1179 計算が苦手な者に助けとなる手はあるか
カーターが俺の人集めの案に不安を抱いていた。
メリットや話を受けてもらえそうなアイデアも話したんだけどね。
問題は話を聞いてもらえるかにあると思っているのだからしょうがない。
「為政者に対しての印象は最悪だろうし」
ここの元王族がいなくなったとしても、それは変わらないだろう。
王侯貴族はこんなものという先入観があるのは疑う余地もない。
そして、その先入観を拭い去るのは極めて困難。
故にカーターは否定的な見方を崩さない訳だ。
そこは俺も同意する。
ただし、別の見方もできる。
「要は取り付く島もない状況を打開すればいいんだろう?」
「そんなことができるのかい!?」
驚きを露わにしてカーターが聞いてきた。
「最初に奴隷から解放したと告げればいい」
「信じてもらえるだろうか」
「信じるよ」
そのために神のお告げという体で仕込みをするんだから。
それを言うと、カーターが唸った。
表情からは戸惑いが感じられる。
罪悪感を感じているのだろう。
仕込みをするのは俺だけど、この件の責任者はカーターだしな。
手伝いにすぎないはずの俺が前面に出すぎているとは思うけれど。
「その上、借金はチャラだ」
山送りにした連中はあの手この手で奴隷の借金を無理やり増やしていただろうがな。
そんなものは大本の借金からして無効だ。
元から騙すつもりで借金させているのだから。
これをそのままにすることは犯罪を看過することに他ならない。
「印象は大きく覆ると思う」
「そりゃあね」
納得はするがカーターの表情は浮かないものだ。
「何だか騙しているような気分になってしまうんだよ」
「だとしても、これは誰も傷つかないだろう?」
言うまでもなく損もしない。
山送り連中がこの話を聞くようなことがあれば、大損だと喚くかもしれないが。
まあ、犯罪者の戯言など無視するだけだ。
「それはそうなんだけど……」
「他に良い手があるかい?」
「うっ」
渋い顔をしてたじろぐカーター。
「説得の前段階として、ちょっと皆に耳を傾けてもらうだけだから」
何もかも言うことを信じるように仕向ける訳じゃない。
そこまでやってしまうと強制力の強い暗示や催眠の類になってしまう。
いくら何でも、それは許されないだろう。
「説得するのはカーターだ」
その手腕に人手が集まるかどうかがかかっている。
ウンウン唸って考え込むカーター。
が、やがて大きく嘆息した。
「背に腹は替えられないかー」
結局は受け入れるという結論に達する。
潔癖な人間なら強い拒絶をしていると思うんだけどね。
俺はそんなでもないので拒否感なんかはない。
一度、納得してしまえばカーターも迷わないだろう。
多少の罪悪感を抱きつつも割り切れるはずだ。
「頑張って説得した方がいいぞ」
「他人事だなぁ」
「その台詞はそっくりそのまま返すよ。
ここはもうエーベネラント王国なんだぜ」
「それにしたってさー」
薄情だと言いたげに唇を突き出して不満を露わにするカーター。
「分かってないなぁ」
「何がさ?」
「説得に失敗したら、その分だけ出費がかさむぞ」
「えっ、なんで!?」
聞いてないよとばかりにカーターが驚きを露わにする。
「おいおい、カーター……」
この調子ではまるで気付いていないようだ。
「相手も人間だ。
説得しても、首を縦に振らない時だってあるはずだぞ」
「それは分かるんだけど?」
訳が分からないと聞いてくる。
「そういう人間を無一文で放り出すつもりか?」
「あっ!」
ここまで言われれば気付かぬはずはないよな。
一時金が必要になると。
犯罪被害者に対する支援金と言い換えてもいいかもしれない。
本当は働き手になってくれる人たちにも支払われるべきなんだろうけど。
代わりに安定した仕事と衣食住を保証するから勘弁してねということになる。
財政事情によるものなので、こうするしか手はないのだ。
「ピンチだね」
「チャンスだろ」
「えっ!?」
「説得が上手くいけば、地方へ回ってもらうことも可能になるからな」
「そんなに家族が多いのかい?」
カーターが目を丸くする。
「親戚なんかを含めて全員を引き込むことができればの話だぞ」
「よおぉーしっ!」
気合いを入れているカーター。
今すぐにでもと言いたげに見えるくらいだ。
「元奴隷たちを引っ張ってくるのは、もう少し待ってくれるか」
