1597 ウルメは諦めない
カエデがとうとう動いた。
ウルメのスピードが反転ダッシュを始めた時から半分ほどに落ちたせいだろう。
横への回避はせずに後方へと下がったのだ。
ウルメとの相対速度は更に下がる。
仕留めにかかろうというのは誰の目にも明らかであった。
「「「「「頑張れーっ、ドワーフ!」」」」」
観客たちが一斉にウルメへと声援を送る。
判官贔屓的な反応だろうか。
確実に仕留めにかかるカエデの姿勢が悪役っぽく見えるからだと思われる。
その割りにカエデを誹謗したりということはない。
悪役っぽく見えるというだけであって、卑怯な手は使っていないもんな。
そういう部分はちゃんと見ているって訳だ。
そのことに感心している間も試合は動いている。
相対速度が落ちてもウルメは離脱せずに追いすがっていた。
観客の応援に後押しされたか意地になったか。
いずれにせよ……
「下策よな」
そう呟いたのはツバキであった。
距離を取って仕切り直すのが無難だと言いたいのだろう。
まあ、ここでの呟きがウルメに届く訳ではない。
それに届いたとしても手遅れだ。
もはやカエデに肉薄しようかという距離に詰めていたからな。
今から離脱しようとすれば大きな隙を見せることになる。
それこそカエデの合気技の餌食であろう。
カエデが膝を落としながら脇へと避ける。
このままウルメが勢いのまま脇を抜けようとすれば投げられてしまうのは明白。
かといって止まることもままならぬ状態である。
万事休す。
誰もがそう思っただろう。
だが、俺が【天眼・遠見】スキルで見たウルメの表情はギラついていた。
その目は獲物を狩ろうとする野生がほとばしっているかのようだ。
どう見ても、しくじったとは思っていまい。
むしろ、この時を待っていたと言わんばかりである。
消耗しながらも集中力は切らさなかったか。
ならば執念の一撃が来るはずだ。
どう攻める?
俺が心の中で問うた瞬間──
ゴッ!
固いものを叩く音がした。
歓声にかき消されたので観客たちには届かなかったとは思うが間違いない。
【遠聴】スキルで聞いていたからな。
【天眼・遠見】スキルでウルメの正面から見ていたお陰で音の正体はすぐに判明した。
カエデが避けたのとは反対側の拳でウルメが舞台の床面を殴りつけたのだ。
その反動を利用して体をグルリと捻り込む。
更に体を捻り込んでなおも捻りを加えた。
「回転で合気技を封じに来たかっ!」
ツバキが叫ぶが、そうではない。
確かに勢いをつけた捻り込みは結果的にそういう効果も生み出してはいた。
易々と腕を取られることはないからな。
が、それだけでは意味がないのだ。
今回は封じられたとしても同じ手がカエデに通じるはずもないだろう。
それに消耗しきったウルメには次の機会など巡ってくる訳もなかった。
カエデはここをしのげば良いだけ。
ウルメはここで勝負するしかない。
合気技を封じるだけでは足りないのだ。
「おおぉぉぉあああぁぁぁぁぁっ!」
裂帛の気合いがウルメの喉を通してほとばしった。
ゴォッ!
