988 クリスの謝罪から始まるプチパニック?
クリスがツバキのミスに気付いたようだ。
当然、それが己の叫び声に起因することにもね。
「ああっ!」
一瞬で顔面が蒼白になる。
蹴る瞬間に叫ぶのはマナー違反だからな。
意図的でないとはいえ、焦るのも無理はない。
「ごめんなさい!」
泡を食ってガバッと頭を下げるクリス。
謝られた方のツバキは、あまりの勢いに圧倒されている。
「あ? ああ、だい……」
おそらく「大丈夫」と言いたかったのだろう。
だが、それはクリスの次の言葉によって遮られた。
「騒がしくしてしまって済みません!」
一度上がった頭がまた下がる。
そして跳ね上がる。
「いや、だいじょ……」
今度こそ「大丈夫」を言おうとするツバキ。
しかしながら、再びクリスが被せてくる。
「集中を乱してしまって申し訳ありません!」
また勢いよく頭が下がった。
「大丈夫だ」
ツバキも今度は言えたようだ。
クリスが頭を跳ね上げる前を狙って身構えていたくらいだし。
『三度目の正直というやつだな』
クリスの動きが止まった。
それでツバキも安堵したように嘆息したのだが。
「邪魔をしてしまってゴメンなさいっ!」
クリスが止まったのは、ほんのわずかな間だけであった。
『まるで鹿威しだな』
クリスのペコペコぶりが忙しないので情緒も風情もないがね。
どうしてそう思ったかは俺にもよく分からない。
とにかくエンドレスな雰囲気があるのだ。
そのせいでツバキは困惑するばかりである。
「気にし……」
「とにかく済みません!」
またしても平身低頭の鹿威し状態。
『とにかくって何だ』
それだけクリスが動転している訳だ。
余裕がなさ過ぎである。
「気にすることはない」
どうにかタイミングを計ってツバキが言い切った。
『疲れるだろうなぁ……』
自分がツバキの立場だったらと思うと同情を禁じ得ない。
これで鎮静化してくれれば良かったのだが。
「ですがっ」
そんなに甘い話は何処にも転がっていない。
クリスは必死だ。
謝罪の言葉は見つからなかったようだが、またまた頭を下げる。
ツバキは問題なしとしているのにクリスはペコペコモードを維持していた。
『困ったものだ』
「この程度で集中を乱す方が悪いのだ」
「そういう問題ではありません。
マナー違反をした私が悪いのです」
どちらも言っていることは間違っていない。
集中しきれなかった自分に問題があると主張するツバキ。
対してクリスは、その集中を乱したのはマナー違反をした自分だと思っている。
だからこそ主張は噛み合わない。
『ツバキがもういいと言っているのにクリスが折れないんじゃなぁ……』
かといって叱責しても解決するようなことじゃないし。
さぞかしツバキも困っているだろう。
俺も困った。
どう仲裁したものか。
口出ししたところでクリスが納得するとは思えない。
『頑固さんだからなぁ』
変に介入すると、余計にややこしいことになりかねないのが困ったところだ。
そんな訳で途方に暮れていたのだが。
「クリス」
エリスが間に入ってくれた。
「姉様」
それだけでペコペコモードが止まるのだから凄い。
『さすがは年長者』
などと考えたのがいけなかったようだ。
直後にゾクッとした寒気を感じた。
別に念話で本人に伝えた訳ではないのだが。
エリスだって俺の方を振り向いた訳じゃない。
にもかかわらず背筋が凍り付くような感覚がある。
エリスの背中越しに冷たい笑みを浮かべているのが見えるかのようだ。
『さすがは姉』
内心で言い直す。
意味のある行為だとは思えなかったのだが。
そうせざるを得なかったのも事実である。
悪寒がピタッと止まった。
謎現象だ。
おそらく後でエリスに聞いても何のことだか分からないと言われるだろう。
白を切られるのとは、また違うと思う。
思いたいところだ。
でないと怖すぎる。
怖すぎるから、この話題に触れるのはもうよそう。
俺が1人で冷や汗をかいている間にもエリスはクリスをたしなめていた。
「まずは落ち着きなさい」
「ですが……」
言い淀みはするが、簡単には自分の考えを曲げないクリス。
本当に頑固な奥さんである。
