839 生真面目な人ほどストレスを感じる
「条件ですか?」
ダイアンが強張った表情で聞き返してくる。
そりゃそうだろう。
使者の立場では条件に対して返答する権限は与えられていないのだ。
必然的に持ち帰って上の判断を仰ぐことになる。
それだけなら特に問題はない。
ダイアンも悲壮感を漂わせたりはしないだろう。
問題は俺が無茶振りをした場合だ。
到底、受け入れられない要求を持ち帰ることになったら……
上から何を言われるか分かったものではない。
いや、言われるだけなら耐えれば済むだけのことだ。
他所の国なら物理的に首が飛んだりもするだろう。
ゲールウエザー国王はそこまで苛烈なことはしないことは分かっている。
しかしながら評価を下げることになりかねない。
場合によっては降格処分もありえる。
まあ、あり得ないほどの要求だった場合の話だが。
そんなバカな条件をつけたりするつもりはない。
が、使者として聞かされる側からすれば分からないことだ。
故に穏やかではいられない。
何を言われるのかと内心では戦々恐々としているはずだ。
「心配するな」
「はい……」
ダイアンは、そう返事をするが表情は硬い。
内容も聞かされていないのに「はい、そうですか」といかないのは分かる。
生真面目なダイアンだからこそな。
そこで落ち着けるくらい図太ければ最初から強張った顔などしないだろう。
「時間がもったいないから俺が直接言いに行く」
俺のこの言葉にダイアンが目を丸くした。
『無理もないか』
条件が提示されるものだとばかり思っていたのだろうし。
そこに不意打ちを受ければポーカーフェイスは貫けないだろう。
だが、すぐに表情の硬さが戻る。
何を考えたのかは、おおよその見当がつく。
「別にクラウド卿が使者としてどうこうと思ってはいない」
「っ!?」
自分の考えていたことが筒抜けだったことにダイアンがビクリと体を震わせた。
脂汗でも流しそうな緊張した面持ちである。
「むしろ同情している」
そしてこの言葉で困惑の表情を浮かべた。
なぜ自分が同情されるのかと。
『分かり易いなぁ』
見ていて可哀相になるくらい表情に出る、という訳でもない。
おそらく普通の相手であれば読み取れないくらいには表情を隠せていただろう。
ガンフォールには通用しない程度ではあるが。
生憎と俺には【千両役者】スキルがあるからな。
このスキルは自分が芝居上手になるだけじゃない。
相手の芝居を見抜くことができるようにもなるのだ。
特級スキルは伊達じゃないってね。
『まあ、相手が悪かったと思ってくれ』
俺は心の中で合掌した。
「両国の王の間で板挟みになるのだからな」
「いえ、これが自分に与えられた仕事ですので」
「それでも胃が痛む思いをすることに違いはあるまい」
拡張現実の表示をオンにしてみれば状態異常のアイコンが点滅している。
これは[ストレス過剰]のアイコンだ。
点滅しているのは胃酸がドバドバ出ている証拠だ。
「っ!?」
ダイアンが息をのむ。
「そんなに驚かなくてもいいぞ。
こう見えて弱い立場の人間なんていくらでも見てきているんだ」
「はあ」
『日本でな』
役所に限らず、何処の職場でも窓口業務なんて客に頭を下げるのが仕事の一部だし。
俺もそういう体験はしてきている。
当時の俺にスキルなんて便利なものはなかったから自分の姿は見えなかったけどね。
それでも同僚がクレームを受けているのを何度も見たり聞いたりしてきた。
それこそ上司が対応しなきゃならないようなものから通報ものまで様々だ。
え? どこに通報するかって?
