に船酔いによってダウンした。
私は必死にトイレへと逃げ込んだわけだが、そこで私より一足早くダウンしている男がいた。
それが都井である。
支度も終わったところで、早速出かけるとしよう。
拠点からでて、直接顔を合わせるが、我々は言葉を交わさない。
都井が緊張感のある面持ちで頷く。
私もそれに呼応して頷く。
もちろん、何の「頷き」だったのかは全く分からない。
しかし、ここでその真意を尋ねるのは無粋というものだろう。
我々は「以心伝心」風を装っている。もちろん、特別な理由もない。
都井は階段を下りて、原付のエンジンをかけた。
私も都井の後に続く。
都井が前を向いたまま発進の合図を出し、私はそれに付いていく。
というか、付いていくしかない。
私は今日の予定はおろか、目的地すらしらないのだから。
国道184号線、通称イチハチヨン沿いに北へ向かっていき、大学へ向かうバスが通る道へと入り坂道を登っていく。道なりに進み大学が見えてきたところで、さらに細く急な坂道に入って登っていき、都井が原付を停めた。どうやら目的地に着いたようだ。
ここは廃学校である。もともとは小学校だったらしいが、現在はうちの大学がサークル活動で使用している。確か、校舎は、「軽音楽部」と「坂のぼり隊」が、体育館はダンスサークル「テンアゲ」が使っているはずだ。
都井は駐輪場からすぐそばの昇降口には見向きもせず、校舎の裏手に回った。
そこに私も続くはずなのだが、ふと足を止めた。
校舎の中に人影が見えたからだ。
その影の主は、軽音楽部に所属している、江口先輩である。
彼女は「キルミーキルミー」、通称キルキルという四人組のバンドのボーカルをつとめている。
バンド名は近寄りがたいほど、恐ろしいものだが、彼女はとても綺麗で美しい。
後ろのむさくるしい男たちの前に立って、センターで歌う姿は、もはや芸術である。
ふう。眼福眼福。
彼女はこちらに気付かなかったようだが、私はすっかり幸せな気分になることが出来た。
どうやらここまで来たかいがあったようだ。
この物語のキーとなる彼女と私の関係については、また近いうちに話すことにしよう。
すっかり都井との距離は空いてしまい、彼は校舎裏手の階段を登ろうとしていた。
少し小走りで私は追いつき、黙々と階段を登っていく。
三階建ての校舎の最上階にたどり着いたわけだが、何もない。
「これはどういうことだ?」
ついに私は、天岩戸の如く固い口を開いた。
都井は私の言葉に応える気はないようで、何を思ったのかいきなり手すりに手をかけた。
「こんなところまで連れてきて、わざわざ私に自殺現場を見せようっていうのか!?」
慌てて私は都井を引き留めようとするが、どうやら早とちりだったらしい。
都井は屋上に行きたいらしく、必死に指をさす。
彼はこの期に及んでも口を開かない。
彼は決して、自分の声にコンプレックスを持っているわけでもなく、私と話したくないわけでもない、阿呆なのだ。
我々は、周りに目撃者がいないかこそこそとしながら、手すりをよじ登り、屋上へと上がっていった。
そこには人影があった。
黒いスーツに身をまとい、我々に背中を見せて仁王立ちをして恰好をつけているようだが、髪の毛はぼさぼさで、後ろの白いシャツが少し見えていて、実に様になっていない。
あの残念な感じの男こそが、我々の師匠である。
スーツのおかげで多少大人っぽく見えているが、年齢は私たちと十も二十も離れていないように見える。
しかし、時折、仙人のような雰囲気を醸し出す時もある。
つかめそうでつかみどころのない不思議な人だ。
「師匠、お待たせしました。」
都井がとうとう言葉を発した。
