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第九話 覚えられてない、かもしれない。

「鼓膜破れるかと思ったわ」

「いや、本当にごめんなさい」

 私たちは今、昇降口へと向かっている。私の隣には眉間にしわを寄せている鈴田さん。先輩方は片づけと話し合いがあるから、とのことで教室の前で分かれたのだ。

「あんな綺麗な顔が間近に迫られて悲鳴を上げたくなる気持ちもわかるけど、あれはないわ……」

「だ、だって……」

 近づいてきたイケメン先輩を思い出す。あれは凶器だ。間違いない。

 あんなに間近で整った顔を見て悲鳴を上げないほうがおかしいと思う。それに……怖かったのだ。

 向こうから近づいてきたのだと言っても、もしかしたら陰口の材料に使われるかもしれない。異性と話すときは、同性の人数が同じくらいいるときか、ある程度距離をあけながらでないと、どんなことを言われるか分からないのだから。

 中学の頃をもう一度繰り返さないためには、そうするしかない。

 あんな悲鳴を上げたのだ。流石にもう、イケメン先輩も変に距離を縮めてくることはないだろう。

 黙り込んでしまった私に、鈴田さんがため息を吐く。ああ、そんな姿も綺麗だな。そんなことを考えていたら階段を下り終え、下駄箱に着く。

 鈴田さんから視線を逸らして下駄箱からローファーを取り出して上履きをしまう。そのまま二人で出口へ向かおうとして――私の手からローファーが落ちた。ヒュウッと冷たくて細くて鋭い空気が口から喉に突き刺さる。

「ど……して……」

「待ってたわ」

 風鈴の声。切れ長だけど暖かさを感じさせる目。緩やかにUの字を描く薄い唇。

 砂羽先輩がポニーテールを揺らしながらこちらへ来る。ローファーのコツンコツンという音がゆっくりと響いて近づく。今すぐ逃げたいのに、金縛りにあったみたいに私の足は動かない。胃が痛い。心臓がうるさい。気のせいか、汗が出てきてる気がする。怖い、怖い、怖い――。


 すっと私の前に影ができる。

「すみません。この子、もう入る部活決めたので」

 ローファーの音が止まる。

「吹奏楽には、入ってはくれないのね」

 悲しげな声は、冷たく私の心臓を撫でる。

「あ――」

「彼女は私に夢中なので。私が吹奏楽部に入らない限り、それはあり得ないと思いますよ」

 強くて綺麗な響きが、盾のように私を守ってくれている。

「じゃあ、あなたは吹奏楽に興味はない?」

「残念ながら。今私が夢中なのは天野昂輝先輩なので」

「そう……杏吏ちゃん」

 ビクッと肩がふるえる。やめて。その声で私の名前を呼ばないで。

「私、待ってるから」

 コツンコツンと音を立てて先輩が離れていく。聞こえてくる音が小さく、砂を踏む音に変わって初めて、私はいつの間にか握っていた拳を解いた。手のひらは汗でびしょびしょだ。

「大丈夫?」

「……うん」

 ほら、深呼吸して。落ち着いてきたら口角上げて目を緩ませる。大丈夫。笑える。まだ、笑える。顔を上げて鈴田さんを見る。心配そうに眉を寄せた鈴田さん。こんな表情、させちゃいけない。せっかくの美人さんなのに、私のせいで表情を歪ませるなんて。いや、それはそれでいいんだけど、本当に申し訳ない。だから、笑え。明るく、軽やかに。

「大丈夫。ありがとう!」

 恐怖。苦痛。そんなの、いらない。そんな醜いもの蓋をしろ。表に出しちゃいけない。私が好きなのは女の子。男の子なんて好きじゃない。必要以上に好きになっちゃいけない。関わっちゃいけない。淡泊に。女の子には濃厚に。今私の隣にいるのは、女の子。ものすごく綺麗で、もろにタイプな女の子。

