1269 高をくくるとグデグデになる
酒樽が空になった。
「親父殿、もう酒が切れました」
ハマーが抱え込んだ最後の酒樽を振りながら報告する。
常人なら酒樽ひとつを空にしただけでも、しこたま飲んだと言うだろう。
他に空の酒樽が転がっている時点で「もう」と言うのは、どうかと思う。
俺やトモさんは遠慮してチビチビやっていたのだが、ドワーフ組はお構いなしだった。
だからこそ、ドワーフなんだろうけどね。
「そうか、では風呂から上がるとしよう」
迷う素振りもなくザバリと湯船から立ち上がるガンフォール。
それに続くボルト。
「もう行くのか?」
もう少し月見情緒を楽しんでいってもいいのにと思う。
「風情を肴にするのは充分じゃ」
「そうか?」
まったく月見を楽しんでいなかったとは言わないさ。
カパカパ飲むだけなんて品がないってのはドワーフ組も心得ている。
飲み方は豪快なれど、ちゃんと月見を楽しんでいた。
ただ、飲んだあとの余韻も含めて楽しんでくれたらなぁとは思うのだ。
「飲み直しじゃ」
飲み足りないようで……
「はあ、さいで」
余韻はまだまだお呼びではないようだ。
余裕もまだまだあるみたいだし。
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結局、俺とトモさんだけが露天風呂に残った。
「エルダーヒューマンだとふやけなくて良いなぁ」
8時間以上は入っているけど、そういう兆候すら見られない。
別に理力魔法で防御している訳ではないんだが。
「何時間でも入っていられるねえ」
トモさんがしみじみ頷いていた。
2人でミズホ酒を酌み交わす。
これはドワーフ組が持ってきたものではない。
俺が倉庫から引っ張り出したものだ。
「チビチビ飲めば酔わないし」
ドワーフたちのように升酒ではない。
お猪口で少しずつ。
スルスルと喉越しを味わう。
「日本人だった頃からは考えられないねえ」
しみじみと呟いてしまう。
「あ、俺まだ半分は日本人なんだけど」
トモさんがツッコミを入れてきた。
「そうだった」
魂だけ行き来している状態だが。
こっちに魂がある状態だと日本では体を休眠させて自動人形が動いている。
そのために記憶の回収に戻らないといけない。
故に何度も行ったり来たりを繰り返しているのだけど。
あと、体調維持のためにも定期的に日本に跳ばないといけなかったり。
日本人としての体はヒューマン+だから長く休眠状態にできないのだ。
ノーマルのヒューマンみたいに1日や2日で不調になることはない。
それでもギリギリまで粘るのは不調を招く元だ。
調子の維持のため何日か向こうにいないとダメになるし。
ずっと眠っていても何の問題もないエルダーヒューマンのようにはいかないのだ。
所属する世界はルベルス側なので向こうに居続けるのも良くないし。
日本人としては、本来の寿命だった頃合いに居候状態からサヨウナラする予定である。
なんにせよ最初の頃は慣れなくて大変だったみたい。
つい、ギリギリまで戻るのを忘れるんだよね。
『トモ助~、そろそろ休眠限界だぞぉ~』
なんてエリーゼ様から脳内スマホの電話に強制着信が何度かあったくらいだ。
あの面倒くさがりなエリーゼ様から連絡が入るなど、よほどのことである。
俺はエリーゼ様が見落とすことなく仕事してるんだなって感心してたんだけど。
まあ、息子のことだから注意して見ているとも考えられるのか。
「うわわわわっ、日本人になってくる~」
とか言いながらトモさんは慌てて魂をセールマールへと跳ばしていた。
表現がおかしいんじゃないのかというツッコミすら入れる間もなく行ってしまうし。
エルダーヒューマンの体をその場で休眠状態にさせてね。
当然のことながら残された体の回収は俺たちがすることになる。
主にトモさんの妻であるエルダーフェアリーのフェルトがやるんだけど。
必ずという訳じゃない。
場に居合わせないこともあるし。
『せめて城の自室に跳んでから行けばいいのに』
それくらいは朝飯前でできるはずなんだが。
それすら思いつく余裕がなかったのは最初だけだ。
「もっと自分をいたわってください」
帰ってきた時に淡々とした口調のフェルトに注意されていたし。
「はい……」
いつになく落ち込んで、しょぼくれていたからね。
それで反省したのかと思ったら繰り返しているのが解せないところだ。
何度となくフェルトに注意されていた。
いくら何でも気付かないはずはないと思うのだが。
『もしかして叱られたくて、わざとやってるのか?』
なんて思うほどだ。
