806 タイヤの次は
タイヤから強い呪いの波動を感じる。
横転してからガラッと雰囲気が変わった。
今までの騒がしく暴れ回っている鬱陶しい感じが消えている。
それだけなら巨漢が脳震盪でも起こしたと思うところだが……
タイヤからおどろおどろしい瘴気が噴出している。
遠巻きに見ている現場の連中が一斉にたじろぎ後退し始めたほどの悪気。
兵士はともかく、厳しい訓練を受けたであろう騎士までもが総崩れだ。
どう見ても普通ではない。
『あー、これアカンやつや』
思わず内心で関西弁が出てしまう。
それくらい面倒くさいことになった訳だ。
具体的に言うと──
「喰われたか」
巨漢がということになる。
いや、巨漢もと言うべきか。
倉庫内に退避させた亡骸の主であった魂はタイヤに集められているのが分かる。
瘴気に侵食されたそれらは、もやは人間の意識を残してはいなかったが。
「それにしても……」
巨漢の胸のあたりから、亡者の怨念を感じるのはどういうことか。
タイヤ全体から恨みの波動が出てくるものとばかり思っていたのだが。
そういえばオルソ侯爵が呪われた指輪と言っていた。
タイヤが本体ではないのだ。
ならば指輪から発散されるはず。
確かに、あんな大男が指輪をはめられるとは思えない。
肌身離さず持ち続けるには、紐をくぐらせて首から提げるのが普通の考え方だろう。
だが、怨念は巨漢の体内から感じる。
体に埋め込んだということだろう。
『そこまでするか、普通』
誰にも指輪は渡さないという執念を感じた。
狂気と言ってもいい。
が、その元である巨漢の気配は消えている。
指輪が奴の魂を喰らったのだろう。
もし、その執念ごと喰らったのであれば……
『シャレになんねえぞ』
端から誰かに任せるつもりはなかったが、ますますそういう訳にはいかなくなった。
「ん?」
タイヤにVの字状の亀裂が走った。
妖しい赤黒い光が漏れ出たかと思うと分離。
生き物のような滑らかさで板状に伸びていく。
そして真っ直ぐに伸びきると接地面だった方へとバタンと倒れた。
巨漢は足の裏だけが引っ付いた状態で引きずられている。
完全に脱力状態だ。
首もあり得ない方向へ折れ曲がっている。
弾き飛ばされ横転している間に、ということだろう。
図らずも俺がやってしまったことになる訳だ。
『これも自業自得ってことになるのか?』
トホホな心境である。
おまけに、そのせいでタイヤは合理的に動くようになったかもしれないし。
巨漢が生きている頃は奴がタイヤの動きをすべて掌握していたはずだ。
だからこそ執拗に壁への突撃を繰り返していた訳で。
奴ならきっと力任せに起き上がらせようとしたと思われる。
指輪を自分の胸に埋め込めば奪われないと考えるような強引な男だからな。
少なくとも小技を効かせて少ない労力で、などとは思いつきもしないだろう。
だが、巨漢は死んだ。
そしてタイヤはまだ動いている。
今は板だが。
アレを支配するのは間違いなく指輪だろう。
かなり高度な魔道具のようだ。
なにしろ横倒しからタイヤのままで起き上がるのは難しいと判断するくらいである。
力技で起き上がると無駄なエネルギーを消費してしまう。
そんなことを計算する程度には高度だ。
そして解決策を即座に実行した。
今のようなやり方ならば消耗は少ないだろう。
あの状態で転がることは不可能だが、後は丸まってしまえばいいだけのこと。
問題があるとすれば巨漢のブーエ・ブーエだ。
あのだらんと垂れ下がった肉塊は走行バランスを崩すのは間違いない。
それに無駄な重りでもある。
効率優先で動くなら切り離すだろう。
それをしないのは巨漢の胸の中に本体である指輪があるからだ。
呪いの源でありエネルギーの供給源を切り離す訳にはいかない。
とするなら、どうするか?