「鈴田さんってば、綺麗でかわいい上に今のかっこよくて、もう私、惚れちゃいそうっ!」

 鈴田さんの眉間に深いしわが寄る。口元がひくひくしてる。

「……やっぱりど変態ね、あなた」

 ど変態。

 その言葉に安心して思わず小さく笑う。

「ひどいなぁ」

 ぷいっと顔を逸らす鈴田さん。ローファーを両手に持ち、片足ずつ上げてローファーを履いていく。真っ黒のハイソックスに少しだけのった白い肌が、片足立でバランスを保つためにゆらゆらと揺れるスカートの裾によって見える範囲が増えたり減ったりする。うん、たまらない。

「ちょっと」

「ふぇ?」

 視線を上げると、鈴田さんと目が合う。

「早く履かないとおいていくわよ」

「帰り道をご一緒してもいいんですか!?」

 目を丸くして食いつくように声を上げる。鈴田さんは少し黙ると、クルリと回れ右をして無言で歩き始める。

「あ、ちょ――」

「おいてく」

「ま――」

「決定事項」

 冷たい声に、私は慌ててローファーを履いて追いかける。すぐに追いつく早さで歩いているあたり、もしかしたらやっぱり、鈴田さんはツンデレなのかもしれない。

「ね、鈴田さん!」

「なに」

 隣に立つと少しだけ歩く早さを遅くしてくれる。鈴田さん、美人な上に彼氏力が高い。これは本当に惚れるかもしれない。……恋愛対象は男の子だから、それはないと思うけど。

「鈴田さんと私、同じ部活だね!」

「そうだけど……それがどうしたの?」

 鈴田さんがちらりと私を見る。

「嬉しいなあって思って」

「……そう。あなた、人懐っこいのね」

「え? そうかな」

 初めて言われた言葉に、私は首を傾げる。鈴田さんが頷く。

「だって私たち、知り合ってまだ一日も経ってないのよ?」

 鈴田さんの言葉に、私は驚く。そうだ、まだ一日しか経ってない。今日一日でいろんなことが起こりすぎて、一週間くらい経っていると思っていた。

「なら鈴田さんは、優しいよね」

 鈴田さんの前に立って、後ろ歩きをしながら鈴田さんを見上げる。すると鈴田さんは眉をひそめて、ふいっと顔を逸らしてしまう。

「褒めてもなにも出ないわよ」

「なにも求めてないよ?」

「……勝手に言ってなさい」

 ちぇーと思い、元の位置に戻ろうとして、鈴田さんの頬がほのかに朱色に染まっていることに気づく。

 照れてる。

 美人な鈴田さんが、透き通るように真っ白な頬を、夕暮れ色に、染めている……!?

「……可愛い」

「……っ!」

 瞬間、もの凄い形相でにらまれる。が、全く怖くない。

「鈴田さん鈴田さん!」

「なに!」

 切れ気味に返される。

「鈴田さんのこと、なんて呼べばいい?」

「鈴田さんのままでいいわ」

 冷たい。ふと、私は鈴田さんに名前を呼ばれたことがないことに気が付く。

「ねね鈴田さん」

「なに」

「私の名前、呼んでみて?」

 それまで優雅に進んでいた足取りが、ぴたりと止まる。それはもう、不自然なくらいに。

「鈴田さん?」

 顔をのぞき込むと目をそらされる。照れてる感じはない。もしかして……。

「私の名前、わからないの……?」

 鈴田さんの目が少しの間泳ぐと、瞼を閉じて、ふうっと息を吐く。

「……たから」

「え?」

 小さい声を聞き取れず、思わずききかえす。

「自己紹介のとき、本読んでたから」

「……聞きそびれたってこと?」

 こくりと頷く鈴田さん。

「えーっと……?」

 そういえば、自己紹介のあとで名乗ることはなかった。だって、知ってると思ってたから。

「でも、あの……砂羽先輩呼んでたよ……?」

「私、イケメンと二次元のキャラ以外は名前を覚えたこと、ないの」

「……」

 これはイケメンになるか、次元の壁を越えるかしかない。

 そう胸の中で密かに誓った、高校生活二日目の帰り道だった。

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