もちろん警察である。
戌亥市では器物破損の現行犯が出たことがあるんだよな。
レアケースだし俺が目撃した訳じゃないんだけど。
酒に酔った市民が窓口に来たという時点でお察しというものだろう。
平日の昼間から飲酒である。
まともである訳がない。
本人の主張が正しいかどうかを考慮する以前の問題だろう。
税金の窓口にクレームを入れに来たそうなんだが、せめて素面の時に来てほしい。
先に並んでいる人たちを無視して怒鳴り込んできたために注意されて逆ギレしたそうだ。
暴れて申請用紙が置かれている記入台が破損。
この時の唯一の被害である。
カウンターを飛び越えた職員と有志の市民たち数名によって泥酔男は取り押さえられた。
こうなると通報するしかない訳で。
警察が駆けつけることになった。
ちなみに押さえ込みに参加した市民の人たちは警察から感謝状が贈られている。
この酔っ払い、鞄の中に銃刀法違反級の自作刃物を何本も入れて持ち歩いていたのだ。
物騒なことこの上ない。
傷害事件にならなかったのは犯人が泥酔していて刃物の存在を忘れていたからだそうで。
何が幸いするか分からないものである。
感謝状を受け取った全員が事実を知って青い顔をしていたという。
もちろん警察からも次回以降は慎重に行動するよう注意を受けていた。
まあ、そうそう事件に巻き込まれることなどないだろうが。
何にせよ、こんなのは極端な例だ。
窓口に置いている物を投げつけられることくらいなら何年かに1回はあるようだし。
俺は同僚から話を聞いたことしかないけどね。
ただ、その人は2回もやられたそうだ。
もちろん別の相手からである。
簡易タイプの朱肉だったので服が汚れただけの被害だったという。
ボールペンとかで怪我をするよりはマシかもしれないけど。
それでもクリーニング代は自腹である。
金銭的には痛手を負っている訳だ。
当時は運がない人だと思ったんだけどね。
実は俺の方が運の悪い人生を送っていたことは生まれ変わった時に知ったのだけど。
ともかくダイアンは神経質になりすぎだ。
「とにかく心配はいらんよ。
俺が直に言いたいことがあるだけだ」
交渉を上手く進められなかったくらいで女の子が叱責を受けるとか冗談じゃない。
実はうちのマリアと同い年なので俺より5才ほど年上なのだが。
それで女の子ってどうよ、というツッコミはなしでお願いしたい。
そんな訳でダイアンは男装の麗人といった雰囲気がバリバリの全開なお姉さんである。
首から上だけなら美青年で通じるだろう。
『もうちょっと女の子らしく髪の毛とか伸ばせばいいのになぁ』
勿体ないとは思うのだが、余計なことは言わない。
他所の国の貴族だし。
粉をかけていると誤解されたら面倒だ。
「返事は早い方がいいだろうしな。
それに帰りの道中が楽になるだろ」
「過分な御配慮をいただき恐縮にございます」
『堅いなぁ』
ダイアンは気を張りすぎていると思う。
中間管理職も同然の立場であるが故なんだろうがね。
寿命を縮めているようで可哀相になってくる。
本人は職務に誇りを持っているようだから、そんな風には感じていないようだが。
そのあたりで悩んでいるならスカウトもしたんだけどね。
とにかく俺はダイアンを連れて輸送機でクラウドの元へと向かった。
ここで言うクラウドは、もちろんオッサンの方である。
家名がクラウドのダイアンではない。
ああ、ややこしい。
オッサンに名付けをした先王も少しは考えろと言いたい。
クラウド家の方が先だろうに。
文句を言おうにも、先王は既に故人だから無理なんだけど。
ちなみに名前ネタは他にもある。
マリアとフェルトの旧姓が同じなのだ。
親戚だったりはしない。
ただの偶然である。
フェルトは人間種とはいえレアなフェアリーだし、マリアと接点などないからな。
まあ、この話題で当人たちは盛り上がっていたから悪いことではないと思う。
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「随分とセコい真似をするんだな」
そっぽを向くクラウド王。
この場にはダイアンはいない。
俺とゲールウエザーの王族コンビだけだ。
謁見の間ではなく、王族専用の応接室だからな。
部屋の外には護衛騎士たちが見張りに立っているがね。
『それにしてもグルではなかったか……』
ダニエルが溜め息をついている。
ダイアンを使者として送ってきたのはクラウド王の独断のようだ。
国王だから別に問題はないんだけど。
「申し訳ありません」
宰相のダニエルが謝罪した。
「別にダニエルに謝罪を要求したつもりはない。
些か嫌な駆け引きをされたくらいで国交にヒビを入れるつもりはないさ」
そこまでするのは、やり過ぎだろうしな。
ちょっとムカついただけなのだから。
「せいぜい、クラウドのオッサンがうちの御飯を食べられなくなるくらいだ」
これくらいなら許されるだろう。
実害を受けるのは1人だけだしな。
「すんませんしたぁっ!」
応接室のソファーから飛び退いて床にジャンピング土下座を決め込むクラウド。
変わり身が早い。
口調も下っ端風である。
思わず呆気にとられてしまったさ。
「あのなぁ……」
王族が軽々しく土下座しちゃいかんでしょうが。
いくら俺たちしかいないとはいえ王としての自覚は何処に行った。
まあ、クラウドにとっては王位よりもうちの飯の方が優先されるみたいだが。
筋金入りの食いしん坊である。
ダニエルの方を見ると目を閉じて苦悩の表情で頭を振っていた。
「とにかく次も同じ真似したら半永久的に食べられなくなるから」
「ははあっ」
クラウドが額を床にこすりつけるようにして返事をする。
『古い時代劇の印籠を出すシーンに似ているな』
クラウドは別に俺の部下じゃないんだが。
「食事会の件は条件付きで受けよう」
「条件ですか?」
土下座しっぱなしのクラウドに変わってダニエルが聞いてくる。
半永久的という言葉は相当に堪えたらしい。
そのまま失神したのかというくらいピクリとも動かない。
「日時と場所はこちらで決める。
参加者についても限定させてもらおう」
「ですが、それではヒガ陛下が主催することになってしまいますが?」
困惑しつつもダニエルが聞いてきた。
最初は断っていたのに、急に主催すると言い出したのだから無理もないか。
俺としては思わくがあるんだけどね。
読んでくれてありがとう。