「うむ。よく来たな、二人とも。」
師匠が、こちらを振り返る。が、ネクタイまでもがおかしな方向を向いている。まったく、師匠ながらどうしたものか。
「今日の要件というのは?」
圧倒的に情報量の少ない私が質問する。
「今日、お主らにやってもらうのは、あれだ。」
師匠は南の尾道駅のある方角へ指をさす。
「今日は割と規模の大きい花火大会が行われる。そこでお主らには、花火を題材に美しい写真を撮ってもらいたい。」
師匠とは、彼が勝手に自称しているわけではないらしい。
ここ尾道には、「全日本師匠委員会」という何とも意味の分からない委員会の本拠地があるんだとか。
師匠はその委員会に所属していて、他の師匠たちと、激しいバトルを繰り広げているんだとか。
「全日本師匠委員会」には、およそ五百もの師匠がいて、それぞれの師匠が四人まで弟子をとることが出来る。
師匠たちは、弟子たちに課題を与え、弟子たちにどれだけ実りの多い、人生を送らせるかを競っているらしい。
毎年四月に、「師匠協議会」が行われ、その年のベスト・オブ・師匠を決めるらしい。
そして、ベスト・オブ・師匠に選ばれた、師匠とその弟子は、その後十年間遊んで暮らせるほどの幸運が訪れるんだとか。
なんとも胡散臭い話である。
「写真はスマホでも、チェキでもなんでも構わん。
お主らが最も美しいと思った瞬間を収めてきてくれ。」
「これは、私と都井との実りある生活に関係あることなんですか?」
「もちろんだ」
我々に写真撮影の趣味などあるわけもない為、今回の課題に関しては、全くの素人だ。
「それでは、健闘を祈るとしよう。」
師匠は我々の肩をポンと叩き、音もたてずに消えていった。
尾道駅から改札を抜け、外へ出ると、視界には尾道水道と呼ばれる瀬戸内海の一部が広がる。
今日の花火はこの尾道水道から打ち上げられる。
現在の時刻は18時。
開始予定時刻は19時30分だが、もうすでに尾道駅前から商店街にかけての辺り一帯は、人だかりができている。
都井とは別行動をとることにした。
というより別行動になった。都井はあの後すぐに、原付を走らせていった。
恐らく穴場でも知っているのだろう。
私は花火大会が始まるまで、一人寂しく商店街を歩いて回ることにした。
ここ尾道に住んでおきながら、商店街を訪れることは珍しい。
まあ、大学生の行動範囲などたかが知れてるであろう。
こればかりは私に限ったことではない。と、願いたい。
私は普段、この様な人の集まるところへ好き好んでいくタイプではない。
むしろ苦手だ。
しかもこんな大勢の中で、自分は一人でいると思うと、これまた切なくなる。
人混みに酔ってしまいそうだったため、私は商店街の途中で細い路地へと抜け、海辺の道へと出た。
まだ花火大会は始まってもいないのに疲れてしまった。
幸運にもぽつりと空いていたベンチに腰掛ける。
私はほっと一息つくと、海のほうを見渡す。
向島からこちらに向かってくる渡し船が丁度見える。
たまにはこういう景色もいいものだ。
私は久しく、尾道の景色にうっとりしていると、私の隣にかわいらしい少年が腰掛けた。
少年は実に楽し気に語ってくれた。それはもう楽しそうに。
長々と語ってくれた。内容を要約するとこうだ。
少年は広島と岡山の県境にある笠岡という町に住んでいて、今日は観光として尾道に朝からきているらしい。
そして、花火大会も見ることになり、両親と商店街を歩いていたところ、人混みによって、はぐれてしまい、このベンチにたどり着いたと。
つまり、迷子だ。
「それで、お母さんかお父さんと連絡はとれるのかい?」
「うーん、わかんない!
