726 寿司を堪能するべし
総長が卵のネタを堪能してくれている。
『寿司屋じゃ安いネタなんだがな』
実に上手そうに食べている。
『初めて食べるとなると、こういう反応をしてくれる訳か』
調理した甲斐があるというものだ。
咀嚼しきって飲み込んだ後、総長はフーと一息ついた。
「御飯の味が前に食べた時と違います。
これが酢飯というものなのですね」
「ああ、そうだ。
口に合ったかな」
「はい、とても。
酸味の中に甘みがあってお米の美味しさが感じられました。
具材とのバランスがとれていて、とても素晴らしいお味だったと思います」
どこかの料理評論家かと思うようなコメントだった。
「寿司では具材のことを寿司ネタ、もしくは単にネタと言うんだ」
「そうなんですかー」
フムフムと頷いている総長。
少し考え込んでいるように見えるのは心の手帳にメモっているからだろうか。
「このネタもまた素晴らしいですね」
そしてさっそくメモった言葉を使ってくる。
『若々しいね』
前から思っていたことだが実年齢と中身が一致しない。
毒にやられていた頃とは大違いである。
「食感がフワッとしているのに味が染み出してくる感じがしますし。
噛むごとに鼻に抜ける上品な甘さが最後まで楽しめるのがいいですね」
コメントは相変わらず評論家風だけど。
そして、このコメントが小カウンターの面々を刺激する。
まずはカーターが身を乗り出してきた。
「卵焼きの寿司は、もう無いのかい?」
すかさずダニエルが釣られて──
「そうだな、私もぜひ味わってみたい」
腰を浮かせながらそんなことを言ってくる。
食事中のマナーとか知ったことではないといった感じだ。
『アンタら王族でしょうが』
つい、内心でツッコミを入れてしまう。
2人とも俺より年上だし。
行動自体は子供っぽいけど。
「注文があれば握るから、座りなって」
指摘されて初めて立ちかけていたことに気付く両名。
顔を見合わせて恥ずかしそうに頬を染めながら席へと沈没していく。
「あ、すみません。
私も卵をお願いしてもよろしいでしょうか」
おずおずと小さく手を挙げながら遠慮がちに言ってくるのはナターシャだ。
「ギョク3丁入りましたー」
トモさんが威勢のいい声を作って呼びかけてきた。
カウンター席に座っているのに店員のノリである。
「はいよっ、ギョク3丁」
俺もノリで返事をする。
流す前に用意した分があったから既に握り終わった状態だったけど。
呆気にとられている3人に卵の握りを渡して注文分は終了。
その間にマグロの赤身に手を出していた総長が俺の方を見る。
食べている最中なのでムグムグと口を動かすだけだが、ジッと俺の方を見続けている。
『言いたいことは分かったよ』
興味深げな目で好奇心が体全体から溢れ出さんばかりだからね。
「ギョクってのは寿司屋が使う隠語だよ」
コクコクと頷く総長。
またしても心の手帳にメモしているようだ。
「ちなみに、醤油の隠語は紫でワサビは涙という。
客が使う言葉じゃないから知らなくてもいいことなんだがな」
追加のうんちくに総長は、やや仰け反りながら目を丸くしていた。
そして赤身を食べ終わる。
「これも美味しいですね。
今まで食べたどの肉とも違います。
とにかく柔らかいです。
生だとは思えないくらい臭みがありませんし。
こんなに風味豊かな味を私は知りません。
しかも醤油を少し垂らすだけで更に味わい深くなりました」
瞳を少女のようにキラキラさせている。
隠語についてはコメントがなかった。
客が使う言葉ではないと言ったことが影響しているようだ。
「それはマグロという魚の赤身だよ。
トロという脂がのった部位だともっと柔らかいぞ」
「では次はそれをくださいな」
「脂の乗り具合で大トロと中トロがあるぞ」
「では、中トロで」
さっそく握りにかかる。
「ヒガ陛下、マグロの赤身をっ」
「私もだ」
つい今し方まで卵に夢中になっていたカーターとダニエルが注文を入れてきた。
どうやら総長のオーダーを後追いするつもりのようだ。
その作戦はナターシャも同様であったが、彼女は注文してこない。
それもそのはず、既に赤身を確保していたからだ。
目配りの差だろう。
王族コンビは夢中で食べるのみであったが、ナターシャは違う。
抜け目なく流れている寿司を観察していたのだ。
『できれば、そうしてほしいんだがな』
いつまで経ってもコンベア状の寿司が減っていかないからね。
そのあたり気を遣ってくれているのだろう。
トモさんとフェルトは流れているネタだけを食べている。
すでに5枚ずつ皿が積み上がっていた。
