1530 夕刻の訪問者
ソフト麺の試食は好評であった。
あまりに評判が良くて、おかわりの要求を抑え込むのに苦労したさ。
晩御飯があるって分かっているのにな。
我慢するように言い聞かせなきゃならないって子供かと思ったけどね。
どうにかバリエーションふたつの試食で我慢してもらったが。
ちなみにナポリタンとカレー味だ。
スパゲティ風にしたの時の人気の味付けでもある。
いや、カルボナーラとか他にも色々あるけどさ。
ペペロンチーノとかボンゴレとかシーフードとか。
シーフードにするならスープパスタも悪くない。
和風にすれば、キノコとか茄子を具材に使ったものなんかも旨いよな。
好みの分かれるところだけど納豆とかもある。
忘れちゃいけないのは、たらことか明太子か。
とまあ、こんな具合に選択の余地は色々とあった訳だ。
このふたつを選んだ理由は単なる思いつきである。
俺が食べたいものを選択しただけで深い意味はない。
幸いにして皆の受けも良かったようだ。
それ故か、葛藤している面子が多かったけどな。
一口で終わりそうな量だったからね。
どうにか長く味わえるようにと奮闘していた。
とにかく咀嚼回数を増やしたり。
チビチビ1本ずつ味わったり。
先に匂いで納得のいくまで堪能したり。
あるいは感想を述べ合ったりして時間を稼いだり。
そんな最中のことであった。
「ん?」
宿屋の空気が少し変わった気がした。
表通りに近い方が些か慌ただしいようだ。
「はて、何事かな」
思わず声に出してしまっていた。
そのせいでトモさんの興味を引いてしまったようだ。
「どうしたんだい?」
クルリと振り返って聞いてきた。
「っ!」
思わず吹きそうになった。
トモさんが口の周りを子供のようにベッタリ汚していたのだ。
振り向きざまだと、いきなりでインパクトがある。
それはないだろうとツッコミを入れたくなった。
幼児じゃないんだから。
まあ、幼児は左半分を赤く右半分を黄土色に汚したりはしないけどな。
そこまで綺麗に色分けするってことは最初からそれを狙っていたということだ。
「んんっ?」
訳が分からないという顔で首を傾げるトモさん。
『わざとだろうに……』
「どうすれば、あの量で口の周りをベタベタにできるんだ」
手鏡を眼前に突き付けながらツッコミを入れた。
「おおっ、なんとぉ」
仰け反って驚くトモさん。
もちろん芝居っ気はこれでもかと言うほどタップリだ。
「バカなことしてないで綺麗にしてください」
俺たちの安っぽい漫才じみたやり取りに気付いたフェルトが横入りしてきた。
「はい、すんません」
素直に謝ったトモさんは生活魔法のドライ洗浄で濡らさずに汚れを洗い落としていた。
「で、何事ってどういうことかな?」
サクッと切り替えてくるトモさん。
「……まだ、確認してないよ」
トモさんの体を張ったお笑い攻撃に気を取られてしまったのでね。
まあ、人のせいにするのは良くないか。
自分の修行不足だ。
修行のしようがないので、次の攻撃時も耐えられないとは思うけど。
「何かあったのですか?」
今度はカーラが聞いてきた。
「玄関の方の空気が変わった気がしただけだ」
「お客さんでしょうか」
小首を傾げながら想像したことを口にするカーラ。
「うーん、何とも言えないなぁ」
宿屋の営業状態がどういうものか知らないのでね。
「それにしてはバタバタしている気もするけど」
「まさかっ、押し込み強盗かいっ!?」
トモさんが全身で愕然を表現しながら、そんなアホなことを言ってきた。
すかさずフェルトが頭にチョップをお見舞いする。
「バカなこと言わない」
「はい」
注意されたトモさんは反省してます状態にはなったけど……
まだまだ何かやらかしそうな空気を纏っている。
それだけ退屈しているということだ。
試合観戦で盛り上がったテンションが屋台巡りで不完全燃焼になったせいかもね。
『まったく……』
「暇だし、見に行ってみるか」
「「えっ!?」」
カーラとフェルトが意外だと言わんばかりの目でこちらを見てきた。
「従業員の邪魔をすることになりませんか?」
