いろはのお願い
カフェを出て、帰路につく。わけではない。道としては自宅方面だが目的地は自宅ではなく、自宅の隣の家だ。
どんより重い空気を醸していた曇天模様はいまやピーカンで、通りすぎる人は皆傘を畳み、梅雨特有の蒸し暑さに顔をしかめている。かく言う俺もその一人だ。
そんな俺とは対称的に彼女はルンルンと鼻歌まじりに笑顔だ。俺の考えというのを大層楽しみにしているのだろう。つか彼女、名前はあるのだろうか。
「あのー今更なんですけど、あなた名前あるんですか?そもそもなんで俺の名前をしってたんです?」
「人間の名前は把握してるんですよ。なんせ神様ですからねえ」
いちいちドヤるなよ。まあそこはそんなに驚かないな。
「で、私の名前ですか。ん〜色々な国で恋とか愛とかの神様として奉られてますからね。例えばギリシャ神話ならエロスとか北欧神話ならショヴンとかロヴン。具体的なのはないんです。これらは別の神として人間の間には存在しているんですけど、大体私一人のことなんですよ実際。誰かを想うという根源的なところの神ですから。私は。」
「なに言ってんだこいつ。」
つい口から溢れてしまう。いや、でも、この人尋常じゃないこと口走っているぞ。
「ちょっと〜 一応神様ですよー?」
少しむくれながらぶーぶー言っている。ちなみにかわいい。
「仮にそうなら信じてた人たちむくわれないっすね」
冗談まじりに茶かしてみる。それにもぶーぶー(かわいい)言っていた。
「でも、具体的な名前が無いとなるとなんてよべばいいですかね?」
「おおおお! 難しいところですね!名前でキャラのかわいさ伝わったりしますもんね!重要ですよー!音無君!」
なにこの人。俄然やる気出過ぎでしょ。でもまあ名は体を表すというもんな。いやこれは違うな。ていうかいちいち二次元混ぜてくんな。
「音無君!早く決めてください!」
「俺が決めるんですか!?」
「え、違うんですか?てっきりそうなのかと。」
「いや、あなたが決めてくださいよ!あ、くれぐれもアニメのキャラとかやめてくださいね」
「んんんんん 悩みますね。」
額に手をあてうなっている。こわいなー大丈夫かなー
「お!これなんてどうでしょう!神谷いろは!かわいくないですか!?」
おお なかなか悪くない。
「その心は?」
「私神様だから神のつく苗字と、音無君に恋のいろはを教えてもらうんでいろは!なかなかいいでしょう!」
「割とまじめに考えたんですね。少し驚きました。なかなかいいとおもいますよ」
「えへへ〜 褒められました〜 照れますね。じゃあ私のことはいろはと呼んでくださいね!」
満足気でなによりだ。
さて、話しているうちに目的地についた。俺の家の隣にめちゃくちゃでかい日本家屋がある。用があるのはそこだ。
大きな門をくぐり、庭の池の横を通りすぎ玄関へ向かう。相変わらずでかすぎて慣れないな。
「シルバニアファミリーみたいですね!」
いろはがへんてこなことを言う。
「あれはちっちゃな家のおもちゃですよ。なに言ってるんですか。」
「え、ちっちゃくないですか?この家。こっちの世界きたときから思っていたんですけど人間の家って小さいですよね!」
この貧乳なにほざいているんだ?
「人間からしてみるとこの家は相当な豪邸ですよ?そういう発言は他の人は訝しむのでやめてくださいね。」
これが人間と神のカルチャーショックか
気をつけまーすと間延びした返事をするいろはを横目にインターホンをおす。ここだけ無駄に近代的なんだよなあ。
少し待つと聞き慣れた声が聞こえる。
「翠だ〜 綾瀬 でてきてくれ」
「あんた帰ってくるのおっそいから!」
そしてインターホンがブツッと切られる。
そう、この豪邸は幼馴染の綾瀬の家だ。小さい頃から綾瀬とは公園ではなく綾瀬の庭で遊んでいた。ここら辺には公園という公園がないし、綾瀬の庭で事足りるからだ。
数分経つと、いつもの家スタイルの格好に身を包んだ綾瀬が顔を出す。
甚平ほどカジュアルではなく、着物ほど堅くない和服が綾瀬のいつものスタイルだ。これどこで売ってるんだろう。暑いのか髪まとめ、あげている。ちなみに俺は綾瀬のこの髪型が好きで今アゲアゲだ。
いろはの存在に気づいたのか目だけで説明を促してくる。 怖いよ綾瀬さん。なんでそんなに目が血走ってるの。
「ええーっと ここじゃなんだからあげてくんない?」
「それ私が言うべき台詞なんだけど?なんであんたが言う訳?まあいいや。あがったら?」
俺といろははお邪魔しまーすと言いながらあがる。この家のでかさはいまだに慣れないが、この家の匂いは懐かしく、あがる度に少しノスタルジックになる。
「翠 私まだ状況を把握できてないんだけど?」
「いや、俺もだ。何がなんだか。 とりあえずおばさん帰ってきてるか?」
「まだだけど?とりあえずなんでその子を連れてきたのか説明してくれる?」
威圧感がすんごい。本当にすんごい。ほら!いろはだってビビって小動物みたいに俺の背中に隠れちゃってとってもかわいいじゃないか!間違えた。かわいそうじゃないか!つか神様のくせにビビってんじゃないよ。
「おばさんまだなのか。じゃあ先に綾瀬にお願いするわ。この人は、神谷いろはって人で、ん?いや、神様で」
「は?なに言ってんの?」
「いや、だから俺もわかってないんだって!とりあえずこの人は神様で、住む家がないからこの家で住まわせてあげて!」
綾瀬は口をぽかーんとあけたまま立ちすくみ、庭の獅子脅しはカポーンと音をたてる。
一方、いろはは俺の袖をつまみながら未だにびびっていた。
かわいい。