769 呼び方を考えないといけない?
すみません。
遅くなりました。
「できました」
住民登録申請の用紙に記入していたナターシャが顔を上げた。
「これで、よろしいでしょうか」
手渡された申請用紙に目を通す。
その間、俺が用意した席に座った総長とナターシャは俺の方をジッと見ている。
こういう届出書の記入は初めてだろうからか緊張の面持ちだ。
俺の言った通りに記入したはずなのに、これだからな。
とはいえ未経験なことだと、そんなものなのかもしれない。
特に過去の経験や知識から推測しづらいこととなれば不安感も増すのだろう。
「大丈夫だって」
指さしで項目をひとつずつチェックしながら声を掛けておく。
とはいえ形式的なものに近い。
名前と生年月日と続柄でほぼ終了だからね。
転入出の住所を記入する欄もあるけど、今回のケースの場合はどちらも国名だけだ。
転出元が外国の場合は国名だけで事足りる。
外国の住所までは管理しないからだ。
必要になる住所はミズホ国内のみ。
それでは今回の転入先が国名だけになるのは何故なのかとなってくる。
住む所が決定していないのが理由だ。
『これが日本だったら届出が出来ないんだよな』
届け出た住所に役所からの郵送物が届けられることになるから必須事項となる。
住所不定だと国民健康保険証も持つことが出来ないし。
他にも色々と滞るので日本の場合、住民異動で住所を確定させなければならない。
その点、ミズホ国は融通が利く。
住所が確定したら届け出る必要はあるけどね。
これもスマホが国民に必ず支給される連絡手段だから可能なことだろう。
でないと住む所が決定しても届けを出さない横着者が出かねない。
もしくは忘れる者だな。
いつまでも届け出ないときは役所から連絡が入る。
スマホは身分証でもあるから処分することは許されないし。
まあ、回線使用料がかからないからこそできることだろう。
なんにせよ住む場所は帰ってから選ばせることになる。
なるべく本人たちの希望に添う形で決めるつもりだ。
とはいえ、最初からジェダイトシティはない。
ドワーフの小国群から新たに増える街とかも同様だ。
学校に通うため強制的にミズホシティである。
ミズホシティ以外から駅を使って通うことも出来なくはないのだが。
ただ、通学の手間を考えると現実的とは言えない。
元から住んでいたなら話は別だが。
でないと空き部屋を見つけるのも苦労するだろうし。
卒業が認められるまで通い続けなければならないから近場の方が有利に決まっている。
『この2人は卒業まで時間かかるだろうしなぁ』
放出型の魔法に慣れ親しみすぎているのは大きなネックとなる。
内包型の魔法への切り替えがスムーズに行くかどうか。
何とも言えないところだが。
故に学校のごく近くがいいだろう。
「ですが……」
戸惑い気味のナターシャは俺が請け合うと言っても困惑の度合いを変えない。
逆に総長はニコニコしっぱなしだけどな。
「……………」
俺が何も言わないでいると、ナターシャの表情が不安の色を濃くしていく。
「やっぱり問題がありましたか!?」
頬を引きつらせて聞いてくる。
血の気が引きかけているし。
『どんだけネガティブ思考なんだ』
思わずツッコミを入れたくなったさ。
「ある訳ないでしょ。
少しは落ち着きなさい」
総長にたしなめられている。
「そうだな。
問題はない。
別のことが気になっただけだ」
安堵するナターシャが胸をなで下ろす。
「別のことですか?」
総長はそこが気になるようだ。
「いや、いつまでも総長って呼ぶのは変だろ。
この申請書は受理されたからな」
薄い紙を振ってヒラヒラさせる。
本当は役所に転送して初めて受理となるのだが。
フライングでそう言っておく。
俺がチェックしたので不受理になることはないからな。
『さっさと受理を確定させるか』
申請書を折り畳んで転送魔法を発動。
役所にはメールでその旨を伝えているので早々に住民登録がされるだろう。
で、俺があれこれと考えて行動している間のことだが……
「どういうことでしょうか?」
総長が首を傾げていた。
いつもの勘の良さは何処に行ったのか。
どうやら本気で分からないらしい。
「おいおい、いつまでゲールウエザー王国民のつもりだ?」
この指摘でさすがに理解したようだ。
一瞬だが総長が面食らったような顔をした。
自分が気付かなかったことに驚いたみたいだ。
俺の方が驚いたさ。
「申請書が受理されたってことはミズホ国民なんだぜ。
ゲールウエザー王国の宮廷魔導師団所属じゃ無くなるだろ」
照れ隠しなのか苦笑している。
「当然、総長の肩書きも消えることになるよな」
「確かにそうですね」