「ハルさんお勧めのポン酢で食べるのもいいねー」
「そうですね。
醤油も悪くないんですが、こちらの方が優しい口当たりです」
カーターとダニエルの耳がダンボになっている。
夫妻の食べていた茹でエビをコンベア上で見つけると確保するべく待ち構え始めた。
「中トロ、お待ち」
「ありがとうございます」
総長に手渡して次のオーダー分に取り掛かる。
ネタは用意していたので2皿分を握って即完了。
ただ、受け取れるような状態ではない。
とにかく中腰で待ち続けている。
『なんだよ、それ。
手を伸ばせば軽く届くだろうに』
そうは思うが、呼びかけても耳には届かないだろう。
それくらい目に力が入っていた。
総長やナターシャも苦笑を禁じ得ないようだ。
しょうがないので風魔法で赤身の皿を2人の前に送り込んでおいた。
「赤身、お待ち」
声を掛けたにもかかわらず両名は気付いた様子も見せない。
『必死すぎんだろ』
「来ましたよ、ダニエル殿」
「ふたつ続くとはついていますな、カーター殿下」
獲物に忍び寄る肉食獣のような姿勢になっている2人。
何だか嫌な予感がしたので、2人が狙う茹でエビも風魔法で浮かせた。
ただし、浮かせるだけだ。
2人の手が届かない位置で静止させる。
「「ああっ」」
ガタガタと席を立って手を伸ばしてくる王族コンビ。
そのまま俺の両脇にまで風魔法で皿を引き寄せる。
「ヒガ陛下、なにをっ!?」
「それは我らが取ろうと思っていた皿ですぞっ」
視界に入ると眼中にない状態は解除されるらしい。
『これでも茹でエビしか見えていなかったら、お手上げだったがな』
「欲しいなら、まず座れ」
共にササッと席に着いた。
ということは聞く耳もちゃんとあるということだ。
主張するだけして人の話を聞かないんじゃ一方通行で終わってしまうからな。
「皿を取る時は席に座ったままでだ」
返事がないので両脇の皿を後ろへ遠ざけた。
途端にブンブンと高速で頷き始める2人。
皿を両脇へ戻すと頷きが止まる。
『何だかなぁ……』
「あと、流れている寿司に顔を近づけすぎ。
自分だけが食べるんじゃないんだから、もっと周囲に気を遣え」
皿は遠ざけなかったがカーターもダニエルも頷いた。
「念のために聞いておくが」
俺はここで軽くジャブを繰り出した。
素人でも目で追える程度のスピードだが。
「これくらいの勢いで皿を確保しようとしていなかったか?」
皿を取るには速過ぎる。
それは2人とも分かっているはずだが、返事がない。
頷きもせず無表情である。
「黙秘するって言うなら、これは俺が食うぞ」
茹でエビの皿を上下させた。
面白いほど動揺し始めたカーターとダニエル。
茹でエビは他にもコンベア上を流れていることに気付いていない。
「落ち着いて取らないと他の皿を弾き飛ばしかねないんだが?」
そう言うと、さすがに気まずいのかショボーンと落ち込んだ。
『反省はしているようだし、そろそろいいか』
茹でエビの皿を2人の前に持って行った。
「「───っ!?」」
カーターとダニエルが慌てた様子で俺の方を見た。
「別に没収するのが目的じゃないからな。
周囲に迷惑をかけるような食べ方をしなければそれでいい」
コクコクコクと頷く両名。
「食べないのか?」
促すと2人とも、待ちかねたとばかりに醤油を垂らして茹でエビを口に運ぶ。
「ああ、念のための確認なんだが」
ふと気付いたことがあったので声を掛けた。
が、待ちかねた寿司を前にして止まる気配を見せない。
むしろ競い合うように一口で寿司を頬張った。
「その皿はワサビ増量の皿だぞ」
罰ゲームレベルではないものの、慣れている者でも鼻にツーンとくるはずだ。
カーターが驚愕に目を見開いたかと思うと涙を流し始めた。
ダニエルは喉に手を当てて苦悶の表情を浮かべている。
「言わんこっちゃない」
グラスに冷たい水を注いで渡すと、両者共に一気に飲み干した。
「し、死ぬかと思った」
『いくら何でも大袈裟だよ、カーター』
「辛かった……」
『そりゃあ、普通のワサビありより多めに入ってるからな』
事前に説明を受けておきながら、これである。
2人は皿の上にしか注目していなかったのだろうか。
「涙が出るほど辛いと言っただろ?」
「それは分かっていたんだけど……」
「まさか、これほどとは思っておりませんでした」
どうやら知ってはいたようだ。
『舐めてかかって痛い目を見た訳か』
視野狭窄と結果は変わらない。
「もうちょっと警戒心を持とうぜ」
「まったくだね」
「面目ない」
反省は本物だったようで、以後は醜態をさらすこともなかった。
読んでくれてありがとう。




