1528 笑う時は時と場所を選ぶべし
ズダン!
ゴロゴロゴロ……
場外に落ちた男は数度の前転を繰り返して止まった。
パタリと仰向けで倒れたまま動かない。
投げのダメージはある。
が、身動きが取れないほどではない。
もちろん失神した訳でもない。
現に目は見開いたままだ。
遠くにある空を見つめ呆然としている。
「負けたのか、俺は」
血が流れているような感覚はない。
痛みはあるが骨折するほどのダメージではないはずだ。
体の奥に残るような息苦しさを感じるようなダメージはあるが。
「っ!」
わずかに身じろぎした瞬間に鋭い痛みを感じた。
どうやら腕を捻ってしまったようだ。
そう言えば、宙に浮いてしまう直前に激痛が走った。
何がどうなったかは分からないが、あの時のダメージだろう。
だからといって腕が折られたようには思えない。
審判たちが分担して魔法で体のあちこちを調べている。
覆面をした対戦相手の反則にならないかを確認しているようだ。
大人しくしているべきだろう。
念入りにチェックしているようだしな。
ついでにダメージのある個所は治癒魔法を使ってくれるし。
「……………」
しばらく待つと腕の痛みは無くなった。
息苦しさも徐々に薄れている。
「……………」
更に待っていると、無理をしなくても上体を起こせそうなくらい楽になった。
ムクリと上体を起こす。
「……………」
問題なさそうだ。
やや重怠いような気がしなくもないが、これくらいは休んでいれば大丈夫なはず。
いずれ抜けていくだろう。
振り返ると、審判たちが何か話し合っていた。
前の試合と同じだとか。
怪我をしている訳ではないから問題ないとか。
何が同じかは分からない。
この試合に集中したくて観戦していなかったからな。
あの得体の知れない奇妙な避け方か。
最後に自分を宙に浮かせた技か。
それとも他の何かか。
もしかすると全部ということもあるかもしれない。
いずれにせよ、自分は他人の真似をしたと思われる相手に負けた訳だ。
10年前の自分なら怒り狂ったことだろう。
舐めるのも大概にしろと。
だが、今は恐怖すら感じる。
ぶっつけ本番で見様見真似の技を使っていたはずなのに自分には見抜けなかった。
普通なら何処かにぎこちなさがあっても良さそうなのに分からなかったのだ。
それだけ実力に大きな開きがあるのだろう。
どれほどなのか見当もつかないほどに。
きっと埋められる差ではない。
死を覚悟するほどの無理を繰り返しても追いつける気がしなかった。
そう考えると清々しささえ感じるから不思議なものだ。
故に次の大祭には出場しないと決めた。
試合前はこの10年で衰えが始まっても本戦出場くらいは可能かと迷いもあったが。
ここまで完膚なきまでに差を見せつけられてはな。
今よりも格段に強くなれるならいざ知らず。
きっと弱くなっている。
年は取りたくないものだ。
そう思うと自嘲の笑みが浮かび上がってくるのを止められなくなった。
笑うと気力が湧いてくる。
負けた直後は、帰ることも頭の片隅で考えていたというのにな。
不思議と覆面男が何処まで勝ち上がるのか見届けたくなった。
前の試合の凄い奴も見てみたい。
この2人がぶつかれば、どうなるのかという興味も湧いてきた。
それについては両者のクジ運しだいではあるけれど。
そんなことを考えている間にウルフ仮面の勝ちが宣告された。
「ウルフ……仮面?」
一瞬、誰のことだか分からなくて考え込みそうになったが。
すぐに対戦相手のことだったと思い出した。
あの安っぽい覆面の何処にウルフの要素があるのかと言いたくなった。
仮面ですらないしな。
苦笑せざるを得ない。
やたらと強いくせにセンスは皆無だ。
そこだけは負けていないと胸を張って言えた。
あの強い男に勝てる部分が俺にもある。
そう思うと、おかしくて仕方がなかった。
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「負けたのに笑っちゃってるよ、あの人」
「頭とか打ったりしたのかな」
メリーとリリーがちょっと怯えた感じで顔を見合わせていた。
薄気味悪く感じているようだ。
「打ってないわよ」
姉のリーシャに言われて落ち着きを取り戻してはいたけど。
