1142 買ってみようとしたけれど
「こっ、これはっ!?」
トフルが驚愕に目を見開くも、固まることなく俺の方を見てきた。
「大金貨じゃないですか」
トフルの声が震えていた。
「足りないなら足すぞ」
ブルブルとトフルは頭を振る。
「今、この店には100万ゲートの価値もありません」
そう言ってからトフルは肩を落とした。
「おそらく買い叩かれるでしょう。
下手をすれば30万ゲートになるかどうか……」
『建物込みで日本円で300万円を切るかもしれないと言うのか?』
買い叩くとかいうレベルの話じゃないだろう。
【千両役者】で抑え込まないといけないくらい怒りが表に出そうだ。
【天眼・鑑定】で調べた評価額の10分の1以下とか、ふざけるなと言いたい。
言うべき相手はトフルではないので、どうにか抑え込んだけど。
「それがどうした?」
「なっ!?」
「他の誰が何と言おうと、俺はこの店に300万ゲートを出す」
日本円にすれば3千万円相当だが、これで最低評価額だ。
「足りんと言うなら、まだ出す用意はあるぞ」
「そんなっ、これでも多いのですよっ」
必死の形相でトフルが頭を振った。
「そんなことはあるまい。
露骨な営業妨害を潰せば安い買い物だと思うがな」
唖然とした様子で俺の話を聞くトフル。
「……無茶です」
やがてボソリと呟いた。
「相手は、この国の財務大臣ですよ」
トフルの見立てでは、黒幕はそのあたりになるようだ。
「違うな」
「え?」
「黒幕は更に上だ」
「更にって……」
怪訝な表情で呟いたトフルがハッと表情を変えた。
「そんな、まさかっ!?」
驚愕に目も口も開ききっている。
「そのまさかなんだよ」
「国王陛下……」
トフルは呟くように声を絞り出した。
「そういうことだ」
「……………」
トフルが言葉を失ったかのように呆然とした面持ちになっていた。
集められる限りの情報で想定した黒幕でさえ、トフルには巨大な壁だろう。
破壊することも乗り越えることも、ままならなかったはずだ。
壁どころか要塞だと言われれば途方に暮れるどころの話ではあるまい。
財務大臣では衛兵は動かせないが、王なら話は違ってくる。
ありとあらゆる権限を駆使することができるからな。
そのプレッシャーに押し潰されそうになっているようだ。
「そいつが俺の友達に喧嘩を売ったんだよ。
だから代わりに俺が買ってやろうと思ってな」
軽口のひとつも言ってみる。
でないと復帰してくる気配が微塵も感じられなかったからだ。
「無茶ですっ!!」
それは絶叫だった。
些か刺激が強すぎたようだ。
国を相手にするようなものだから、そう思うのも無理はない。
とはいえ、あまりにうるさいので両手で耳を塞ぐ。
まあ、こういうこともあろうかと風魔法の可変結界で調整していたからポーズだけだが。
「うるさいよ」
短くそう言うだけで、トフルは我に返った。
俺の大袈裟とも言えるポーズを見ていたからだと思いたい。
「す、すみません」
トフルはペコペコと頭を下げた。
「心配しなくてもエーベネラントに攻め入ろうとしてきた軍隊は潰してきた」
「は?」
「ちなみにナトレ・フランクはエーベネラントにスパイとして送り込まれていた」
「なっ──」
「何ですって!?」
トフルの声に被せるように叫び、奥の部屋から飛び出してきた者がいた。
「イーラ・フランクだな」
奴隷スパイことナトレの母親である。
聞き耳を立てて聞いていたのは気付いていたさ。
素人の気配を感じ取れないはずがない。
だから、聞き取りやすいように可変結界の調整はしておいた。
今までの会話は、すべて耳に届いているはずだ。
でなきゃ、このタイミングで飛び込んでくる訳がない。
「奥にいるのはナトレの妹ニーナ・フランク」
夫婦でギョッとした表情になる。
「娘から聞き出したのですか?」
恐る恐る聞いてくるトフル。
「あの子は無事なんですかっ!?」
必死の形相で掴みかかってくるイーラ。
母親なんだから当然だろう。
むしろ父親であるトフルの方が冷静だ。
先程までのヒートアップとダウンの繰り返しを見ていると、そうは思えないのだが。
そして、ナトレを少し幼くしたような少女も出てきた。
「姉さんは生きていますか?」
3人の中では最も落ち着いていると言えよう。
言葉を選ぶ余裕がないあたり、本気で心配しているのだろうけど。
「俺の部下が眠らせて捕まえた」
トフルが上を仰ぎ見る。
神に祈りを捧げているかのようだ。
イーラは俺から手を離したかと思うと、両手で顔を覆って泣き始めた。
