1533 カエデ、黙考す
俺があれこれ考えている間にカエデは困惑に拍車をかけていた。
宿屋の亭主の交渉は上手くいかないままだ。
まだ終わった訳ではないが、このままでは望み薄であろう。
その上、宿泊客らしき連中が話しに割って入ってきた。
奴らの手先かと警戒したが、そういう気配が感じられない。
それで油断するほど子供ではないつもりだが妙な連中だ。
隙だらけのように見えてそうでない。
男も女も全員がだ。
それでいて武人のようには見えず。
冒険者のようなギラギラした雰囲気もない。
口調などからすると商人とも思えないし。
あえて言うなら旅行者か。
余所の国の貴族といった風には見えない。
あまりにも砕けた言動で俗っぽいからな。
それに従者らしき者はいたが、少なすぎる。
とはいえ油断はできない。
指示を与えられた後の彼女は自分でも動きを見極められなかった。
いや、そんな生易しいものではない。
気が付けば消えていたというのが正しい認識だ。
間違いなく自分より強者である。
まだまだ修行が足りぬと痛感させられた。
いずれにせよ武王大祭に出場していないのは幸いだ。
こちらも出たくて出ている訳ではないが。
勝たねばならぬ理由ができてしまった故に逃げられぬだけのこと。
彼女と対戦しなくて済むのは不幸中の幸いと言える。
神に感謝しなければなるまい。
確か、カーラと呼ばれていた。
違う出会いであったなら手合わせを申し込んでいたことだろう。
勝てるとは思っていない。
シーン流のすべてを出し尽くしても届かぬと直感したが故に。
だが、構わない。
勝ち負けなど二の次だ。
教えを乞うと言った方が正しいのかもしれない。
それを願ったところで「はい、そうですか」とはなるまいが。
向こうには向こうの技がある。
それをつまびらかにするなど考えられないことだ。
自分とてシーン流の技を明かせと言われれば拒否する。
弟子になるなら話も変わってくるかもしれないけれど。
だが、それもあり得ない話である。
最後のシーン流を受け継ぐ者として他流派の門を潜ることは許されない。
それ以前に向こうが受け入れるとも思えないが。
おそらく、いや間違いなく何かの武術を修めた者として自分は見られているはずだ。
そういう手合いをおいそれと弟子として受け入れるなど考えられない。
たとえ天と地が引っ繰り返っても、それだけはないだろう。
故に手合わせだ。
互いにそのすべてを見せることは絶対にない。
たとえそうであっても得るものは少なくないはずだ。
自分に足りないものばかりを見せつけられる結果になるかもしれないが。
構わない。
何が足りぬか分かれば修行にも更に身が入るというもの。
とはいえ、これとて叶わぬ願いだろう。
相手は得体の知れぬ集団だ。
高度に訓練された猫まで飼い慣らしているしな。
よもや猫にまで後れを取るとは思わなかった。
勝負した訳ではないが、動きを見切れなかった時点で敗北しているも同然。
すなわち、あの小さきものは魔物をも超えている訳だ。
それを従える銀髪の男。
よくよく見ても底がないように感じられてならない。
話しぶりからはとても強者のようには見えないのだが。
カーラなる者も小さきものも当たり前のように従っている。
後者のことを考えれば身分で従わせているのではないはずだ。
立っている姿勢も一般人のそれと変わらず武芸を嗜んでいるようには見えないのに。
それでいて弱いようには思えない。
隙だらけのように見えていながら手を出しあぐねる何かを感じる。
訳が分からない。
仲間と思われる相手との会話も冗談を言い合っているようだったし。
この状況でふざけられるとは、ある意味で大物と言えるだろう。
世間知らずの坊ちゃんとしか思えないが。
しかしながら、この宿の主人は妙に恐れている。
奴らの圧力を受けているのは会話からうかがい知れた。
銀髪たちとは無関係であろうことも。
それでいて銀髪たちがVIPであるかのように接している。
謎すぎる相手だ。
正体が分からぬ以上は連中との繋がりが皆無と考えるべきではあるまい。
仮に無くても迂闊に信用する訳にはいかん。
新たな敵になることも考えられるのだから。
あの連中ほど酷い手合いも、そうそういないとは思うが。
人のものを盗んでおいて返してほしくば武王大祭に出ろと宣うような輩だ。
