1553 ウルメVS蹴り男
試合開始の合図とともに蹴り男がウルメの間合いに踏み込んだ。
「うおらぁっ!」
側頭部を狙った回し蹴りが放たれる。
「おやおや、凄い蹴りだねえ」
オペラグラスで観戦していたサリーが楽しげに言った。
「いきなり大技から入るかよ」
ランサーは呆れ気味に溜め息をついている。
蹴り男が自身の防御を無視した特攻をしているように見えたのだろう。
その点については正しいとも言えるし、そうでないとも言える。
確かに隙だらけだが攻撃は最大の防御とも言うしな。
並みの相手なら一撃で脳震盪を起こして終わっていただろう。
「いや、あれはあれで正解だろう」
淡々とした口調でそう言ったのはタワーであった。
「何でだよ?」
不機嫌そうにランサーが問う。
「少しでも隙を見せれば一撃で試合を終わらせると威嚇しているようなものだからな」
「それって反則負けを覚悟しているってことですか?」
スタンが困惑の表情を浮かべながら聞いている。
「おそらく奴にそういうつもりはないぞ。
運が悪ければ反則負けもあり得る程度には考えているかもしれんがな」
「運が悪ければって……
どう考えたって当たれば大怪我間違いなしの攻撃でしたよ」
ウルメは半歩下がって綺麗に躱していたがね。
そして躱した後は元の立ち位置に戻っていた。
あの躱しようでは見る者によって印象は変わるだろう。
何が起きたのか分からない者。
多くの観客がこれに該当するはずだ。
蹴り男が放った回し蹴りはそれだけ速かったからな。
単に脚を振り回すのではなくコンパクトにしなる鞭のような蹴りであった。
空振った後は深追いせずに飛び退っている。
素人では見切るのも難しい。
おそらく間合いに踏み込んですぐに離脱したと思い込んでいるのではないだろうか。
運良く蹴りが繰り出されるのを見られた者もわざと外したと考えそうだ。
ウルメの回避がそれだけギリギリであったからな。
距離もタイミングも常人の理解の範疇を超えている。
なんにせよ、ただの空振りと思われることは、ほぼないはずだ。
仮にも本戦で勝ち上がっている訳だからな。
そこを考慮できない観客は少なくとも音声結界の周囲には見受けられない。
内側の面子については気にするまでもないだろう。
目が肥えているからな。
そういう心配は端っからしていない。
いや、約1名だけ微妙なラインか。
言うまでもなくスタンのことだ。
蹴り男の最初の攻撃を見極めきれていなかったからな。
この調子だとウルメの回避もギリギリで余裕がなかったと思い込んでいるかもしれない。
「反則に該当するような怪我をするかは当たり所によるな」
「え?」
スタンは意味が分からないと言いたげに首を傾げた。
「狙っていたのはこめかみの後ろの方だ」
「はあ……」
困惑した様子でタワーの説明を聞いている。
「インパクトの瞬間に止めれば血を流したりすることは無さそうだぞ」
「どうしてそんなことが言えるんです?」
「奴の靴を見ろ」
「靴、ですか?」
訳が分からない様子で戸惑いながらもタワーの指示通りに凝視する。
蹴り男のフットワークは軽い。
素人だとタワーの指示を実行するのは困難だろう。
が、スタンはすぐに顔を上げた。
些か驚いているように見える。
蹴り男の靴の状態に気付いたようだ。
「何です、あれ?」
間違いなさそうだ。
スタンも動体視力は悪くないんだよな。
そこから先の見極めが弱いってだけだ。
「甲の部分が変に盛り上がっているように見えるんですが」
「防具だろう」
「あんな瘤のように盛り上がったものがですか?」
「おそらく訓練用の防具だろう」
「訓練用ですか?」
怪訝な表情で問い返すスタン。
そんなものが試合で何の役に立つのかと思っているのかもしれない。
「怪我をしないさせないために綿でも詰め込んでいるはずだ」
「あっ」
さすがにスタンも理解できたらしい。
己の考えの浅さに気付いたということでもある。
赤面するのを隠しきれないでいた。
「武王大祭でなら問題がない訳ですね」
確認するようにスタンが喋る。
指摘されるまで気付いていなかったことが恥ずかしかったのだろう。
