931 水面下の駆け引きからの……
ヴァンが選んだのはアデルと同じ距離であった。
特に迷う様子も見せなかったのは直感的に動いているのか。
それとも方針としてアデルと同じ選択をすると決めているのか。
いずれにせよ、ここでシュートを決めなければアデルが圧倒的優位となる。
追う展開となるヴァンにとっては既に苦しい状況だ。
にもかかわらず淡々とシュートの体勢に入って投げた。
相変わらずの振り子スローだ。
そして弾道が高い。
距離が伸びた分だけ更に上へとボールが飛んでいく。
アデル以上に距離感は掴みにくいはずなんだが。
飛んでいくボールからは迷いのようなものは感じられない。
「凄い……」
モリーが思わず唸ってしまうほどだ。
あっと言う間に上昇カーブの頂点に達しボールが落下を始めた。
それを見るモリーが何故か固唾をのんでいる。
『いや、妹を調子づかせたくないなら普通の反応か』
ヴァン以外に対戦相手はいないのだし応援したくなるのは道理というものだが。
本人より力んで見守っているのは、どうなんだろう?
『後で姉妹喧嘩とかに発展しなきゃいいけどな』
尾を引くようなら対応しなければならないので勘弁してほしい。
祭りの最中に余計な揉め事は御免である。
あれこれと考えている間にボールはゴールリングを通過しズバッとネットを揺らした。
文句のつけようのない完璧なシュートだ。
「シュート決まりました」
正面のボードに得点が表示される。
アデルと同じ[3-19/6-31]だ。
「追いついた」
モリーのその言葉を受けてもアデルは表情を変えない。
ヴァンと入れ替わり、おもむろにステージに立つ。
次のフリースローに集中しているのは明らかだ。
『さあ、距離はどうする?』
心の内で問いかける。
アデルは迷うことなくステージの端に立った。
すなわち最大の距離を選択した訳だ。
入れ替わる前から、そう決めていたのだろう。
『大胆だな』
バスケットボールのコートは28メートル。
そこからリングが突き出した分を差し引いて26メートルと少々。
小数点以下は省いているので得られるポイントは3-26だ。
もちろんシュートを決めればの話である。
『そんなに甘いもんじゃないぞ』
アデルも先程の誤差をマズいと感じたのだろう。
ボールを手にした状態で体を動かして修正している。
膝や肘の動きを入念にチェック。
納得行くまで何度も繰り返していた。
「あの子も慎重になったわね」
モリーが呟いた。
「ここが勝負所だと嗅ぎつけたんだろうよ」
「そうでしょうか?」
「外せば圧倒的不利になるからな。
だが、入れれば話は逆となる。
ヴァンに対するプレッシャーは今までの比じゃないぞ」
「それは分かりますが……」
そんなことを話している間にアデルが投げた。
放物線の描き方からすると距離感は悪くない感じだ。
「これは……」
モリーが前のめりになってボールの行方を目で追っていた。
入りそうだと直感したようだ。
「ダメだな」
リングに当たって弾かれた。
この距離ともなれば、そう簡単に連続得点できるもんじゃない。
「これでダファル卿がポイントを決めれば勝負はほぼ決まりですね」
ヴァンは先程も危なげなくシュートを決めている。
同じ距離なら得点できる可能性は高い。
「どうだかな」
「え?」
モリーが怪訝な表情を向けてきた。
「見ろよ、アレ」
ヴァンの方を見るように促す。
「ああっ」
唖然とした表情でヴァンを見るモリー。
アデルと同じ距離を選択していたのだ。
「どうして……?」
理解不能とばかりに呟くモリーである。
「おそらくは次以降に備えてのことだろうよ」
「どういうことでしょうか?」
推測もできないらしくモリーは聞いてくる。
「毎回、得点できる保証はどこにあると言うんだ?」
「それは……」
ほんの少しの変化でボールはリングに嫌われる。
「最後まで外さなければ勝てるが、そう甘いもんでもないな」
双方が3ポイントを決め続ければ1回ミスをしているアデルはどうあっても勝てない。
だが、人間は精密機械ではないのだ。
何処かでミスが出てくる。
特にアデルがこのあと最後まで最高得点のシュートを決めることができたなら。
多大な精神的重圧となることだろう。
手元を狂わせる要因にもなり得る。
「ですが、それは妹も同じはずです」
「確かにそうだが、今の距離を投げたときの感触から修正してくるぞ」
その分のデータがアドバンテージになれば決してバカにはできない。
「それはそうですが……」
次は入れてくるかもしれないとモリーも考えたようだ。
「もしアデルが次のシュートを決めようものなら勢いに乗るぞ」
ポイントリードされている状態だから追うことだけを考えればいい。
