1667 このスピードで目を回されてもな
サリュースは常識外れだと驚いていたが俺の心境とは大いに差がある。
「この程度で驚いてもらっては困るんだがな」
つい溜め息を漏らしてしまいそうになるほどに。
「おいおい、冗談だろう?」
呆れたような困惑したような複雑な表情で問うてくるサリュース。
「既に馬車よりも格段に速くなっているじゃないか。
まさか、今よりもずっと速いスピードで走らせられるとでも?」
「そのまさかだな」
「なんということだ」
サリュースは天を仰ぎ見る。
見えるのはバスの天井なのですぐ真上で行き止まりだが。
あと飾り気などないので味気ないのも加わるか。
「ちなみに、それは序の口だ」
そう言うとギョッとした目を一斉に向けられた。
サリュースだけではない。
それまで表情を硬くしつつも平静を保とうとしていた側仕えの者たちも一緒だった。
バスの最高速についてほのめかしただけなんだがな。
サリュースをはじめとしたインサ王国の面々に仰天されてしまいましたよ。
まあ、序の口と言ったのが衝撃的だったのかもなぁ。
「そんなに過剰な反応をされてもなぁ」
俺からするとドン引きとは言わないまでも引いてしまうところなんだけど。
ミズホ組の面々も、そういう感じだ。
アカーツィエ組はというと、俺たちに生暖かい視線を送ってくれている。
あとインサ組には同情的な感じの目を向けているな。
解せぬとは言わないが納得したくないところだ。
「おやおや、何処が過剰だと言うんだい?」
サリュースに呆れたと言わんばかりの目を向けられた。
「今でも充分に速いというのにねえ。
まだ加速できると言われれば驚きもするのだよ」
やや興奮気味に言われてしまった。
そんなに信じ難いことなのだろうか。
だとすると、馬車より速いというだけで許容限界だったようだな。
「ここで派手に驚かれるとなぁ……」
思わず嘆息が漏れてしまう。
「その先を見せるのが躊躇われるんだがね」
「今以上に速くなるだけじゃないのかい?」
サリュースにしては珍しく恐る恐るといった感じで聞かれてしまいましたよ。
側仕えの面々は緊張した面持ちで見守っている。
どんな返答が聞けるのやらという心境かもな。
「だけじゃないな。
ちなみに今の倍の速度を出しても限界ではないんだぞ」
「「「「「──────────っ!?」」」」」
サリュースの側仕えの者たちが声なき悲鳴を上げて驚いていた。
「倍でも余力があるのかー……」
呆れの色をにじませながらサリュースが言った。
「論より証拠ってのを見せようか?」
俺がそう言うとサリュースより側仕えの者たちが震え上がった。
身の回りの世話をする者たちだけならともかく、護衛の面々までそれなのか。
スピード恐怖症ってあったっけ?