指輪を移動させるか。
それとも死体を無理やり動かすか。
答えは後者だった。
突如、巨漢が動き出す。
ホースに勢いよく水を送り込んだように下半身から起き上がる。
「うわっ、気持ち悪っ」
人間のする動きじゃない。
だが、これで後はタイヤに戻って戦闘準備は完了となるはずだ。
こちらも応戦体勢に入る必要がある。
俺は自分で構築した結界へと進み出て、そのまま内側へと入った。
「うげっ」
結界の中の空気は淀みに淀んでいた。
まるで泥沼に沈み込んでしまったかのようだ。
それほどに瘴気が濃い。
『何人、殺したんだよ』
称号からすれば百以上だが、ギリギリ百とは思えない。
数字で考えることではないとは思うものの反吐が出そうになるのも事実だ。
おまけに魔力を吸い上げようとするような力まで感じる。
これは指輪の能力だろう。
こちらも言い表せない不快感があった。
吸血鬼に血を吸われる時はこんな感じなのだろうか。
とにかく不快感が重なり合わさってゲージMAXを突破する勢いだ。
グロいのも嫌だが、ヌルッとした感触もそれを連想させて嫌いなんだよな。
『遮断、遮断っ!』
瘴気も吸い出しもシャットアウト。
その上で気持ち悪さを払拭するため自分に浄化を重ね掛けする。
髪の毛1本まで素早く丁寧に浄化したつもりだ。
しかし気持ち悪さがしつこく残っていた。
これは感触の記憶のせいだろう。
あまりの気持ち悪さにプチッとキレた。
「舐めた真似してんじゃねえぞっ、ゴルァ!」
つい言葉遣いが荒っぽくなってしまった。
この程度で心を乱すとは、相変わらずメンタルが弱い。
情けない話である。
『落ち着こう』
相手は魔道具だ。
判断能力は持っているが感情などないだろう。
言わばロボットのようなものである。
ならば挑発しても意味があるとは思えない。
【挑発】スキルであれば目標を変えさせるくらいはできるだろうが。
まあ、そんなものを使わなくても奴の目標は俺のはず。
巨漢が死ぬ直前にタゲっていたのは俺だ。
指輪はそれを引き継ぐだろう。
「よしっ」
頭に血が上った状態は脱した。
今であれば口を開いても荒ぶったりはしない。
まあ、感情のない相手に語る言葉などはないが。
こちらが1人でキレたり落ち着いたりをしている間に向こうにも変化があった。
巨漢の直立した亡骸が黒い板に沈み込んでいく。
底なし沼に落ちたかのようにズブズブと。
『その手があったか』
指輪は巨漢の体ごとタイヤと一体化するつもりなのだ。
半分以上沈み込んだところで板が変化を始めた。
板が肥大化していく。
だが、明らかに割り増しで大きくなっている。
巨漢の体との釣り合いが取れない。
本当に奴の執念がそうさせているのかもしれない。
この状態でも俺が手を出さないのは一体化した方が都合がいいからだ。
バラバラだとタイヤを粉々にしても指輪が残る。
そうなれば呪いで再生されかねない。
指輪を先に破壊しようにもタイヤだけでなく巨漢も妨害してくるだろう。
両者が一緒の存在になってくれるなら面倒がなくていい。
タイヤになって突進してきたら受け止めつつ横から多重魔法で攻撃すれば楽に終わる。
そういう筋書きだ。
「さあ、来い!
タイヤ野郎っ」
巨漢が完全に飲み込まれた段階で気合いを入れ直した。
【挑発】スキルは使っていない。
そして次の変化が始まった。
想定通りなら、黒く分厚い板が反り返るはずだったのだが。
「何だとっ!?」
俺の予想を裏切り、板は赤黒い妖しい光のラインを描いた。
直線で直角に曲がったり二股に分離したり。
更にはカクカクした動きで蛇が鎌首をもたげるような姿勢になった。
Vの字の先端がこちらを向いている。
それが妖しい光のラインに沿って割れていった。
複雑な動きで形を変えていく。
クネクネと良く動くものだ。
「ズズン!」
割れた先端が共に地面に突き立った。
見ようによっては頭のない四つん這いである。
末端の方が中央から割れて脚のようになっていた。
こちらも複雑で生物的な動きをしている。
とはいえ、丸っきり生物を模倣したりはしていないようだ。
見る間に黒い板が形を変えていく。
「まるで首のないゴーレムだな」
そんな感想を漏らした瞬間のことだった。
両肩の中央部分からモコッと盛り上がる。
ここだけ妙に生々しいと思ったら人の頭が造形された。
顔は言うまでもなく巨漢のものだ。
サイズは人のそれではないけれど。
ちなみに例のヘアスタイルまで再現されている。
攻撃力があるかは微妙なところではある。
だが、そんなことは些細なことだろう。
ゴーレムもどきが四つん這いの状態から起き上がった。
大きさの割に滑らかで動きが速い。
「ほう、サイズは巨人兵と同じくらいか」
ボディはメカメカしいデザインなのに頭部がリアル人なので気持ち悪い。
あと、爪先はVの字の名残を上手く利用しているが手の方はダメだ。
そこだけ手を抜きました感が漂っている。
パーツをクローズアップせず全身を見てみると、ちぐはぐな感じが拭えない。
ボディラインはグランダムっぽくて格好いいのに勿体ない。
だが、それでもゴーレムもどきの誕生だ。
サイズ的に巨人兵に近いので黒巨人兵と呼称することに決定。
すると黒巨人兵が滑らかな動きでガッツポーズらしきものを取った。
そして口を開いて体を仰け反らせる。
『何やってんだ?』
思わず呆気にとられてしまった。
どうやら咆哮しているらしい。
声は一切出ていないが。
どうやら巨漢の行動パターンを活用しているようだ。
無駄が多いが、戦闘は機械的なものにはならないだろう。
少なくとも巨人兵よりは強そうである。
不意に黒巨人兵が正拳突きをするかのように腕を前に突き出してきた。
互いに距離があるので当たるはずもない。
『シャドウボクシングでも始めるつもりか?』
と思っていたら、腕が伸びきった瞬間に肘から先が飛んで来た。
「こっちもロケットパンチかよっ!」
しかも先端が尖っているので、当たれば痛そうである。
不格好な手抜きの手だと思っていたら意味はあった訳だ。
もちろん当たらんがね。
読んでくれてありがとう。




