1581 勝機は危機の中にこそあり?
アニスは表情を渋くさせていた。
注意深く見ていれば気付いたはずだという思いがあるのだろう。
「アカンなぁ……
まだまだ見極めが甘いわ」
「しょうがないんじゃない」
レイナは何とも感じていないようである。
「試合観戦なんて自分が戦うノリで見るもんじゃないでしょ」
アニスがギロリと睨む。
が、すぐに溜め息をついた。
「そこは人それぞれやろ。
状況によっても変わるしな」
「堅っ苦しいわねえ」
呆れたような目を向けるレイナ。
「しゃーないやろ。
これは、うちの性分や」
開き直るアニスである。
まあ、性格がまるで違うからな。
理屈で考えてからの言動が多いアニス。
対してレイナは感覚的だ。
どちらが良いも悪いもない。
それぞれの個性なんだし。
「それはそれとして試合を見た方がいいぞ」
リーシャが促す。
「「ん?」」
2人が舞台の方へ視線を戻すと……
いつの間にか、ウルメはかなり追い込まれていた。
というより覆面男が追い込みに拍車をかけただけである。
本人にバレているなら遠慮はいらないってことか。
ここぞとばかりに踏み込みを深くしていた訳だ。
「「「「「うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」」」」」
観客たちが盛り上がる。
さすがにウルメが追い詰められれば一般人だって気付くよな。
「いつの間にっ!?」
「手を出さずに追い込んだぞ」
「スゲー」
「さすが覆面師匠だぜ」
「なんで師匠なんだよっ」
「何でもできるからに決まってるだろ」
覆面男がここに来て再び称賛されている。
妙な会話も混じってはいたが。
とにかくウルメは舞台の端まで追い詰められたのだ。
絶体絶命である。
が、覆面男のスライド移動も観客たちの歓声が終わるのとほぼ同時に止まった。
「そのまま押し切らないのか?」
観客の1人が疑問を口にした。
「スタミナ切れとかじゃねえの?」
「そんな訳あるかよ」
「だよなー。
この程度で奴が息切れするとは思えねえ」
「けど、覆面してるってことを忘れてないか?」
「どういうことだよ?」
「あれって呼吸しづらいと思うんだが」
その意見に話に参加していた観客たちは黙り込んでしまう。
「こういう時は覆面だと分かりづれえよな」
表情から察することが出来ると言いたいのかもしれない。
が、彼らの位置からだと呼吸を荒くした苦しい表情が読み取れるかは微妙なところだ。
「だとしても、この短時間で疲れ切るほど消耗するか?」
「それは言えてるな」
「だったら、どうして押し切らない?
どう見たって勝利は目前じゃないか」
「知らねえよ」
「さすがにドワーフも逆襲してくるだろうから慎重にやろうってんだろ」
「油断しねえな、覆面師匠」
「容赦ねえよな、覆面師匠」
「完璧主義だな、覆面師匠」
なんだか観客たちは面白がっている。
もう決着はついたと思い込んでいるようだな。
そこは覆面男の意思しだいだと思うのだが。
それにウルメは諦めていない。
歯を食いしばって追い詰められた状況に抗おうとしている。
痛みを感じたり体力を消耗している訳ではない。
絶体絶命とも言うべき状況を覆すべく踏ん張っているのだ。
頭の中はフル回転状態だろう。
それとも真っ白に近いか。
いずれであるのかは不明だ。
表情から読み取れるものでもないからな。
だが、覆面男から視線はそらしていない。
その一挙手一投足を見逃すまいと集中しているのだけは分かる。
「来た!」
思わず叫ぶように言ったのはレオーネであった。
ちょっと意外だ。
もっと落ち着いて見ていると思っていたのだが。
まあ、覆面男の攻撃パターンが意外性のあるものだったが故なのかもしれない。
今まで一度も使わなかった回し蹴りを放ってきたのだ。
上段蹴りで側頭部を狙うと見せかけて途中で下段へと変化する。
「シッ!」
鋭い掛け声と共にウルメが反応した。
真横に張り手を打ち込んだのだ。
まるでボクシングのフックのような張り手であった。
バシッ!