空気を切り裂く音か。
風を巻く音か。
ウルメの捻りから生み出された影があった。
それはカエデの頭上目掛けて振り下ろされる。
跪座の状態となったカエデには躱しづらい一撃だ。
変形の回し蹴りである。
ドリルっぽい動きから繰り出されたそれはハンマーを振り下ろすに等しい威力があった。
まともに当たれば反則負けは確実。
それどころか当たり所によっては殺してしまいかねない。
これくらいの攻撃でなければカエデには易々と回避されてしまうと踏んでのことだろう。
対戦相手であるカエデを信じ切っていなければできない芸当である。
絶対に対処するはずという確信がなければならないからな。
並みの相手であれば反応することもままならぬまま蹴りを食らってしまうはずだし。
ウルメの性格からすれば、その結果を想像していないとも思えない。
無茶をするものだ。
「「「「「おおっ!」」」」」
その攻撃に反応できた一部の観客たちが驚きの声を上げた。
まさか、そんな隠し球があるとは思ってもみなかったって訳だ。
確かに低い姿勢に目を慣れさせておいて上から攻撃するというのは悪くない。
しかもカエデを躱しづらい姿勢にさせてもいる。
手札がないなりに工夫したものだ。
果たして、カエデは如何にするか。
頭上から迫る蹴りは見ていない。
が、片手で胸元から円を描くような所作をした。
それだけでウルメ渾身の蹴りが払われてしまう。
ウルメの攻撃に気付いた観客たちも、この受け流しには気付けなかったようだ。
それほどのスピードバトルに息をのむばかりである。
この瞬間をスロー再生させることができれば、観客たちは沸きに沸くだろう。
技術的には優劣つけがたい評価がされるのではないかと思われる。
が、これは勝敗を決める勝負の流れの中にある攻防だ。
その結果により以後の展開の優劣が決まってしまう。
刹那の攻防はカエデに軍配が上がったと言える状況だ。
ウルメが不利になったと言わざるを得ない。
「まだだっ!」
ウルメが吠えた。
無茶な攻撃の反動で大きく体勢を崩したというのにウルメは諦めていなかった。
払い除けられた脚が床面につく前に反応している。
躱されて当然と考えていたようだ。
これくらいでなければカエデは崩せない。
いや、ここまでしても崩せないかもしれないという思いがあったのかもしれない。
だからこそ次を用意していたと見るべきか。
どうやらウルメを甘く見ていたようだ。
申し訳ないという気持ちが湧いてきた。
罪悪感も感じてしまう。
俺はウルメが最初から負けることを前提に戦っていると思い込んでいたのだ。
そんな訳があるものか。
戦いの場に勝てるはずがないと思って立つ者がいないとは言わない。
だが、ウルメは違う。
出るからには勝つという強い意志を持っていた。
何がなんでもとまでは言わないが。
そこまで考えているなら、ルールを逆手に取った戦法を用いたりもしただろう。
ウルメの性格上それはないとは思うけどね。
生き死にがかかった果たし合いならいざ知らず、ルールのある試合だからな。
己の力を出し切って勝利を目指そうとする。
それがウルメの方針のはずだ。
少なくとも負けを念頭には置いていない。
ウルメの戦う姿勢を見せつけられて、そのことを思い出した。
そう、思い出したのだ。
特訓で歯を食いしばって頑張っていた姿を。
真摯に強くなろうとする姿勢に武術家の誇りを見たのではなかったか。
俺は自分が恥ずかしくなった。
祭りの雰囲気に踊らされていたようだ。
いや、俺自身が勝手に踊っていただけだな。
祭りのせいにしてはいけない。
俺は心の中でウルメに詫びた。
本人に謝るのも変だと思ったからだ。
決勝戦が終わった後で事情を話して詫びても迷惑するだけだろうしな。
精一杯、戦ったウルメに心理的な負担をかけるだけである。
そもそも俺の心の弱さが招いた己の問題だ。
自分の中だけで解決すべきだと考える。
とにかく、ウルメは己が誇りにかけて決着がつくまで諦めはしないだろう。
ならば指導した身として最後まで真剣に見届けねばなるまい。
ウルメの次の一手は蹴り下ろしとは逆側の脚による蹴りであった。
体の捻り込みを利用して床面に接地して横への回転運動へと切り替えたのだ。
流れるような動きはブレイクダンスを見ているかのようだった。
そこから床面スレスレの払い込む蹴りがカエデに襲いかかる。
これもまた跪座の状態では躱しづらい。
しかも今度は受け流すことも難しい状況だ。
この姿勢で側面から入る攻撃だからな。
それでもウルメは手加減など微塵も感じられない鋭い蹴りを放った。
生半可な攻撃ではカエデに対応されてしまうと信じるが故に。
それに側面からの脚部を狙った攻撃ならば急所は外れているからな。
まともに入っても出血することはない。
それでいて動きに支障を来すようなダメージを与えられる可能性があった。
当たれば起死回生の一撃となるはずだ。
読んでくれてありがとう。