優勝しなければ返さぬとは盗人猛々しいにも程があるだろう。
おまけに子供じみた嫌がらせを次々にしてくる。
今日の試合後は特に酷かった。
逗留している宿屋に帰ってきたら有無を言わさず放り出されたからな。
他の宿でも門前払い。
ここもそれに近い扱いだったがマシな方だ。
これは間違いなく奴の指示によるものだろう。
泥棒なのに権力者だから質が悪い。
何を言ってもまかり通ってしまう。
子供のワガママのような無理難題も強引に押し通してしまうからだ。
反発すれば罪を着せて投獄するつもりだろう。
そうなってしまっては盗まれたものも取り返せない。
向こうの言いなりになって武王大祭に出場し続けたとしても戻ってくるとは思えないが。
それでも諦めなければ何かしらチャンスはあるはずだ。
傲慢な態度を取る者は必ず油断する。
里を出て旅を続け色々な人間を見てきたが、悪党ほどその傾向が強いように思う。
今回もきっとそうだ。
なかなかチャンスは訪れないが。
ただ、その瞬間が来れば絶対に逃さない。
そして取り戻したのなら悪党には報いを受けさせる。
相手が権力者である以上、衛兵に訴え出るのでは無意味だ。
故に私刑ということになるだろう。
場合によっては自分が捕まりかねないのは承知の上である。
厚顔無恥な輩をこのままのさばらせておく訳にはいかない。
今まで逆襲されなかったからといって次もそうとは限らないことを思い知らせるのだ。
諺にも[狩人は爪牙にかかる覚悟を持て]とあるしな。
どう見ても奴らに覚悟はない。
故にその言葉を身を以て知ることになるだろう。
その時には後悔しかできないと思うが知ったことではない。
問題はそれを実行した後は銀髪たちと二度とは会えないだろうということだ。
自分は追われる身となるだろう。
相手は地位ある者だ。
当人が消えても周囲が穴埋めをするはず。
そして追及が始まるはずだ。
目撃されなかったとしても真っ先に自分が疑われることになるのは明白である。
捕まれば碌なことにならないだろう。
となれば、国外逃亡以外に道はない。
それ自体はこの国の生まれではないので気にはならないのだが。
仮に里がこの国であったとしても戻る気つもりなどない。
問題となるのは、目の前にいる面々とも会えなくなるであろうということ。
何処から来たのかも知らない相手に会う機会など二度とあるまい。
旅を続けてきて偶然にも再会した相手など行商人とその護衛くらいのものだ。
目の前にいる銀髪の男はその手の職業とは縁遠い気がする。
何者かは不明なままではあるが。
とにかく得体が知れない相手であるということだけは確かだ。
話し掛けてきたかと思ったら身内だけで相談を始めるし。
それさえも真剣味にかける内容だった。
真面目に話をする気があるのかと内心で憤慨していたのだが。
よくよく思い返してみると、銀髪の男は客人だと言った。
見ず知らずの自分を躊躇いもなく。
自分の名前を知っていたが、これはそう不思議なことでもない。
この時期にこの国の王都に訪れるのであれば目的は武王大祭だろう。
選手紹介の時か今日の試合を見ていれば名前を知られているのは当然というもの。
さすがにそれ以上の情報はないはずだ。
知っているなら、むしろ連中の仲間である恐れがある。
だが、宿屋の主人はそういうような応対をしていない。
そもそも奴らの仲間であるなら連中の所に泊まるのではないか。
宿に泊まるのだとしても、もっと高級な宿を選ぶはず。
やはり連中の仲間ではないということか。
掴み所がなさ過ぎて訳が分からなくなってきた。
どうやら敵ではなさそうだ。
しかしながら自分が客と呼ばれる覚えはない。
向こうの名前も、この場から去ったカーラという女性だけしか分からない。
考えてみれば名乗りもしていなかった。
失礼な話であるとは思ったが、それはお互い様だ。
自分も名乗った訳ではないのだし。
ならば話を聞くだけでもしてみる価値はあるかもしれない。
客というのが何を意味するのか知ってから態度を決めてもいい。
今の自分にできることは限られているのだし。
あるいは今が自分の待ち望んでいたチャンスかもしれない。
そう考えたが故か、賭に出てもいいような気がした。
読んでくれてありがとう。