こう言うと、普通のテンションに落ち着いてくれたけど。
「具体的には?」
「夜明け前になるか」
「随分と待つことになるね」
「仮眠は取ることになるだろうな」
「完徹は良くないよ」
ウンウンとしみじみ頷くカーター。
「ところで、ハルト殿」
「ん?」
「貴族とかも人手不足だよね」
そうだった。
「それも家族で解決するか」
「どういうことだい?」
「まともな領主のとこから引退した元領主とか跡継ぎの順位が低い者を引っ張り出す。
あるいは後を継がせて現役の領主を異動させることも考えた方がいいだろうな」
思いつきに等しい手だ。
が、他に良案がない。
いない人間を呼び出すなんて真似はできないからな。
「うーん……」
カーターが唸る。
「そっちは俺が何とかするさ」
「すまない、助かるよ」
とは言ったものの、表情は浮かない。
「何か問題があると言いたげだな」
「そうなんだよ」
カーターが嘆息した。
「ここの領主たちは数字に弱い者が多いのだろう?」
「ああ、そうだ」
「家族も似たようなものだろうなと思ってね」
「あー」
それは確かに頭の痛い話である。
まともな人材が確保できたとしても、処理能力に難があるってことだからな。
「せめて計算だけでも普通にこなせれば助かるんだけど」
「なんだ、計算機もないのか?」
「計算機?」
カーターが目を白黒させている。
そんなに驚くことだろうか。
計算尺とか算盤とかあっても良さそうなものだが。
そう思って【諸法の理】先生で確認したら、ありませんでした。
『便利な道具だから俺以外にも誰かが作ってると思ったんだけどなぁ』
そういや、ボーン兄弟の算盤に対する食い付きも尋常でなかった気がする。
俺としては珍しい代物くらいに思っていたのだが、どうやら違ったみたいだ。
西方では発明品のことを考える余裕がないのかもしれない。
『まだまだ生きていくので精一杯ってことか』
ただ、古代文明では計算尺と算盤のどちらも存在したみたいだけどね。
「魔道具を使って計算をさせようというのかい!?」
カーターが驚いているのは、魔道具だとコストがかかるからだろう。
「あ、そういう発想になるんだ」
地方領主が相手でも気軽に貸与できるものではないと考えていそうだ。
西方の魔道具の技術で作り出すとなると、確かに間違ってはいないと思う。
『電卓ならぬ魔卓ってことになるのか?』
まあ、作りはしないけど。
「違うのかい?」
またしても目を白黒させるカーター。
「そんな訳ないって。
魔道具職人に作らせたら、とんでもない額を請求されるぞ」
「……では?」
カーターは完全に困惑してしまっていた。
計算機の概念がないんじゃ仕方がないかもしれない。
「魔道具ではなくて単なる計算の補助をする道具だ」
そう言いながら小型の算盤を引っ張り出した。
いま現在、ボーン兄弟のところに卸している改良品である。
「それが計算の道具なのかい?」
「算盤という」
「これがソロバン……」
算盤の珠を弾いて実演してみせる。
パチパチと小気味いい音が響いてきた。
4桁の足し算を何も言わずにやって見せたのだが。
「っ!」
カーターの目がカッと見開かれた。
「今のは3562に5041を足して8603になったということでいいのかな?」
やや自信なさげに聞いてくる。
「正解だ」
次は3桁からの引き算をやってみせる。
パチパチと珠を弾いて結果を見せた。
「451引く89で362だね」
今度は自信を持って答えを言ってきた。
「その通り」
続いて2桁のかけ算をやってみたが、さすがにややこしかったようだ。
「今のは、かけ算のようだね。
答えが325としか分からなかったよ」
苦笑しながら小さくお手上げのポーズをするカーター。
「13掛ける25で325だ」
「使いこなせば凄いことになるね、これは」
「足し算や引き算は使い方を覚えるだけで誰にでも使えるはずだ」
「それは間違いないだろうね」
カーターが唸り声を上げた。
「かけ算なんかは計算を苦手にしている者には苦痛かもな」
九九を覚える必要があるからだ。
3掛ける8を24と珠を弾くのと3を8回も弾いて24にするんじゃ大違い。
算盤に不慣れだとミスって計算が合わなくなる恐れもある。
それが分かるのだろう。
カーターも苦笑いしている。
「そこは頑張ってもらうしかないね」
「二度と騙されないためには、勉強あるのみだな」
「だね」
読んでくれてありがとう。