1496 過度な要求をすると逮捕されます
懸念したウルメのトラウマ問題は杞憂に終わった。
翌朝にはピンピンしていたからだ。
とはいえ迂闊に蒸し返すと何が起こるか分からない。
話題にしないよう皆にも注意しておいた。
でないと空気も読まずにツッコミを入れかねないのがいるからな。
「よく眠れたようだな」
朝食のために部屋から出てきたウルメに声を掛けた。
これくらいは構わないだろう。
顔色もいいようだし。
「はい、お陰様で」
ニッコリ笑って返事をするウルメ。
不自然な感じは見受けられない。
だが、ここで油断して迂闊なことを聞くのは危険だ。
それ以上は蒸し返すようなことは何も言わず普通に朝食を済ませた。
その後は支度をして試合会場へと向かう。
選手と観客では入る場所が違うので別行動だ。
念のために【多重思考】で呼び出したもう1人の俺たちで監視はしていたけどな。
とはいうものの、そうそう荒事など発生するもんじゃない。
他の選手は応援している追っかけに囲まれたりしていたが。
ウルメはそういうこともなかった。
観客目線からすると地味な勝ち上がり方をしてきているからだろう。
いや、他の選手もそうなんだけどさ。
地元で冒険者として名が売れているとかの前評判もない状態だからな。
予選の最終試合ではそれなりに派手だったはずなんだが。
それも多くの観客からすると運良くもつれ込んで相手が勝手に負けたことになっていた。
そのことがウルメを一部で人気者にしていたけどな。
場所は神殿が運営する勝敗投票券の売り場だ。
もちろん選手と接触することがない場所での販売がされている。
そこではウルメが勝つ倍率が断トツで高かった。
まあ、それでも射幸心を煽るような倍率じゃなかったがね。
これが神殿主催の大会でなければ倍率は桁が違っただろう。
ここでは最大でも5割の利益が上限だ。
中にはそのことに不満を抱く者もいる。
ただ、不服は顔に出す程度で収まっていた。
ここ以外で武王大祭の賭はできないせいだ。
闇の賭場ができないよう厳しく取り締まられているからな。
おまけに売り場には衛兵が張り付いているから文句も言えない。
いや、言う者はいるそうだ。
言ったが最後で早々に連行されてしまうみたいだけど。
泣こうが喚こうが「向こうで話を聞こう」ということになるのだとか。
何それ怖い的な処置である。
騒ぎが大きくならないようにするための予防的な意味があるらしい。
そう聞くと分からなくはないけどな。
確かに賭け事が絡むと人が変わる奴もいるし。
賭場がある場所なら、その手の輩が集まりやすい。
そんなのが連鎖して暴走されたら騒ぎが大きくなるどころではないもんな。
人の暴走もバカにできないものがある。
狂気を帯びた者たちが大勢で押し寄せてきた時は簡単には止められないものだ。
たとえ仮初めの狂気であったとしても、それは容易に人の感情を飲み込む。
恐怖も。
人が持ちうるあらゆる情も。
自分が傷つくかもしれない死ぬかもしれない。
誰かを傷つけ殺すかもしれない。
そういった躊躇いを、狂気はいとも簡単にかき消してしまうのだ。
迷いを無くした者たちほど厄介なものはない。
同じ数でぶつかっても、熱狂の渦に飲み込まれるのがオチだ。
故に衛兵たちの対応は決して過剰ではない。
「離せっ、俺が何をしたって言うんだ!」
両脇を抱えられたオッサンが連行されている。
「「……………」」
衛兵は答えない。
「おいっ、俺は何もしちゃいないだろう!」
「「……………」」
やはり返事はない。
「離せよ!」
拘束から逃れようと身を捩るオッサンだがビクともしない。
衛兵たちは何事もないかのように平然とオッサンを引きずっていく。
有無を言わせない態度だ。
それが周囲に重苦しい雰囲気を与えていた。
「アイツ、何やらかしたんだ?」
「何もしてなかったと思うんだが……」
「酒は入ってたみたいだけどな」
「けど、暴れてはいないぞ」
「それは見てたから分かるけどよ」
ヒソヒソ声で周りにいた若者たちが話している。
その集団にヒョコッと顔を覗かせる者がいた。
飄々とした感じの婆さんだった。
服装からすると神殿の関係者のようだ。
「おわっ、何だよ」
「脅かすなよ婆さん」
若者たちの抗議にも動じることなく、婆さんはホホホと笑った。