バスの車窓から見てもそんなに速くは感じないと思うんだけど。
このあたりは、もしかすると日本人的感覚なのかもな。
今までは運良く速さに耐性のある面子が多かっただけなのかもしれない。
あるいは必死に我慢していた可能性もあるか。
高速のラリードライブじゃないからと、あまり自重してなかったのだが。
「いやいや、今はまだ遠慮しておくよ。
私はともかく供の者たちが落ち着いてからでないとね」
サリュースが苦笑しながら側仕えの面々へと視線を向けた。
さすがと言うべきか、目配りが行き届いているな。
「そうか」
そういう風に言われてしまうと無理強いはできないな。
まあ、キースたちの報告次第によっては悠長なことは言っていられないかもしれないが。
今しばらくは現状のペースでバスを走らせるとしよう。
「ちなみに高所恐怖症の者はいるか?」
俺が問うと、サリュースが不思議そうに首をかしげた。
「私はそういうことはないが……」
些か戸惑いながらも答えてくれた。
側仕えの者たちにもいないようだ。
それは何よりと言いたいが、まだ安心はできない。
ツバイクの所は問題ないのは分かっているのだけど。
高所恐怖症を確認すべき相手は身内にもいるのだ。
新たに国民となった2人である。
一番の新入りはビルだけど、付き合いは2人よりも長いので色々と分かっている。
この件に関しては問題ないはずだ。
当人も俺が疑問を口にした時に頭を振っていたしな。
その後は落ち着いた様子で皆の返事を見守っているので念押しする必要もないだろう。
「カエデとオセアンはどうだ?」
俺は2人の方を見ながら問うた。
「特に問題はないかと」
カエデは即答して問題ないことをアピールしてくる。
修行の旅を続ける間に断崖絶壁のような険しい場所にも行ったのかもしれない。
命綱なしのロッククライミングとかもやってそうだな。
だとすると即答するのも頷ける。
いずれにせよ自信に裏打ちされた返答と考えて良さそうだ。
となると、問題はオセアンか。
神殿暮らしが長かったということは温室育ちと言っても過言ではあるまい。
そのオセアンの返事は──
「極端な高さでは分かりませんが、階段の上り下りで怖いと感じたことはありません」
ということだった。
これだけだと何とも言い難いな。
確かにオセアンの言うような状態で怖がる人もいるけどね。
まあ、飛行機に乗せれば分かるだろう。
「ふむふむ、念入りに確認するのだね」
サリュースが思案顔で言ってくる。
「その時になって騒がれても困るのでな」
「断崖絶壁の場所を通る訳じゃないだろうに」
そういう風に思うのも無理からぬところか。
案内する側であるサリュースは道中にそういう場所はないと分かっているからな。
結果として思い込みになってしまっているのだけど。
「別に迂回するとかじゃないがバスより速く移動する方法があるからな」
地下に潜ってホバークラフト列車を走らせるか。
はたまた光学迷彩で姿を消しつつ輸送機で空を飛ぶか。
ちなみに俺の推しは後者である。
乗り換えの手間とか考えると輸送機の方が楽なのでね。
バスでそのまま乗り込めるし。
列車も街道を無視して目的地まで一直線では行けるけど、穴は掘らなきゃならんし。
後始末も必要だから面倒くさい。
その割に輸送機ほど早くは到着できないときている。
空を飛ぶのと変わらぬ速さで移動できても準備や乗り換えの手間が差を生むのでね。
故に高所恐怖症の確認をした訳だ。
これまでは気にせず放り込んでたけどね。
今回は試しに聞いてみただけなので次からも同じ対応とは限らないが。
まあ、気まぐれに配慮したようなものだ。
衛兵の小隊長の一件で心臓によろしくない思いを何度もさせたからというのもある。
「「「「「……………」」」」」
サリュースの側仕えの者たちに動揺が広がっていく。
口々に何かを言う訳ではなかったが不安そうな表情は隠しきれていない。
「まさかとは思うのだけど……」
しばし考え込んでいたサリュースが口を開いた。
「空を飛んだりはしないだろうね?」
あり得ないと言わんばかりに頭を振りながら問われてしまいましたよ。
「まさかも何も、その通りだぞ」
「なっ……!?」
さすがのサリュースも短く声を発した後は絶句するしかなかったらしい。
復帰してくるまで辛抱強く待ってみた。
どのみち、側仕えの者たちも愕然としているので状況は変わらんしな。
サリュースが復帰してくる方が早そうではあるけれど。
「念のために言っておくが、バスがそのまま空を飛ぶ訳ではない」
そう言った途端に一部の者たちから漂っていた張り詰めた空気が薄れた。
このまま飛ぶのではないと聞いて安堵したようだ。
バスには窓がいっぱいあって馬車などよりも視野が大きく確保されている。
開放感もある一方で外との隔たりが少ないのが不安感を強く感じさせそうだもんな。
お陰でこっちは逆に不安になってきたんですがね。
高所恐怖症じゃないって言ってたけど、本当なのかと問いたくなったさ。
読んでくれてありがとう。