でもね、さっきあそこにソフトクリームがあったの。ソフトクリームが!」
この子が、どうしてそんなにハイテンションなのか、そしてソフトクリームと両親と関係があるのかは全く分からないが、落ち込んだりはしていないらしい。
「よし、じゃあ私はこの辺りでお暇させてもらうよ」
もちろん、何もなければこの子の両親探しを手伝ったであろう。
しかし、今日は大事な課題がある。
うむ。それは仕方がないな。
私をゴミくず!と罵っている読者諸君もいるやもしれないがこればかりは致し方ない。
私は心を鬼にしてその場を後にする。
が、少年はどこまでもついてきた。
そして上目遣いでこちらを見つめてくる。
「お兄さん、どこに行くの?」
「私は、これから大事な課題があるんだ」
「課題って何?」
「うーむ、宿題みたいなものだよ」
「宿題まだ終わってないの?僕も手伝うよ!」
なかなか優秀な子らしい。人の宿題を手伝うなんて、末恐ろしい子だ。
しかし、見ず知らずの小学生に、大学生が課題を手伝ってもらうなどあってはならない。
「この課題は一人でもできるものなんだ。
君は早く、お父さんとお母さんを探すといい。」
私は再びその場を後にした。
が、少年はまたしてもついてきた。
「お兄さん、これ落としたよ」
少年は私のスマホを握っていた。
「ああ、すまんね、ありが...」
「僕も宿題手伝うよ」
少年は私のスマホを人質に取った。
なかなか優秀な子だ。人のものを盾にするなんて、末恐ろしい子だ。
「それは大事なものなんだ、返してくれ」
「僕も宿題手伝うよ」
私は、今年、無事に19歳になったわけだが、齢7歳ほどの少年に屈した。
大学生にもなって小学生に課題を手伝ってもらうという、大人げないというか、大人げの欠片もない私は、ソフトクリームと課題の内容を説明を条件に、無事スマホを奪還していた。
少年はというと、ソフトクリームをかわいらしい笑顔で頬張り、課題について黙々と考えてくれていた。
しかし、さすがの私も、本気で小学生に課題を手伝ってもらうわけにはいかない。
私は少年には秘密裡に駅前の交番へと向かっていた。
そこでお巡りさんに預かってもらうつもりだ。
これで、善人としての義務は果たされるであろう。
駅前の交差点を渡り、バス停を過ぎ、歩道橋をくぐったところで交番へとたどり着いた。
この少年の子守から解放されると思うと少し安心できる。
そう思いつつ中に入っていくが、交番には誰もいない。
花火大会の影響でパトロールに出ているらしい。
私はため息をつき、横で少年が不思議そうな顔でこちらを見ている。
仕方なく交番を出ると、そこには「キルキル」の歌姫、江口先輩が立っていた。
「隠し子?」
江口先輩が言い終わると同時に、尾道の夜空に花火が上がった。
波乱の花火大会の幕開けだ。
今年の五月、私は厳しいお財布事情を少しでも潤すために、近くの本屋でバイトを始めた。
そこでの先輩が江口さんである。
江口さんは万人に対して優しい、天使のようなお方だ。
バイト先では、こんな私に対しても、親しくしてくれた。
また、お互い、読書が趣味ということで、その点を有効活用し、多少良好な関係を築くことが出来た。
こんな花火大会で出会えるとはまさしく夢のようなことである。
私は冷静沈着を装いつつ、この少年との経緯を話した。
「それで、君はその子の親を探していると」
「違うよ!お兄さんの宿題を手伝ってるんだよ!」
「江口さん、この子の言うことは気にせずに」
江口さんにはいいように誤解してもらうとしよう。
少年は何やら不満げだが、気にすることは無い。
江口さんは、なにかぼそぼそといいつつ、頷き、少年の前にしゃがみ込んだ。