「姉を助けてください」
ニーナは真摯な瞳を向けてくる。
トフルとイーラが慌てた様子で俺を見てきた。
縋るような目をしているのは3人とも同じ。
「端からそのつもりだぞ」
「「「え?」」」
「捕まえたのは、うちの面子だ。
それにエーベネラント王には貸しがあるからな」
3人そろって唖然としている。
その中で真っ先に復帰してきたのはトフルであった。
間近で俺の話を聞いていたからだろうか。
「アナタは一体……?」
「俺の名はハルト・ヒガ。
さっきも言ったように通りすがりの賢者だ」
「もしや友達とは……?」
聞いてきた割にトフルには軽く流されてしまった。
イーラやニーナは微妙に落ち着きを失っているけど。
よく見ればトフルの表情も強張っている。
「エーベネラント王国の王だ」
「───────────────っ!!」
俺の返答にトフルが驚愕の表情で凍り付く。
一瞬で頭の中が真っ白になったかのようだ。
『あの聞きようでは見当がついていただろうに』
それを見た妻や娘が愕然とする。
親子3人が泡を食っていた。
声も出せずに何故か抱き合っている。
「お……」
青い顔でイーラがどうにか言葉を絞り出そうとしていた。
「お?」
「お許しを─────っ!」
『なんでさっ!?』
内心でツッコミを入れている間にトフルが妻を庇うように前に出る。
「罰するなら私をっ!」
『だから、なんでそうなるっ!?』
おまけに罰する前提の話にされているんだが。
俺は毛頭そんなつもりはない。
「いえ、私がっ!」
『マジか……』
娘、参戦って感じになって俺の中の罪悪感がドーンと跳ね上がった。
特に何かをした訳ではない。
された訳でもない。
あえて言うならオッサンの質問に答えた。
それだけだ。
とにかく、怒濤の勢いで「私が」攻撃が繰り出されている。
掴みかかられることだけはなかったが。
『どうしてこうなった!?』
そうは思ったが、よくよく考えるとこの反応も仕方がないのかもしれない。
他国とはいえ王族が友達だと言ったのだ。
相応の身分の人間だと思われて然るべきだろう。
それでビビった。
特にイーラは俺に掴みかかってきた上に凄い剣幕で娘の安否を確認してきたし。
人によっては脅迫されていると感じてもおかしくない勢いがあった。
『普通に考えれば、不敬罪とか真っ先に思い浮かぶか』
必死で懇願してくるのも道理……なんだろうか?
この家族にとっての俺は、見知らぬ赤の他人である。
なのに、俺の言ってることが正しい前提で話が進んでいる。
違和感を感じなかったのか。
どうして疑問に思わないのか。
『何故、俺の言ったことをを与太話と思わない?』
気になって3人の状態を鑑定してみた。
何か判断力などが低下する状態になっているのではと思ったからだ。
奴隷となったナトレの状況を耳にしたことで混乱したのだとしたら……
『ないとは言い切れないよなぁ』
だとしたら、どうしようと俺は途方に暮れる。
が、結果は想像したものとは違っていた。
3人とも[半恐慌]状態ではある。
そこまでは予想通り。
だが、判断能力などが低下してこうなった訳ではなかった。
トフルが上級スキルの【洞察】を持っていたのだ。
しかも熟練度が高い。
頑張れば上位の【看破】にできるかもしれないくらいに……
商売を続ける間にこのスキルを得て磨き続けたと思われる。
『信じる訳だ』
ふと、ノエルと出会った時のことを思い出した。
冒険者パーティ月狼の友の地雷を踏んでしまった時にノエルが助けてくれた。
【看破】スキルを使ってな。
『あの時、擁護してくれなかったらどうなっていたか』
今までの出来事が色々と無かったことになっていたかもしれない。
そう考えると背筋が凍る思いがする。
『帰ったら、皆をナデナデしておこう』
今の俺に必要なのは癒やしだと思う。
などと現実逃避している場合ではない。
ともかく、トフルの【洞察】スキルだ。
これにより俺の話を信じたのは間違いないだろう。
その割に本人はスキル持ちだという自覚はなさそうだが。
相手の嘘を見抜くのが得意というくらいの感覚でいるように見える。
家族も「お父さん、凄い」的な感覚で信頼しているっぽい。
『それなら話は早いか』
少なくとも俺の話が詐欺だとは思われないだろうし。
なんだったら、このまま連れて行ってもいいかもしれない。
問題があるとすれば──
『なんか説明する気力が削がれてしまったんですけど』
ということくらいか。
この店を買い取る話から説得してとか色々と考えていたのにね。
読んでくれてありがとう。