雑念に支配されないで済む。
逃げる側のヴァンは逆だ。
距離を変えずにいた場合には1回でもミスれば負ける。
ヴァンが最後まで距離を変えなかったとすればだけどな。
得点の前半部分が同点でも後半部分である補正点が少ないからね。
どこかで距離をアデルと同じに変えなければ逆転のチャンスも失いかねないのだ。
その場合、アドバンテージがあるのはアデルということになる。
ヴァンは次のミスができない状況に追い込まれるからな。
そんな状況下でより遠い距離に変更するのは厳しいだろう。
並みのプレッシャーではないはず。
更にミスれば負けが確定したようなものだ。
絶対とは言わないが、連続ミスの状態から盛り返せるとは思えない。
「そうなったときの人間は強いぞ」
「う……」
モリーが気圧されたようにたじろいだ。
アデルが更に勢いに乗るだろうということはモリーにも想像がついたのだろう。
そうなった相手に追いすがるのは極めて困難だ。
ヴァンもそのあたりを考えたはずである。
『ならば同じ条件にしようってことなんだろうよ』
安全策で行ってしまうと相手に引いたと思われかねない。
そうなると相手にのまれる恐れもある。
ならば最初から最後まで同じ土俵で戦うという訳だ。
条件が同じである間は気迫で負けることはない。
気迫が互角ならば相手にもプレッシャーをかけられる。
仮にこの勝負で負けても相手を勢いづかせることだけは防げるだろう。
『最初から、そこまで考えていたのか』
ずっと同じ距離を選択していたことから考えても間違いあるまい。
「投げるぞ」
独特の投げ方でボールを宙へと解き放つ。
弾道は更に高くなった。
「やはり、ぶれるな」
「投げた瞬間に分かりますか?」
ギョッとした表情でモリーが俺の方を見て来た。
「距離が増した分、力みがあった。
アデルが失敗したのもそのためだ。
そのあたりを次で修正できるかどうかが勝敗を分けそうだな」
そしてボールはリングに弾かれた。
「これで振り出しですね」
やや残念そうな表情をしているモリー。
『ヴァンへ感情移入しているだろ』
ツッコミを入れたくなったものの我慢した。
俺が口を挟んだことで変な風になっても責任は持てない。
「まあ、そうだな」
無難に返事をしておく。
その後の展開は双方共にミスの連続。
どちらも惜しい投球がありはしたがリングに嫌われ続けた。
距離を広げた影響は、それほど大きいものだったのだ。
「ドローゲームです」
筐体の音声が宣告した。
ゲームだからこういう結末もある訳だ。
が、それを望まぬ者がいる。
勝敗を決める必要があるからな。
「サドンデスを行いますか?」
コインを追加投入しなければならないが延長戦もある。
ここまで来てアデルに断る理由はあるまい。
普通に頷いていた。
アデルが承諾するならヴァンも断らない。
同じく頷いた。
俺がカラーコインを投入すると──
「これよりサドンデスを行います」
という音声が周囲に響き渡った。
が、このままでは勝負が延々と続くことになりかねない。
そこで俺はあることを提案することにした。
「2人とも早期決着を望むなら俺の考えを受け入れてみる気はないか?」
その言葉にステージに向かいかけていたアデルが足を止めた。
俺の方を振り返る。
ヴァンもこちらを見て無言で待っている。
「難しいことをする訳じゃない。
俺が指定した位置からゴールに背を向けてシュートするだけだ」
要するに背面投げである。
目隠ししたも同然である上に普通のシュートフォームでは投げられない。
今まで以上に運の要素が大きく絡んでくるだろう。
まずはフリースローの距離から始める。
両者とも得点すれば距離を伸ばす。
そうでなければ、同じ距離のままリトライだ。
説明を行うと──
「やります」
「自分も、それで構いません」
あっさり受け入れられた。
そしてアデルがステージに立つ。
俺が最初に指定した距離は、通常のフリースローの距離だ。
背面投げならこれで充分と判断した。
アデルは深く考えたりせず、両手でボールを投げ上げた。
フォームが変わったことでブレが生じたのだろう。
リングに当たって失敗。
距離感は、ほぼ合っていただけに残念な結果となった。
続いてヴァンも長考せずに投球モーションに入る。
『思った以上に運で勝負を決めようとしているな』
距離の感触を確かめるまでもなく。
方向のズレを気にしたりもしない。
ただ、アデルと違ってひとつこだわった部分があった。
今までの投球フォームを崩さぬこと。
リリースポイントを変えただけである。
高弾道のボールが斜め後ろに上がって落ちていく。
そしてゴールリングをかすめるように内側を通過した。
読んでくれてありがとう。




