1598 逆転か?
「「「「「お─────っ!」」」」」
観客席が沸き上がる。
ウルメの回転蹴りがカエデの太ももを捉えた。
観客たちにはそう見えたようだ。
だが、次の瞬間。
回転蹴りは空を切った。
何のことはない。
カエデが跪座の状態から膝を浮かせた中腰の状態になったのだ。
そして再び跪座へと戻る。
あの蹴りの速さに対応して素早く中腰になるのは簡単なことではない。
カエデは動じた様子もなく当たり前のようにこなしていたが。
跪座自体は立ち上がる際に立ちやすい姿勢ではある。
しかしながら中腰になるまでにはワンクッションあるのだ。
鍛えていなければ不可能な芸当である。
まあ、カエデはできて当然なのだが。
武術家なのだからな。
できないのであれば二流以下と言われることになるだろう。
もちろん、カエデはそのようなことはない。
「くっ!」
ウルメは呻くが、回転の勢いは殺さなかった。
まだもう片方の脚が残っている。
今度は爪先を突き込むような蹴りを持ってきた。
これもまた躱しづらい。
回し蹴りの軌道でありながら点の攻撃でもあるからな。
しかも狙いは下腹部だ。
これが上体を狙っていたのであれば、軽く身を反らすだけで易々と躱せただろう。
が、重心に近い位置となると簡単ではない。
何よりも跪座という窮屈な姿勢が歩法を使いづらくさせている。
徹底して低い姿勢からの攻撃を続けるウルメの狙いは明白であった。
まずは反撃に転じたカエデの防御力を下げる。
そして連続攻撃でカエデの体勢を崩させるつもりなのだ。
どんな達人でも不安定な状態で技を十全に使いこなせはしないと確信してのことだろう。
特に投げ技は踏ん張りが利いていないと、まともに投げられないからな。
ただし、何事も例外はある。
そのことにウルメが気付いているかは疑わしい。
カエデが跪座の状態でも投げ技を使っているというのにな。
あるいは、更にバランスを崩せば合気の技も封じることができると考えたのか。
それを信じて攻め続けているのかもしれない。
無駄とは言うまい。
攻撃が届けば、ウルメの思い描く結果に近づけるのだから。
それが最後まで通せれば何かが起きる。
カエデとて完璧な存在ではないのだ。
そう信じるからこそ観客もウルメを応援し続けている。
細かな攻防がどうなっているか把握できている者は極端に少ないと思われるが。
それでもカエデが攻めあぐねているのは分かるはず。
反撃に転じようとしてから何度も回避しているからな。
ここまで至近距離の攻防でカエデが攻めきれなかったのは初めてのことだ。
「「「「「おおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」」」」」
故に会場中の歓声がうねりとなって響き渡っていた。
それはウルメの奮闘ぶりが伝わっている証拠でもある。
とはいえ、簡単に崩れるほどカエデは甘くないがね。
突き込むような蹴りも軽く下がりつつ片膝を当てられ軌道がそらされたし。
それだけで蹴りは届かなくなった。
しかもカエデの体制は少しも崩れていない。
何事もなかったように再び同じ位置へと戻ってくる。
だが、ウルメも負けてはいない。
体操のあん馬で見られるような動きで開脚蹴りを同時に放ってきた。
単発でダメなら上下の同時攻撃という訳か。
これは一種の賭である。
ドワーフの体格では開脚蹴りも上下差は少ない。
それだけ対応しやすくはある訳だ。
結果としてウルメは大きな隙を生み出す選択をしてしまったのだ。
現にカエデは前に出ようとしていた。
ウルメが強引にこの技を持ってきたことで蹴りのスピードが落ちているせいだ。
いくら上下への同時攻撃といっても容易く対処できる。
しかもスピードが落ちるということは威力も落ちる訳で。
前に出て受ければ止められるとカエデは判断したのだろう。
止めてしまえば腕を取って関節技に持ち込むまで。
今度こそ万事休すかというような状況だった。
それに気付いているのはミズホ組だけだ。