「そりゃあ、すまなかったねえ」
余裕の笑みを浮かべて詫びる姿に貫禄さえ感じてしまったさ。
「「「「「っ……」」」」」
若者たちなど返事をすることすらできずに黙り込んでしまったほどである。
『凄いものだな』
貫禄勝ちってところか。
うちのベル婆に似ている気もする。
見た目はともかく雰囲気がね。
年を食うと、そういう余裕のようなものが身につくのだろうか。
誰でも彼でもって訳じゃないと思うけどな。
「あの兄さんはね、迂闊なことを言ったんだよ」
婆さんが若者たちに語り掛けた。
「どういうことだ……っすか?」
婆さんの余裕ある態度に気圧されてしまったらしい。
若者の口調にまで変化を及ぼしていた。
質問しなかった面々も畏縮気味である。
決して婆さんの容姿が妖怪じみているだとかではない。
見ようによっては5月4日の師匠に近いような……
いや、そこまで小さくもないし血色も悪くない。
髪の毛は真っ白だけどフサフサだし。
だから見た目にビビっている訳じゃないとは思う。
あの見た目で急に現れられたら、それはそれで怖い気もするけどな。
「お前さんたちは、もっと掛け率を上げろと文句を言ったのを聞かなかったかい?」
その問いかけに若者たちが顔を見合わせた。
「確かに……」
「言ってた」
他の若者たちも首肯する。
そりゃ、そうだ。
オッサンは声高に文句を言い続けていたからな。
酒が入っていたことで気が大きくなっていたのだろう。
「お祭りの禁則事項は知っとるかい?」
今度の問いかけにも若者たちは顔を見合わせた。
が、先程とは違って戸惑う様子が見られる。
アイコンタクトを取って小さく頭を振ったり首を傾げたり。
「では、あれを御覧」
婆さんの指し示す方には立て看板があった。
ちょうど券売所の真横にあたる場所で割と目立っている。
にもかかわらず注目する者は少ないんだけどな。
[券売所で掛け率を上げるように要求した場合、問答無用で連行されます]
看板にはそう書かれていた。
他にも補足事項が記載されている。
大雑把に言うと紛らわしい真似をした場合はすべてアウトってことだ。
でないとイタズラ感覚でスレスレの話をしようとする輩が出てきかねないのだろう。
どの時代でも何処に行っても似たようなことをしたがる阿呆はいるってことだな。
「「「「「……………」」」」」
若者たちも理解したようだ。
目が看板に釘付けになっていた。
表情は驚愕に塗り固められている。
こんなものがあったとは的な驚き方をしているようだ。
彼らだけではない。
周囲にいた他の者たちも焦ったり顔を青ざめさせたりしていた。
『どいつもこいつも見てなかったのかよ』
ツッコミこそ入れなかったが、つい嘆息してしまったさ。
せっかく目立つ場所に看板が置かれているのに誰も見ていないっぽいのがね。
どの選手が勝ち残るかを考えるので目一杯なのかもな。
掛け率の看板が券売所を間に挟んで反対側にあるのも良くない。
そっちに目移りして注意書きの方は見向きもされない訳だ。
わざわざ目立ちにくい方に設置しているのに、この有様である。
婆さんが出てきたのも頷けるというもの。
『しょうがないなぁ』
ウルメに賭けるついでに看板の設置について提案しておいた。
逮捕者が続出したんでは気分良く試合観戦もできないからな。
とはいえ大したことを言った訳じゃない。
掛け率の文字を小さくして同じ看板の頭に注意書きを入れるべきだと言っただけだ。
こうすれば誰も注意書きを読まないなんてことはなくなるはず。
それでも読み飛ばす奴は出てくるだろうけど。
ただ、そこまでくれば個人の責任ってことでいいと思う。
ちなみに提案については即採用って流れになった。
婆さんには感謝されたしな。
「すみませんね。
配慮が足りなかったようです」
「いいや、充分に配慮されていると思う」
そこから先は西方の感覚では過度なサービスと言われるはずだ。
日本人的な感覚で言うと、おもてなしの心があるってことなんだろうけど。
せっかくのお祭りなんだし、犠牲者が増えるのは忍びないもんな。
まあ、既に逮捕された酔っ払いのオッサンは知らん。
あれは自業自得だ。
酔いが覚めるまで拘束されたら釈放されるだろうし問題なかろう。
その際に説教ぐらいはされると思うがね。
読んでくれてありがとう。