それはマズいのではと言いたげな顔でカーラが聞いてくる。
「そうですね」
フェルトも良くないですよと目で語っていた。
「様子を見に行くだけだよ。
それに、トモさんの退屈モードを解除する必要もある」
そちらを見ながら言うと、テヘペロで返された。
「─────っ」
少しだけ苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたフェルトだったが……
「仕方ありませんね」
渋々ながら了承してくれた。
カーラは「大丈夫かなぁ」と不安げな面持ちでいるが、強く反対することはないようだ。
「そんな訳でレッツ出発っ」
トモさんが満面の笑みで告げた。
見ているだけで元気いっぱいになれそうな感じだ。
声の大きさは試食会中の皆の邪魔にならないように絞っていたけどね。
それでも気付く者はいる訳で……
『くーっ!』
おーっ! と拳を突き上げてローズが霊体モードで参戦してきた。
ちゃっかりしてますよ。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □
宿の玄関ホールに来た。
真っ先に視界へと入ってきたのは宿屋の主人が頭を下げているところだった。
「誠に申し訳ございません」
「そこを何とか頼む」
頭を下げる黒髪の女。
「そう仰いましても……」
「ここならば部屋は空いてるかもしれないと聞いてきたのだ」
「いえ、満室です」
硬い表情で返事をするオッサン。
『くーくっ!』
異議あり! と念話で叫びつつビシッとオッサンを指差すローズ。
『くぅくっくくーくぅくぅくー!』
その証言には矛盾があります! とか言われてもなぁ。
そのネタ、何処で仕入れてきたんだよ。
俺は詳しくないんだけど?
そもそもネタを別にしても霊体モードだからミズホ組にしか話ができないだろうに。
だからといって西方人に正体を明かす訳にもいかないし。
『要するに俺が動けってことでしょ』
『くくっくう!』
その通りっ! とドヤ顔で力説してくる。
面倒事に首を突っ込むのは勘弁してほしいのだが。
とはいえローズが力説しているのだから意味があるはずだ。
そう信じて俺は2人に近づいていった。
「っ!」
それに気付いた従業員が割り込もうとしてくる。
それだけでヤバめの訳ありだと確信できた。
割り込みについては殺気は放たず睨みつけて黙らせる。
本腰を入れて妨害してくるかと思ったが、そこまでの根性はなかったようだ。
早朝の一件があるしな。
それを考えると可哀相なことをしてしまったのかもしれない。
なんにせよ、2人の近くまで来た。
オッサンは無視して黒髪の女に話し掛ける。
「カエデ・シーンだな」
そう、黒髪の女は今日の武王大祭でチョビ髭に完封勝ちしたカエデ・シーンだったのだ。
「お客様、困りますっ」
オッサンは俺がカエデと話をしようとするのをどうにか止めようとしてきた。
割と必死である。
妨害し損ねると何か良くないことでも起きると言わんばかりであった。
「俺は困らない」
「そんなっ」
困り果てた様子を見せつつも、まだ何か言いたげにしている。
板挟みにあっているかのように感じられた。
この国の王城から迎えが来た俺たちと同等の相手からの圧力があるのかもな。
「それに、この人は俺たちの客人だ」
「なっ……!」
驚愕し言葉を失いかけたオッサンだったが──
「そんなはずは……」
と呟いたのを俺は聞き逃さなかった。
もはや疑いようもない。
圧力をかけてきた相手は王城内にいる誰かだ。
誰かまでは判然としないがな。
判断材料も情報も少ないから仕方がない。
どういう状況かさえも分からないのは困りものだが。
それについてはカエデに話を聞けば良いだろう。
思いっ切り不審者を見る目でこちらを見ているので話をするまで時間がかかりそうだが。
まずはオッサンをどうにかしないといけないだろう。
これだけ必死になるからには何らかの圧力がかかっているはずだ。
その相手が誰か分かっていれば対処も楽なんだけど。
さて、どうしたものか。
読んでくれてありがとう。




