1205 ビクビクされてもな
[宰相は禿げである。ヅラはまだない]
我ながら強烈な文章を用意したものである。
爺さん公爵を怒らせるかなとも思ったくらいだし。
なお、当人は驚きはしたものの沈黙を守っている。
密かに怒っているという風にも見えない。
慣れた者が見るのであればだが。
沈黙しているためか、威圧感があるようだ。
受講者たちの何人かはビクビクしていた。
他にも顔色を窺うようにしている者たちもいるし。
当人はというと──
『考え込んでいるだけなんだろうな、あれ』
と思わせるような真剣な表情を見せている。
絵に描いたような沈思黙考だ。
内心では俺が意味もなくこんな真似をする訳がないとか考えているのだろうか。
そうだとしたら、ありがたいことだ。
信頼されていることに他ならないのだから。
『調子に乗らないようにしないといけないな』
「ちょっと意地が悪い文章だね」
喉を鳴らして笑いながらカーターが言った。
「何処の国の宰相かを明確にしていないところがズルいというか何というか」
受講者たちの間にホッとした空気が拡がっていく。
爺さん公爵じゃなかったんだと安堵したからだろう。
『見るからにフサフサじゃないか』
内心でツッコミを入れる。
そもそも文章でフォローを入れてるんだ。
普通に考えれば、爺さん公爵に結びつけては考えられないはずなのだが。
『想像したな』
受講者のほぼ全員に加えて爺さん公爵までも。
それでも沈黙を守っているので、周囲の面々からは緊張感が感じられた。
「個人の悪口を書くのは良くないからなぁ」
反論のつもりはないがカーターの言葉に応えておく。
「誤解を招く文章は良くないと思うよ」
釘を刺してくる割には楽しげにしているカーターである。
俺に何らかの思惑があると読んだからだろう。
それが何であるかまでは分からないようだが。
「でも、インパクトがあったろ」
注意を引き付けるにはこれ以上ない文面だ。
「そのようだね」
「こうするとシャレにならないよな」
俺は紙を折って皆に見せてみた。
「「「「「───────────っ!」」」」」
受講者たちはドン引きだった。
大半は仰け反りさえしたからね。
[宰相は禿げである。]
紙を折った結果、見えている文章は非常に紛らわしい文言となった。
これだと更に誤解を招きやすくなる。
「もし、この文章が掲示板に貼られていたらどうだ?」
受講者たちの顔が強張るのがありありと分かった。
顔色なんてサッと変わってしまったからな。
そして、恐る恐る爺さん公爵の方へ目線を向けている。
一見すると怒っているようにも見えるのだが。
『いつも、こんな表情をしてるもんなぁ』
平常運転と言われると、そのようにしか思えなくなってくる。
ならば発散する空気はどうか。
ややキツめのように感じるが。
そのせいか、受講者たちの何人かはビクビクしていた。
下っ端に近い面子が多いからだろう。
爺さん公爵のことをよく知らない者もいるはず。
ビビっているのは、そういう者たちである。
中には爺さん公爵を見て落ち着く面々もいたがね。
どうやら人となりを知っているらしい。
爺さん公爵が怒り狂っている訳ではないと見抜いていた。
短い付き合いだが、俺もそうだと思う。
[宰相は禿げである。]
こんな紛らわしい文章を見せられて、どうして爺さん公爵は怒らないのか。
続きの文があるからとかではないと思う。
[宰相は禿げである。ヅラはまだない]
本来の文面はこうだ。
これを読めば少なくとも爺さん公爵のことではないとハッキリする。
にもかかわらず、あえて後半部分を伏せた。
紛らわしいことこの上ないが、何も言ってこない。
俺の意図するところに気付いたと見るべきだろう。
「なるほど、誤解が広まってしまうね」
そう言ったのはカーターだ。
「これが作業指示書やローテーション表だったなら……」
懸念を口にした。
『大きなミスにつながってもおかしくないよな』
カーターもその点に気付いたようだ。
「これは怪文書の類だから掲示板に張り出されはしないだろう」
だからか、ピンときていない面々が多い。
察しのいい者は愕然としているがね。
「しかしながら、本来掲示されるべき文書で大きなミスがあったらどうなる?」
そんな風にカーターが問いかけたことで、受講者たちも次々に気付き始めた。
血相を変えてしまっている者さえいる。
『本題は、まだこれからなんだがな』
「試しにどうなるか、やってみせよう」
俺は振り返って向かって左端の魔力掲示板に紙を広げて押し付けた。
その部分がほのかに光る。