「あの笑いっぷりは何なんでしょうね~」
ダニエラも気にはなるようだ。
ブルッと身震いしていた。
それだけで胸元が揺れるのは相変わらず反則だと思う。
【千両役者】スキルの助けを借りて鼻の下が伸びないように頑張ったさ。
「気になるなら聞いてくればいいのでは?」
ルーリアが真顔で問いかける。
「ヤですよぉー」
ダニエラにしては珍しく顔をしかめて嫌がっている。
あの様子だと、やはりダニエラも薄気味の悪さを感じているみたいだ。
無理もないのかもしれない。
あの男、いきなり笑い出したし。
ちょっと危ない人ぐらいに思ったのかもな。
特に何とも思ってなさそうな面々もいるんだけど。
「ふむ、無理にとは言わないが」
その言葉に割と必死な感じで激しくうんうんと頷いているダニエラ。
そこまでとは思ってもみなかった。
ちょっと重症かもしれない。
『ローズさんや』
高速の念話で相棒を呼び出してみる。
『くっくー?』
呼んだー? と霊体モードでバビューンとすっ飛んでくるローズ。
着ぐるみであるドルフィンの方は抜け殻状態になってしまったが問題ない。
こんなこともあろうかと改造済みだ。
自動人形の技術を生かしてローズが抜けた後は自律モードで動いている。
現状は座っているだけなので置物も同然なんだが。
まあ、ドルフィン・グレンには寡黙な戦士という設定があるからこそなんだけど。
喋らせる必要がないから理力魔法で操るという手もあるんだけどね。
理力魔法でのコントロールはローズにも余裕でできるし。
ただ、常に制御しなきゃならないから面倒ではある。
それを踏まえての改造だ。
面倒は発明の母ってな。
『お仕事だ』
呼び出した用件を簡潔に告げる。
『くくっくうー』
任せなさーい、とか言って俺の周りをグルグル飛び回っている。
よほど退屈していたのだろう。
『まだ、仕事の内容を言ってないんだが?』
『くーくくっ、くぅ、くぅくくぅくっくっくーくうーくぅくっ?』
これは失敬、失敬、久しぶりだから張り切っちゃいましたよ? だって?
本当にせっかちさんだ。
そんな訳で、さっそく仕事の内容を説明した。
覆面男の対戦相手が試合後に笑い出した件なのは言うまでもないだろう。
あれをキモいと思った面々をフォローしてもらう。
夢属性の魔法でトラウマにならないようにするだけの簡単なお仕事である。
『くぅくっくー!』
任せなさーい! だってさ。
さっそく取りかかり始めましたよ。
ローズにとっちゃ簡単だけど多少の時間はかかってしまうのはどうしようもない。
トラウマ問題は結構デリケートだし。
と言いたいところだけど……
『くーっくぅくー』
などと上機嫌で鼻歌交じりに始められてしまうとね。
どう考えても、退屈していた反動だとしか思えない訳で。
まあ、仕事を完遂してくれるなら何だって構わないんだが。
あの調子なら特急で終わらせてくれるだろう。
それでも相応に時間を消費するのだが。
高速の念話が数秒とかからず終わったことを考えると、結構な待ち時間になると思う。
で、それを我慢できない人がいたりする訳だ。
「そんなことより今日の屋台」
ノエルがいきなりダニエラとルーリアの話をぶった切ってきた。
このまま話が続いてまた屋台巡りが先送りにされやしないかと危ぶんだのだろう。
先程はそのお陰で覆面男の試合を見ることができた訳だが。
いつまでも、それを繰り返す訳にもいかない。
下手をすれば夕食まで飲まず食わずになりかねないし。
それで誰かがダウンするなんてことはないけどね。
ミズホ国民はそんなに柔じゃないのだ。
ただ、腹が減るのはどうしようもないので不満は出るだろう。
その点については早急に対処すべきだ。
今は有事じゃないからな。
観光目的で遊びに来て飯抜きとかあり得ないだろ?
断食ツアーじゃないんだし。
「せやせや、ノエルの言う通りやで」
アニスが真っ先に賛同する。
「アタシも賛成ーっ」
レイナも手を挙げて援護射撃してきた。
「じゃあ、行くか」
ローズのお仕事はもう少し続くはずだが、移動しながらでも大丈夫だし。
「「「「「おーっ!」」」」」
こういう時のミズホ組はノリが良くて助かる。
一気にそっちの流れに持っていけるからな。
切っ掛けを作ってくれたノエルに感謝だ。
読んでくれてありがとう。