「「「「「あーっ……」」」」」
絶体絶命の状況にミズホ組の多くの者たちから諦観のこもった声が漏れた。
だが、俺はそう思うような状態ではないと思っている。
ウルメはどんなに不利な状況でも最後まで戦おうとするだろう。
さすがに関節を極められてまで足掻くとは思えないが。
とはいえ、まだそこに至った訳ではない。
それに蹴りを止められたとしても腕を取られてはいないのだ。
最後まで希望を捨ててはいけないとデラックスな感じの先生が言っていたではないか。
諦めたらそこで試合終了だとも。
ウルメはまだ負けてはいない。
諦めてはいないからな。
あの開脚蹴りも投げ遣りになって放ったものではない。
ウルメの双眸は未だなおギラついている。
捕食者のそれと言って良いだろう。
そんな男が投げ遣りな真似をするはずがない。
ならば答えはひとつ。
あれは餌だ。
罠という名のな。
どれだけ辛抱しただろう。
これが餌だとバレてはすべてが水泡に帰す。
罠とは分からぬようにする必要があった。
手っ取り早くやるには一芝居打つのも手だ。
だが、ウルメはそうはしなかった。
本人がそういうものを好まないというのもあっただろう。
だが、それ以前にボロを出さずに罠まで誘い込めるかという問題がある。
役者でもない素人には無理な相談だ。
ギリギリの緊張感を強いられる場で実行するとなれば尚のこと。
だからウルメは時間を使い体力を注ぎ込んで餌を用意した。
芝居などせずとも罠は用意できるのだ。
手札が少ないなら少ないなりに丁寧に仕込んだ結果と言えよう。
蹴りが止められそうになる直前、ウルメの目に宿る光が鋭さを増した。
この瞬間を待っていたと言わんばかりだ。
グルリと捻りを加え両脚を閉じる。
いや、折り畳んだ。
「「「「「あっ!」」」」」
ミズホ組の面々が驚きの声を上げた。
その手があったのかと。
脚を畳んだ結果、ウルメの蹴りは空振りとなった。
引っ込められてはカエデも止められない。
そしてカエデの正面にウルメの足裏が来た。
蹴り出せば腹部に入って弾き飛ばされることだろう。
細い細い糸をたぐり寄せて掴んだチャンス。
正に起死回生の策だ。
もちろんウルメは躊躇わない。
ここで失敗したらなどと迷いを見せれば、絶好機が逃げていくのは間違いない。
カエデはバランスを崩した訳ではないが自ら踏み込んできた。
先程までよりも間合いが深い。
それだけ回避の難易度が上がるということだ。
「ハアッ!」
気合いとともに全身のバネを使ってウルメが蹴り飛ばしにかかる。
ガッ!
ウルメは確かな手応えを感じた。
今の今まで当たる気のしなかった攻撃が初めて当たったのだ。
だが、次の瞬間には手応えが違和感へと変わっていた。
これは腹部に蹴り込んだ訳ではないと直感する。
蹴りをそらされた訳ではない。
カエデが躱そうとして他の部位に当たったのでもない。
そもそも低い姿勢のままなのだ。
跪座の姿勢こそ崩れてはいるものの頭の高さは同じまま。
左右に動いた訳でもない。
真正面でまともに受けたはずである。
なのに、明らかに感触が違う。
当たったのは腹部であるはずなのに腹とは異なる?
ウルメは混乱しそうな頭を必死になだめにかかった。
完全に動揺してしまってはカエデの掌の上で踊ることになるのが明白だからだ。
掌の上?
そうだ、掌だ。
カエデは咄嗟に手を入れて直撃を回避した。
それだけではない。
カエデが手を入れた流れで蹴りを横に押し流していく。
その動きはウルメの蹴りと相まって体を横向きに変えていった。
これもまた受け流していると言えよう。
「なんて奴だ!」
ランサーが驚愕の表情で叫んでいた。
「あれでは、ほとんどダメージが入っておらんぞ」
タワーも驚きつつ、そんな言葉を漏らす。
「それどころじゃねえっ。
あのままじゃ投げ技につなげられちまうぞ」
逆転に次ぐ逆転。
罠は技で潰されようとしていた。
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