照れ隠しのために少しばかり饒舌になっているようだ。
「そういうことだ」
タワーは気にした風もなく淡々と応じていたが。
スタンの見極めの甘さを経験の少なさから来るものだと理解しているからか。
親子ほどとは言わないまでも、一回りほどの年齢差はある訳だし。
もっとも西方では干支という概念はないので一回りと言っても通じないだろう。
「おい、そろそろ試合が動きそうだぞ」
タワーとスタンの話が一区切りついたところでランサーが声を掛けてきた。
フットワークで翻弄するように右に左にと動いていた蹴り男がリズムを変えたのだ。
時計回りにウルメの周囲を回り始める。
単調にならぬよう緩急をつけながらではあるが。
それと徐々に距離を詰めている。
それまでは一気に踏み込んだり飛び退いたりといった感じだったのだが。
「そのようだな」
タワーも話を切り上げてオペラグラスを覗き込む。
スタンも慌てて試合観戦に戻った。
「ハルト殿はこの変化をどう見ますか?」
それまで黙って試合を見ていたツバイクが聞いてきた。
「別にどうとも思わんが?」
「そうなんですか?」
意外なことを聞いたとばかりに驚きの声を上げるツバイク。
「あえて言うなら蹴り男のシナリオ通りなんだろうよ」
「シナリオ、ですか?」
「最初の一撃自体が外連味タップリだっただろう」
「確かにこれ見よがしではありましたね」
そう言ってからツバイクは顎に手を当てて考えを巡らせ始めた。
じきに結論は出たようだが。
「なるほど、あれは布石ですか」
「おそらくはな」
「では、その次の大袈裟なフェイント混じりのステップワークは揺さぶりですかね」
「布石だけじゃ不充分だと判断したんだろう」
ウルメはまるで動揺していなかったからな。
「プレッシャーをかけて強打に意識を向けさせたい、と?」
「あからさますぎる気もするが、そうだと思うぞ」
「それでリズムを変えてきたということは充分と判断したということでしょうか?」
「どうだろうな。
手応えのなさに焦って勝負を急いでいるだけかもよ」
「あー、ありそうですよね」
うんうんと頷くツバイク。
「となると、間合いに踏み込んだ瞬間が見所になりそうですね」
「焦っていればな」
逆に蹴り男が冷静に状況を見極めようとしているなら様子見くらいはするだろう。
フェイントにもなりそうだし。
それが有効かどうかは別問題ではあるが。
そして蹴り男が何度目かにウルメの斜め前へ来たところで己の射程に踏み込んだ。
「思った以上に焦っていたな」
もう1周くらいは回るかと思ったのだが。
「またあの蹴りですねっ」
ツバイクが驚きを隠せない興奮した面持ちで言った。
蹴り男の構えを見て一撃目と同じ蹴りだと判断したようだ。
軸足でガッシリと踏みしめ回し蹴りのモーションに入っている。
パッと見は記憶に残る蹴りと同じに見えたとしても不思議ではない。
『いや、どうかな』
俺はその言葉を内心だけに留めた。
あえて声に出さなかったのはツバイクが驚いて反応しかねなかったからだ。
そんなことで俺の方へ振り向いたりすれば、決定的瞬間を見逃してしまいかねない。
読み通りなら蹴り男の攻撃は一撃目と同じではないはずだ。
それも途中までは同じに見せかけるものと考えられる。
見逃してしまっては実に勿体ない。
そして蹴り男の鋭い回し蹴りが放たれた。
モーションの段階で溜めていたからワンテンポ遅れている。
力を込めていたのは明白だ。
威力が上がったことにウルメが畏縮すれば回避がままならなくなってもおかしくはない。
逆に何とも思わなければ余裕で回避できるだろう。
たとえ蹴りのスピードが一撃目より数段上のスピードに上がっていたとしてもな。
ウルメはスッと軸足を残したまま引き下がった。
蹴り男の一撃目と同じ動きだ。
違うとすればそのスピードくらいか。
相手に合わせてギアを上げている。
それを見ても蹴り男は慌てはしなかった。
むしろ、絶好機であると言わんばかりに瞳をギラつかせる。
追い詰めた獲物にとどめの一撃を加えようとしている獣であるかのように。
読んでくれてありがとう。