叱られフェチとかマゾ的なんだけど。
『たまに発言がそっち方向に行っちゃったりするからなぁ』
嬉々として話すこともあれば違うこともあるので何とも言えないところである。
聞いても否定されるだろう。
もし、リアルなら叱ってもらえなくなることを懸念するからね。
違うなら否定して当然だし。
なんにせよ、ギリギリまで粘ってしまうと色々と大変なのだ。
こっちは言うに及ばず、日本の方もね。
向こうでは眠っている間も記憶の整理とかで意識はずっと活動状態になってしまうし。
そりゃそうだ。
仕事を放置して溜め込んでいるようなものなんだから。
それが何日か続く訳で。
体の方は休んでいるけど休んでいない状態になってしまうのだ。
「寝不足じゃないのに寝不足みたいな感覚で気持ち悪いんだよ」
などとトモさんは愚痴ってた。
頻繁に戻れば、そういうこともないのにね。
諸事情により向こうでも3桁レベルになってからは楽になったみたいだけど。
調子を整えるのも記憶の整理も3分で大丈夫になったって。
そしたら頻繁に戻るようになったのは何なのだろう。
面倒くさがってたってことはないはずなんだが。
とにかく、ちゃんとできているなら問題ナッシング。
問題があるとすれば、現状の俺たちか。
気付いた時には露天風呂に浸かってから12時間が経過していた。
「そろそろ上がろっか」
「だね」
月見酒セットを倉庫に回収して立ち上がる。
「おおっ!?」
妙に体が重い気がした。
というよりクラクラする感じか。
「おやぁ?」
トモさんも同じことを感じているらしい。
立った状態から、しばらく動けずにいた。
目眩のようなフラフラはしないのが不幸中の幸いと言えるだろうか。
倒れ込んで立てなかったら湯船で溺れるかもしれないし。
普通だったら溺れようがないのにね。
子供だって余裕で足がつく深さでしかないのだ。
『笑い話にもなりゃしないって』
でも、怠い。
体よりも頭の方が回らない感じである。
「ボーッとするんだけど、トモさんはどうだい?」
「しますなぁ」
苦笑しながら返事をするトモさん。
「湯あたりしたかな?」
「してますな」
「「ハッハッハ」」
2人して乾いた笑い声を上げてしまった。
それくらいしかできないのだ。
体を動かすのも億劫な状態である。
「湯船に浸かっている時は平気だったんだけどなぁ」
「感覚が麻痺してたのかもね」
ありそうな話だ。
というより、今も麻痺しているっぽい。
晩秋の夜風は冷たいはずなのに何ともないのだ。
「12時間も熱を受け続けると、こうなるのかー」
トモさんがしみじみした様子で感心していた。
「ここ、遠赤外線の効果もあるからね」
そういう設計にしてある。
冬でもちゃんと温もれるようにした結果なんだが。
「そりゃダメだ」
今回ばかりは裏目に出てしまった。
こういう時のために何かしらの安全装置が必要だ。
え? 俺たちみたいに度を超した超長風呂をする奴なんていない?
ごもっとも。
ただ、前例を作ってしまったのも事実だ。
俺たちほどじゃないにしても湯あたりする者は出てくるかもしれないし。
どうにかしておくべきだろう。
『今すぐは無理だけどな』
とにかく熱が抜けないせいで頭が回らないのだ。
移動すらままならない有様である。
戦闘モードなら気力でねじ伏せて何とか対処するんだろうけど。
今は非常時ではないし、根性を入れてどうにかしようという気にもなれない。
「なあ、ハルさん」
「どうした、トモさん」
「このままだと朝までここで過ごすことになると思う」
「そりゃまた、どうして」
「脚が湯船に浸かってるだろ」
「あー、こりゃウッカリだ」
夜風に当たっても湯冷めなんてしようがない。
脚湯に浸かっているのと同じ状態だからな。
「何としても出るべきだと思うんだが」
「そうしたいのはやまやまだけど……」
「「足を動かす気力が湧いてこん」」
実に間抜けな状態だ。
単に突っ立っているだけだもんな。
はた目には、もどかしく思えるんだろうけどね。
動かす気になれないんだからしょうがない。
「足が動かないのなら」
「動かないのなら?」
「こうだ」
理力魔法で体ごと浮き上がる。
「おっとと」
ボーッとすると魔法の制御が覚束無い。
そのせいでフラフラと落ちそうになりながらどうにか湯船から脱出。
トモさんもそれに続いた。
洗い場の床に足をつく。
「「ふうっ」」
2人で安堵の溜め息を漏らす。
普段なら簡単にできることが、やたら難しくなっていた。
ここから脱衣場まで移動するのも苦労させられそうだ。
読んでくれてありがとう。