派手な音がして蹴りが止められる。
「「「「「うおおおぉぉぉぉぉっ!」」」」」
歓声が上がった。
攻防としては複雑なものではなかったのだが。
だからこそ分かりやすかったとも言えるだろう。
上段から下段へ切り替えた回し蹴りをどれだけの観客が見切れたかは知らないが。
なんにせよウルメが防ぎきったのは事実である。
終わると思い込んでいた観客には受けが良かったようだ。
試合が白熱する訳だからな。
だが、ウルメはそれだけでは終わらない。
覆面男の蹴り足を張り手で弾いたのだ。
斜め上からの振り下ろしを下から。
はたき落とさなかったのには理由があった。
覆面男が片脚の状態になるからだ。
それだけで充分と言えた。
これ以上の好機はない。
もちろん、覆面男もすぐに足をつこうとするだろう。
それはわずかな時間だ。
他の者ならウルメの張り手でバランスを大きく崩すこともあり得たかもしれない。
が、相手は格上の覆面男である。
すぐに体勢を整えてしまうだろう。
それまでの間にウルメが自分のペースに持ち込めれば、あるいは。
そういう思いを当人が抱いているかは不明だ。
が、瞳をギラつかせて踏み込んでいた。
この好機を逃す訳にはいかぬとばかりに。
それは爆発的な加速であった。
並みの相手であれば組み付いた瞬間にあばら骨が持って行かれたことだろう。
それほどの勢いで突進したにもかかわらず……
「なっ!?」
ウルメは再び驚愕することとなった。
またしても眼前から覆面男の姿が掻き消えたのだ。
慌てて左右を見渡すウルメ。
先程と違って場外を背負っていなかった以上、退避の選択肢は左右にもある。
むしろ舞台の端となる背後は考えづらい。
わざわざ自分から場外へ向かうようなものだ。
いや、場外へ落ちると言った方が良いのかもしれない。
先程の跳躍を見る限りは。
あれだけの距離を飛んでしまうと、どうしてもそう考えてしまう。
だが、ウルメは気付いていなかった。
先程は動揺していたからこそ意図せずあの距離を跳んでしまったのだ。
今の覆面男は動揺などしていない。
それどころか攻撃を防がれ懐に飛び込んで来るであろうことも織り込み済みだった。
「それはアカンて」
言いながら顔をしかめるアニス。
「致命的よねー」
絶望的だと言わんばかりに額に手を当てているレイナ。
他の面々も似たようなものだった。
彼女らの声が聞こえた訳ではないだろうが、ウルメがハッと表情を変える。
微かな音を聞きつけたのだろう。
それは覆面男の靴音であり着地音でもあった。
慌てて後ろを振り返ろうとするウルメ。
「遅いわね」
レオーネが小さく頭を振った。
ウルメが振り返るよりも先に着地した覆面男が手を伸ばしていたのだ。
「せめて飛び退いていればな」
ルーリアが残念そうに眉根を寄せながら言った。
覆面男の次の一手がウルメの背中に触れようとしているだけだったからな。
あるいは逃れられたのかもしれない。
だが、足を止めた状態で振り返ろうとするだけでは回避さえままならない。
ペタリと吸い付くように覆面男の掌がウルメの背中に当てられた。
ウルメがハッと表情を変えるが時すでに遅し。
ようやく致命的なミスをしたことに気付いたようだ。
こうなっては万事休す。
どんなにウルメが逃げようとしても覆面男は逃すまい。
技の発動を邪魔するべくフェイントをかけようとしても無駄だ。
押し当てた掌からわずかな筋肉の動きを読み取れるからな。
ウルメの行動は確実に先読みされてしまうだろう。
抗おうとするすべての動きに対応されるのは目に見えている。
「「「「「ダメだぁーっ」」」」」
ミズホ組がそろって天を仰いだ。
次の瞬間、ウルメが崩れ落ち膝をついた。
おそらく正面からあの技を使おうとすればウルメも対応しただろう。
それこそ張り手で弾き飛ばすこともできたかもしれない。
が、背中を向けてああも無防備ではどうにもならなかった。
チェックメイトである。
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