ふとマリアを見たが、特に動じた様子もなく見守っていた。
『平常運転ってことか』
「冷静に」
エリスが静かに短くそう言った。
それは長々と喋るよりも効果的だったようだ。
神妙な面持ちでゆっくりと頷くクリス。
「よく考えなさい」
クリスの目を見つめながら言葉を続けるエリス。
「その謝罪は誰のためなの?」
いきなりの質問に面食らうクリス。
すぐに答えは返せない。
「ツバキが気にしなくていいと言ってくれているのを忘れてはいけません」
この言葉でクリスの表情が目に見えて変わった。
何かに気付いたって顔だ。
冷静になれたが故だろう。
それを見てエリスは穏やかな笑みを浮かべた。
「謝ることも大事よ。
だけど、それで相手を困らせてはダメね。
そんなものは身のある謝罪とは言えませんよ」
「……はい」
落ち込んだ様子を見せながらも、クリスはハッキリと返事をした。
が、それで精一杯。
気遣う余裕はない。
だからだろう。
「ツバキ、これでいいわよね」
エリスが代わりに手打ちでいいかを問うていた。
「うむ、元よりそのつもりだ」
クリスの落ち込みぶりに苦笑しながらも頷いて答える。
問題は解決した。
最初から問題になっていなかったと言うべきかもしれないが。
なんにせよ収束してなにより。
思わずエリスに向かって両手を合わせていた。
「神様、仏様、エリス様~」
と言ったのは俺ではない。
トモさんである。
便乗して両手を合わせて拝んできたのだ。
「ちょっと!?」
エリスもこれには面食らったようだ。
クリスも唖然としている。
その様子を見たミズキの目がキラリと光った。
そしてトモさんに続くように拝み出す。
「神様、仏様、エリス様~」
「ちょっと、ミズキさんっ?」
珍しくエリスが泡を食っている。
それだけ想定外なのだろう。
こうして見るとミズキが悪ふざけに便乗しているかのようだが、そうではない。
そのように見せかけて落ち込んだクリスのフォローをするつもりなのだ。
『では、俺も』
「神様、仏様、エリス様~」
「ハルトさんまでっ!?」
エリスの慌てぶりに、ちょっと楽しくなってきた。
初めは困惑していたマリアも俺たちの意図に気付いたらしく拝み出す。
ただし、台詞はなしだ。
さすがに恥ずかしいみたい。
ここまで来ると、勘のいいレオーネも真似をして拝み始める。
やはり台詞はない。
姉がするなら妹もってことでリオンも続いた。
もちろん姉が言わないから台詞はなしだ。
ここまで来ると流されるようにツバキも拝み出す。
無言ではあるが空気を読んでくれたみたい。
真面目だがノリは悪くないのだ。
で、いつの間にかフェルトも拝んでいた。
『ステルスモードだな』
こんな状態だから台詞を言ってないのは確認するまでもない。
ここまでされてようやくエリスが復活してきた。
ただし唖然とした空気は残している。
俺たちの意図は察したようではあるが。
「あのねえ……」
エリスは疲れたように嘆息した。
深く息を吐き出して落ち着こうというのだろう。
だが、その瞬間に奇襲をかける者がいた。
エリスの前に出てきて拝み出す約1名。
「ベリル様っ!?」
なんとベリルママであった。
「神様、仏様、エリス様~」
しかも台詞付きで。
「ちょっ!?」
これにはエリスも平常心ではいられない。
神様に拝まれるとは思っていなかっただろうしな。
しかも台詞付きで。
「なぁんてねっ」
そう言いながらベリルママは朗らかな笑顔で両手を開いた。
どうやら、ここで終わりにするようだ。
やり過ぎると歯止めが利かなくなってグダグダになってしまうからな。
「ほらほら、クリスちゃん。
何時までも落ち込んでちゃダメよ」
「えっと、あの、はい」
返事がしどろもどろである。
雰囲気に飲まれていたからな。
それどころじゃなかったようだ。
ベリルママはそこまで見越した上でクリスに承諾させたみたい。
『上には上がいるってことだな』
切っ掛けを作ったのはトモさんだけどな。
そして流れを生み出したのはミズキだろう。
皆が乗ってくれて、上手く収まった。
とにかく感謝だ。
読んでくれてありがとう。