「私も、手伝ってあげよう!」
「ええ!いいんですか?」
江口さんは少年に対して言ったはずなのに、なぜか私が答えてしまった。
「今日は特に予定は無かったしね。
リンゴ飴でも食べようかと思って立ち寄っただけだし」
こうして、私と江口さん(と少年)の両親捜索が始まった。
捜索は難航を極めた。
これだけの人混みだ。その中で、人探しを行うのはかなり大変なことだ。
少年もそろそろ不安になってくる頃合いかと思ったが、違うらしい。
江口さんとそろってリンゴ飴を、おいしそうに頬張っている。
商店街を抜け、市役所のほうに向かい、海辺へとでた。
捜索は一旦中断し、花火を見物することにした。
少年は、花火を物珍しそうに眺め、更にテンションが上がっていた。
私と江口さんは少年の近くのテーブルに座って、花火を眺めていた。
ふと、私は気付く。
ひょっとしてこれは、俗世間的に言われている、「デート」というものではないだろうか。
私は少し、緊張してきてしまった。
一度深呼吸をし、落ち着くために再び花火を眺めた。
するとその時、異常なまでに大きな花火が轟音と共に、夜空に広がった。
花火の音が静まると、今度は異常なまでに辺りは静まり返った。
周りを見渡すと、少年と江口さんはいるが、先程までごった返していた人混みがきれいさっぱりなくなっていた。
「これはどういうことでしょう」
「うーん、まったくわからないね。
何が起ったのやら」
江口さんも困惑した様子だ。
ふと、少年が私の服を引っ張ってきた。
「お兄さん、あそこを見て」
少年は海のほうを指さしていた。
先程まで花火が上がっていた場所は紫色に輝いていた。
人混みと共に、花火の打ち上げも止まっていた。
「お兄さんたち、あそこに行ってみよう」
「しかし、どうやって」
「船ならそこにあるみたいだよ」
江口さんの示す先には白くて、小綺麗な船があった。
少年と江口さんに促され、船の中へと向かった。
少年は楽し気な様子で走り回っている。
船に乗るのは初めてなのだろう。
「ワクワクしてきたね」
隣の江口さんが微笑む。
彼女もまんざらではなさそうだ。
ガタンッと船が揺れた。
そして不思議にも船が勝手に動き出した。
船は紫色の光の下へ一直線に向かっている。
今宵は誠にファンタジーである。
ふと、振り返ってみると、尾道の綺麗な夜景が広がっていた。
しかしながら、音がしないのは非常に不気味である。
「雨だ。」
少年がぽつりと呟くと雨が降り始め、波が荒れてきた。
内海である尾道水道で、海が荒れるのは珍しい。
というか見たことがない。
急激に天候は悪化していった。
雨風共に増している。
まるで台風でも来ているかのようだ。
「江口さん大丈夫ですか?」
「私は平気だけど、この子はちょっときつそうね」
どうやら少年は船酔いしたらしい。
この荒れ模様なら無理もない。
先程まであれほど元気だった少年は、青い顔をして横になっている。
船が出港してから、十分ほど経ち、紫色の光がかなり近づいてきた。
天候は相変わらずだが、もう少しの辛抱だ。
しかしその時、水中から巨大な黒い影が、現れた。
月に照らされ、正体があらわになったのは巨大なタコだった。
「もう、この町は終わりだよ」
何処にあるかもわからない口から、巨大タコが言葉を発した。
全く今宵は奇々怪々である。
普段の私であれば、動揺してしまい船から落ちてしまうこともあり得るだろうが、今宵は摩訶不思議なことがたくさん起きてしまったので、あまり動じなかった。
そのため、相手がタコだというのに聞き返してしまった。
「どういうことだい?」
「最近、ここを通る船が少なくなってしまっただろう?