そう言っておかしそうにクスクスと笑い出した。
「これは失敗です。
総長と呼ばれることに馴染んでしまっていたせいでしょうか。
少しも変だと思いませんでした」
肩書きが名前化してしまったようなものだ。
「それと移住なんてすると思っていなかったというのもあるんじゃないか?」
「ああ、それはあるかもしれません」
元総長が頷いた。
「転入手続きと言いましたか」
「ああ、そうだ」
「それをするのも初めてでしたからね。
おそらく他所の国ではここまで厳格化された制度はないでしょうし」
『厳格化って……』
俺にとっては馴染み深いからか、特にそうは感じないんだが。
そういう部分を排除して考えても厳しいとは思えない。
日本で得た知識や経験を元に簡略化しているからね。
とはいえ、こういう手続きと縁がない場合は元総長のように感じるのかもな。
「その辺は価値観とかの基準で変わってくるんじゃないか」
「そうでしょうか」
俺も総長も互いに譲らない。
こういう場合は話題を変えるに限るというもの。
まあ、元々の話に戻すだけなんだが。
「なんにせよ呼び方が総長のままではな」
強引に軌道修正した。
が、元総長も反発したりはしない。
不毛な言い争いになると感じたのだろう。
「これからは問題になるでしょうね」
故に話の流れに乗ってくる。
「だからといって新しい苗字で呼ぶのはな……
ナターシャと被るから誤解の元になりやすいし」
「スリーズ婆さんでいいですよ」
元総長が自分から申告してきた。
それはいいのだが、自分で婆さんとか言う心境が理解できない。
『年相応に見て構わないと達観しているのか?』
聞いた言葉だけでは、そう思ったかもしれない。
だが、どこか違う。
なんだか婆さん呼ばわりされるのが楽しそうだ。
『……………』
少し考えて何となく想像がついた。
ナターシャの祖母になれたのが嬉しいのだろう。
孫馬鹿を見た思いである。
とはいえ婆さんはマズい。
いずれ若返ってしまうのが分かっているからな。
外見がとても年寄りに見えないのに婆さん呼ばわりは違和感があるだろう。
本人より周囲の方が困ると思う。
「そういうのはナターシャのために取っておけ」
誤魔化すために、そう言っておいた。
「どういうことでしょうか?」
元総長が首を傾げている。
「今日からは文字通りナターシャのお婆ちゃんなんだからな」
俺がそう言うと元総長は楽しげに笑った。
逆にナターシャは今にも泣きそうになっている。
『たった、それだけでか?
どんだけ嬉しいんだよ』
「おいおい、泣くなってー」
「泣いてませんっ」
素直じゃない。
「どうにかこうにかな状態じゃ説得力ないぞ」
なんとかギリギリで堪えている感じだ。
「それでも泣いてませんっ!」
本当に意地っ張りである。
まあ、ガッツがあるのは間違いないので学校でも頑張ってくれるだろう。
後はその意地っ張りな性格のせいでいざこざさえ起こさなければ文句はない。
「根性を見せるのはいいが、それで人と衝突するなよ」
念のために言っておく。
経験があるのかナターシャは不機嫌そうに唇を引き結んでいた。
これ以上は逆効果になりそうなので切り上げる。
そもそも元総長の呼び方を考えていたのだ。
そちらをどうにかしないといけない。
「で、どんなのがいいんだ?」
話を切り替えるために元総長へ強引に話を振り替えた。
「唐突ですね」
「俺の得意技だ」
自慢にはならない。
周囲の人間にとっては振り回されるぶん迷惑なだけだ。
だからだろう。
元総長も苦笑している。
結局、元総長の呼び方については保留となった。
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「さて、昼飯はどうしようか」
昼食には、まだ少し早い時間であるが腹が減った。
色々と考えさせられたせいだろう。
気疲れといった方がいいのかもしれないが。
「くーくくっくうくぅくー、くくぅくぅくーくっくぅくーくう」
空腹でスーパーに行くと、つい買いすぎてしまうの法則発動、って……
「何処でそんなこと覚えてくるんだよ」
動画でだって、そんな情報があるとは思えないんだが。
それ以前に俺の言ったことをどう飛躍させたら、そこにつながるんだか。
たぶん言いたかっただけだろう。
留守番が退屈だった反動か。
「くぅーくっくう」
それは秘密です、とか言ってるけど。
これもネタだろうか。
『いや、気にすまい』
付き合うと何時までネタを聞かされ続けるか分かったもんじゃない。
そんなことより昼飯を何にするかの方が重要だ。
「俺は腹が減っている」
はやく昼飯が食いたい。
読んでくれてありがとう。




