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元勇者の憂鬱

作者: ひぐ

 魔王である私が勇者に敗れ、最期の力を振り絞って奴の肉体を奪ってから、どれほどの時が流れただろう。

 王都で私の死が発表されて人々が歓喜している間に、私は魔王城の瓦礫がれきから這い出て身を隠していた。勇者が死に、今度こそ世界を滅ぼすべく暗躍しようと思ったが、それはできなかった。勇者は己の力ごと黄泉よみの国に行ってしまった。この肉体では、何もせない。私は絶望した。


 魔王の死体は見つかったが、勇者の姿が見つからない。その事実に人々はひどく悲しんだが、勇者が己の命と引きかえに魔王を殺し、自分たちに平和をもたらしたのだという都合のいい解釈が流布るふされたころには、勇者の死を悲しむ者はいなくなっていた。

 王都の広場に勇者の像が建っていくのを眺めて、私はひどくむなしい気持ちになったのを覚えている。その頃には私は、汚泥おでいをすすり隠れ忍ぶ生活をやめて、王都で職を得ていた。貧しくも富むこともない質素な暮らしだ。まさか人々も、世界を救った英雄が身近で暮らしているとは思わないだろう。いや、そもそも、誰も勇者の顔を覚えていないのではないだろうか。


 勇者の帰りを待ち続け、その死を受け入れられず床にせっていた王女が、隣国の王子と婚姻した日に、私も女と結婚した。器量も人格も平凡な女だが、笑う顔が愛おしかった。お互いの友人を交えてのささやかな結婚パーティ。折に触れて話題になった。まもなく子どもにも恵まれ、世界を破滅寸前にまで追いやった魔王は、ただの父親になった。

 私を殺せと勇者に命じた王が老衰で死に、次の王とその后の間に子どもが産まれる頃には、私の子どもたちは皆成人し、独り立ちしていた。

 鏡に映る私の姿には、勇者の面影おもかげはない。そして、魔王であった男の面影も。


 孫を連れ、王都の広場に散歩に行くと、勇者の銅像に興味を示した。彼の偉業と死を讃えて建てられた銅像は、雨風にさらされ、若い頃に妻と見た時の新しさはない。

 この銅像が建つ前、世界は平和ではなかった。

 だが私には私の野心があり、目的もあって、世界を壊す準備をしていた。だが、もはやそれがどのようなものだったのかを思い出せない。

 勇者の銅像と目があう。

 だが、私には銅像が勇者の姿だとは思えず、違和感しか感じられなかった。彼の顔は私がよく知っている。いや、私しか知らないのだ。


 妻が流行り病で死に、共に暮らそうという子どもたちの誘いを断って、私は都で暮らし続けている。友人や子どもたちがたまにやってくる時以外、私は勇者について調べた。

 彼の生い立ち、人となり、何故勇者になったのか、どんな苦難があったのか。露の命と消えた英雄の伝承は、驚くくらいに少なかった。可能な限り彼の知り合いにも話を聞きに行った。彼の生まれ故郷も訪ね、彼の墓にも行った。

 青空のよく見える小高い丘に、ぽつんと墓はあった。わびしい場所だと思ったが、そよ風が吹き、心地が良い。私は彼の墓の前に腰を下ろし、墓石に刻まれた文字を見てはじめて、彼の名前を知った。知り合いすらも知らぬ、”勇者”ではない彼の名を。

 そして、私は勇者について調べた事を一冊の本にまとめて出版した。ずいぶんと昔に国を救った男のことなど、誰も関心を抱かないのか、少しも売れなかった。それで良いと思う。子どもたちには親父の道楽にも困ったものだと笑われたが。


 今でも、私は時折彼の墓に行く。いずれは自力で来ることも叶わなくなるだろう。そのときは、孫に頼んで連れてきてもらおう。昔世話になった友人の墓参りがしたいのだと、言ってみたいと思う。


 誰もいない家で、彼についてまとめた本の前で酒を飲みながら、私は泣くことがある。子どもや孫がつけた傷があちこちについている、結婚記念日に買った木のテーブルを撫でさすりながら、うずくまって、勇者よ、お前に会いたいと。

 お前と会って、話がしたいと。


 おわり

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