その影響で、静かで寂しく感じる魚たちが多かったんだ。
そこでどうにか盛り上がることが出来ないかと思い、人間の祭りに合わせて、魚たちも祭りを開くことにしたんだ。
だけど、僕らは羽目を外し過ぎた。
久しぶりの賑やかな雰囲気に、浮足立ってしまったんだ。
僕たちがはしゃぎ過ぎたせいで、海はこの有様。
そして、みんな開き直って、今も踊り狂っているんだ」
ここ尾道水道では、向島と本当をつなぐ渡し船が通っているが、尾道大橋が建設された影響で、船の便数は減少している。
しかし、どうしたものか。
このままうかうかと見過ごすわけにはいかないが...。
「私に任せて」
江口さんが、ずかずかと前に出る。
「何をするつもりなんだい?」
「私はこう見えても、バンドでボーカルを務めているの。
歌で魚たちを鎮めて見せるわ」
どうやら江口さんはセイレーンになるつもりらしい。
巨大タコは魚たちをなるべく我々の近くへ集めるべく、呼びかけに行った。
我々は着々と江口さん単独ライブの準備を進めていった。
天候は相変わらずだが、ライブの準備は整った。
巨大タコも帰ってきた。
私はというと、固唾をのんで見守るだけだ。
何とも情けない。
スゥーっと江口さんが息を吐く。
そして、大きく息を吸って、静かに、そして力強く歌い始めた。
実に透き通った声があたりに響く。
マイクを使っているかのように江口さんの声があたりに伝わっていく。
次第に雨が弱まり、風も止んでいった。
うかつにも私は彼女の言葉に魅了され、うっとりとしてしまっていた。
曲が終わると、尾道水道には静けさが戻り、見慣れた景色が広がっていた。
「ほんとにありがとう。
まさか、元通りになるなんて...。
素晴らしい歌声だった。
また聞かせておくれよ」
「もちろん、またここに歌いにくるわ」
巨大タコと江口さんが約束を交わしていた。
丁度そのころ、少年が目を覚ました。
船酔いも治ったらしい。
「それじゃあ、君たち、またどこかで会おう。
あ、そうだ、これを渡すよ。
魚たちが海で拾ったらしい。
これですべて解決するはずだ。
じゃあ僕はこれで」
巨大タコは静かに海の中へ消えていった。
巨大タコから渡されたのは何かのスイッチだった。
三人で話し合った結果押してみることにした。
「それじゃあ、いきますよ」
今宵初めての大役を渡された私は、勢いよくスイッチを押した。
が、何も起こる気配はない。
二人の顔を見回していると、船の下から重低音が聞こえてきた。
そして、
「ちょっと、これはどういうこと!?」
「私にもわかりません」
「きれい、きれい!」
船の下から、水が噴き出し、船と共に空中へと舞った。
尾道の夜景が徐々に小さくなっていく。
下のほうで何かが打ち上げられ、私たちと同じ高さまでやってきた。
そして、上昇するのをやめ、轟音と共に、花を開いた。
それはとても綺麗だった。
その後も次々と花火が私たちの目の前に打ち上げられた。
少年と江口さんは船の甲板から身を乗り出して、花火を眺めていた。
私はというと、先程の衝撃でポケットから落ちたスマホを見て、師匠からの課題を思い出した。
正直、今宵の摩訶不思議な経験によって、師匠の課題などどうでもいいのでは...と思いながらも、率直にこの光景を写真に収めたいと思い、少年と江口さん、そして花火をフレームに収め、シャッターを切った。
その後、船はゆっくりと空を舞い、再び尾道水道に着水した。
尾道の街に人混みが戻り、賑やかさを取り戻していた。
我々は、船を桟橋につけ、陸地へと戻っていった。
それから、花火大会の運営委員会からアナウンスがあり、無事、少年を両親のもとに送り届けた。
最後まで元気のよい子だった。
花火大会も無事に終了し、次第に人混みもはけていった。
私は尾道駅北口の近くに住んでいるという江口さんを、送っていくことにした。
「それにしても不思議な花火大会だったね」
「今夜は驚されてばかりでした」
まったく、波乱万丈な一日だった。
だが、この日を江口さんと共に過ごせたのは運が良かった。
「それじゃあ、ここらで。
送ってくれてありがとう」
江口さんと別れた後、今宵の出来事は本当に起きたのか、という不安に駆られ始めた。
冷静になってみると、今夜起きたことのほとんどが信じられないものばかりだ。
家に着くと、その不安も忘れるほどの疲労に襲われ、深い眠りについた。
後日、師匠の下に私と都井が集まり、今回の課題の成果を見せ合った。
私の写真の出来栄えはかなりのもので、師匠も唸っていた。
都井はというと、どうにも写真を見せたがらない。
駄々をこねる都井に対して、師匠は無理やり写真をはぎ取った。
師匠に都井の写真を見せてもらったところ、花火の前に船のような黒い影が写って邪魔をしていた。
どうやらあの夜は、実在していたらしい。
to be continued...?