「「「「「おおーっ」」」」」
受講者組は魔道具に不慣れなだけあって、些細なことで感嘆の声を上げる。
光が完全に消えるのを待って紙を魔力掲示板から離した。
「「「「「ああっ!」」」」」
今度は驚きの声だ。
黒い背景色の中に白いコピー用紙の色が生じていた。
その中には紙に書いた手書きの[宰相は禿げである。]の文言がある。
「凄いね、文字が逆になってない」
カーターが真っ先に気付いたようだ。
「版画じゃあるまいし」
「おおっ、そうだった。
さすがは魔道具だね」
カーターは楽しげに顔をほころばせた。
「そうでないと、掲示板を魔道具にする意味がないだろう?」
「ははっ、確かに」
「それよりも薬が効きすぎたみたいだ」
「えっ!?」
驚きの声を漏らしつつ、カーターが受講者たちの方を見た。
「おや、これはどうしたことだろう?」
カーターが不思議がっている。
受講者たちが固まっているからだ。
「見てなかったのか?」
「そのようだね」
他人事のような口振りで自重するカーター。
自分自身に呆れ返っているのだろう。
何故だか理由も分からないみたいだし。
「他の掲示板を見てみな」
「他の?」
不思議そうに問い返しながらも、カーターはそちらを見た。
まずは真ん中の掲示板。
なんの入力も行わなかったはずにもかかわらず例の文章があった。
[宰相は禿げである。]
そして向かって右端の掲示板にも。
[宰相は禿げである。]
それを見たカーターが──
「……ああ」
と呟きを漏らした。
すぐにどういうことなのか理解したようだ。
そして、受講生たちの方を見る。
「魔道具には不慣れだからね」
そう語るカーターの瞳には同情の色が乗せられていた。
「ショックだったんだなぁ」
しょうがないと言いたげな表情で小さく苦笑する。
「すまない」
さすがに俺は笑ってなどいられない。
やりすぎた当人だからな。
受講者たちにトラウマを残すようなことがあれば謝罪の言葉だけでは済むまい。
「ハルト殿が謝ることじゃないよ」
カーターが苦笑する。
あまり問題だとは思っていないようだ。
「いや、劇薬すぎては意味がないからな」
薬だって用法用量を間違えれば毒になる。
今回のは毒の方に傾いたと言えそうな反応だ。
未だに固まったまま復帰できていない者もいるくらいだし。
我に返った者たちも顔色がよろしくない。
そんな受講者たちを見てカーターは、またも苦笑した。
どうやら俺とは認識に温度差があるようだ。
「薬が効きすぎたというのも分かるけどね」
「私は、そうは思いませんがな」
爺さん公爵が反論した。
「どうしてだい?」
理由が思いつかないらしく、カーターは問い返す。
「認識が甘すぎたが故にそう見えるだけでしょう」
『あー、そういう見方もあるか』
自分のところの身内に厳しい爺さん公爵ならではの意見だ。
「良い薬になったと私めは確信しておりますぞ」
フンスと鼻息が聞こえてきそうな口振りである。
『あんまり厳しいと、付いて来なくなるぞー』
と言いたいところだ。
それを言わないのは、必ずしも俺が考えるようなことにはならないからである。
爺さん公爵は厳しいが故に公平で依怙贔屓をしない。
甘くはないが誰であろうと同じ条件で評価する。
それを煙たく思う連中もいたがね。
骸骨野郎ことトーテン・シェーデル元伯爵なんかは、その筆頭と言えるだろう。
後に続くのは骸骨野郎の取り巻きであるのは言うまでもない。
この連中は爺さん公爵のことを毛嫌いしていたそうだ。
憎悪と言ってもいいかもしれない。
『真面目くんと不良たちだからなぁ』
水と油のように反発し合うのも道理というもの。
賄賂を初めとした抱き込み工作は一切通用しないし。
おまけに不祥事や醜聞なども爺さん公爵には縁がない。
連中が常套手段とする脅しもかけられない訳だ。
せいぜいが距離を取るくらいしかなかったのだけれど。
結果は似たようなものだ。
骸骨野郎は人ではなくなったことを怪しまれぬよう接触を避けるようになったし。
取り巻き連中は骸骨野郎の操り人形にされていたせいで自由意思を奪われていたからな。
不用意に接触する者も出なくなった訳だ。
懸命におもねっていたのにアンデッドにされるか魅了を受けての道具扱い。
惨めな末路である。
そして、色々あって今につながっている訳だ。
幾つもの幸運が重なっているとは思うが。
これは爺さん公爵が引き寄せた幸運でもあると言えそうだ。
そう考えると、爺さん公爵の自他共に対する厳しさもありなのかもな。
誰も彼もがそうなってしまうのは困りものだけど。
読んでくれてありがとう。




